昔から大阪は、淀川や旧大和川の洪水で大きな被害をうけていた。江戸時代前期には、根本的対策として種々の工事が行われた。貞享元年(1684)市内では淀川の治水対策として河村瑞賢が幕命をうけ九条島を開削し、新川(元禄11年1698、安治川と命名)を通した。そのときの土砂を南岸に積み上げてできたのがこの山で、一名瑞賢山ともいわれ幕府の管理するところであった。現在は平坦化されてしまったが、山の崩壊を防ぐため植林した松が茂り、遠望できて有名であった。
所在地:大阪府大阪市港区弁天五丁目12弁天東公園(オオサカメトロ中央線・JR「弁天町」下車北西約750m)
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