看板には次のように書かれていました。
メノコ橋と弘法大師伝説
この欄干は、ここ東高野街道にかかっていたメノコ橋の名残りです。「明治三十七年八月築架」「メノコ橋」と銘が刻まれています。かってここには井路がありましたが、昭和50年から始まった東部排水場建設工事により井路がなくなり、欄干だけが残されました。メノコ橋の架かっていた東高野街道は、古くから京都と高野山を結ぶ道で、平安時代初期、唐から帰国した真言宗を開いた、弘法大師空海(774~835)が、高野山に金剛峰寺を建てると、貴族たちがこの道を使って高野詣でをしたことで発達しました。橋の名前はこのあたりの地名「メノコ」によるもので、その一風変わった名前の由来は、次のように伝わっています。空海はその修行時代に、この地を訪れ、周囲の山中で修行していたといわれています。滞在した10日間ほどの夜、ここを寝床として、橋の欄干を枕に休まれたとされ、そので寝床(ネドコ)が訛ってネノコ橋となり、いつのまにかメノコ橋と呼ぶようになったということです。東高野街道には、このような空海にまつわる伝説が残っています。
平成26年大東市教育委員会
所在地:大阪府大東市寺川4丁目
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