2015年9月18日金曜日

東大寺水無瀬荘園跡

東大寺領水無瀬荘園跡は、現在の島本町広瀬・東大寺にあたるとされ、天平勝宝年間(749~757)に、聖武天皇の勅によって成立した、大阪府内で最も古い荘園の1つである。当時の荘園を描いた「摂津国水無瀬絵図」は、東大寺領の墾田図で、天平勝宝8(756)年の年紀が記された正倉院最古の絵図の1枚である。荘園は天王山と淀川に挟まれた低湿地にあり、面積は、わずか2町4反64歩(約2万9千㎡)であった。荘園としては小規模で、生産性はさほど高くない。この荘園が東大寺領になったのは、水無瀬が淀川水系によって、京都奈良に通じる水陸交通の要衝に位置し、播磨(現、兵庫県)・阿波(現、徳島県)・周防(現、山口県)・伊予(現、愛媛県)などの荘園から、年貢を東大寺へ輸送する際、中継地の役割をになったことが考えられる。平安時代末期から鎌倉時代にかけて、荒廃田の再開発が進み、1214(建保2)年には、荘園の面積が約3.2倍となった。この間、荘園を巡る東大寺と国司の争いが絶えず、平安時代を通じて国司に税免除を要求した文書が30通近く残されている。戦国時代になると、荘園は東大寺の直接支配から離れて代官請負制になり、最終的に荘園は私領化され、消滅した。現在は「東大寺」という名だけが残されている。
所在地:大阪府三島郡島本町東大寺3


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