2015年9月18日金曜日

八州軒の跡

大坂の新田開発は、江戸時代の元禄年間(1688~1704)頃から盛んになった。この付近も1698(元禄11)年に、当地の開発者である雑賀屋七兵衛によって開かれた春日出新田である。1722(享保7)年、井原西鶴の「日本永代蔵」にも登場する泉佐野(現泉佐野市)の豪商食野屋の所有となった。農民から小作料を徴収し、新田の維持・管理を行う会所が建設されたが、八州軒はその会所の庭園で、摂津(現在の大阪府・兵庫県)・河内・和泉(ともに現大阪府)・紀伊(現和歌山県)・淡路・播磨(ともに現兵庫県)・山城(現京都府)・大和(現奈良県)の八州を一望できたことから名付けられた。津守新田会所(西成区)の向月庭とともに、大阪屈指の名園として名高かったが、第二次世界大戦の戦災にあって消失した。建物は1906(明治39)年、神奈川県横浜市の三渓園内に移築され、臨春閣として重要文化財に指定されている。
所在地:大阪府大阪市此花区春日出南1-3(春日出公園内)
アクセス:JR大阪環状線西九条駅北港2丁目・北港ヨットハーバー行ほか此花区役所前徒歩7分


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