わが国におけるビールの醸造は幕末に横浜で外国人がおこなっていたが,日本人の手によるものとしては,澁谷庄三郎がこの地で醸造したのが最初といわれている。当初は大阪通商会社で,明治四年(1871)に計画された。これは外国から醸造技師を招いた本格的なものだったが,実現には至らなかった。この計画を通商会社の役員のひとりであり,綿問屋や清酒の醸造を営んでいた天満の澁谷庄三郎が引継ぎ,明治五年三月から,このあたりに醸造所を設け,ビールの製造・販売を開始した。銘柄は「澁谷ビール」といい,犬のマークの付いたラベルであった。年間約三二~四五キロリットルを製造し,中之島近辺や川口の民留地の外国人らに販売した。
所在地:大阪府大阪市北区堂島1丁目
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