ラベル 遺跡 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 遺跡 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年12月31日水曜日

瓜破遺跡

 瓜破遺跡は、大和川の川床を中心とする付近一帯の弥生時代の代表的な遺跡で、前期から後期にわたる土器をはじめ、石器、木器、銅鏃などが出土している。また、中国の王莽時代(紀元8~22年)の貨泉(銅貨)が出土したことは、中国文化の影響を物語るものである。現在は、遺跡案内板が瓜破霊園入り口に設置され、花塚山・ゴマ堂山の2基の古墳が霊園内に現存している。

所在地:大阪府大阪市平野区瓜破東4-4

@kazubonka

瓜破遺跡 瓜破遺跡は、大和川の川床を中心とする付近一帯の弥生時代の代表的な遺跡で、前期から後期にわたる土器をはじめ、石器、木器、銅鏃などが出土している。また、中国の王莽時代(紀元8~22年)の貨泉(銅貨)が出土したことは、中国文化の影響を物語るものである。現在は、遺跡案内板が瓜破霊園入り口に設置され、花塚山・ゴマ堂山の2基の古墳が霊園内に現存している。 所在地:大阪府大阪市平野区瓜破東4-4

♬ オリジナル楽曲 - kazubonka

2023年4月29日土曜日

田能遺跡

 田能遺跡は、兵庫県尼崎市田能から伊丹市岩屋にまたがる弥生時代の遺跡。1969年(昭和44年)6月30日に国の史跡に指定された。

〇沿革

1965年(昭和40年)に、尼崎・伊丹・西宮三市共同による工業用水園田配水場の建設工事中に大量の弥生土器が発見されたことから、この場所に大規模な弥生時代の遺跡があることが判明、調査が開始された。特に注目されたのが、木棺の発見である。木は腐りやすいため、それまでは推測でしかなかった弥生時代の木棺埋葬の風習が、初めて具体的な形で証明された。第1次調査では、木棺墓から人骨も発見された。当初は調査後、計画通り配水場建設を進めて遺跡を破壊する予定だったが、保存運動が高まり、その結果、遺跡の重要な部分を保存することが決定、1969年(昭和44年)6月30日には国の史跡に指定され、 翌1970年(昭和45年)7月25日には尼崎市立田能資料館として開館した。高度経済成長期の当時、建設優先の風潮があった中で、このような文化財保護運動は珍しく、先進的な事例だったという。

〇出土品

土器多数、石斧などの石器、木製品、骨類、鉄製品など。以下の三点は兵庫県指定文化財に指定されている。

銅剣鋳型(どうけん・いがた)

白銅製釧(はくどうせい・くしろ)

碧玉製管玉(へきぎょくせい・くだたま)

〇アクセス

・阪神バス

阪急電鉄神戸本線園田駅北側4番バスのりばから「20番 - JR猪名寺 行」もしくは「21・21-2番 - 阪急塚口 行」もしくは「22番・22-2番 阪神尼崎 行」に乗車して「田能口」バス停下車(所要時間約10分間)。北へ徒歩約15分。

JR宝塚線猪名寺駅東側バスのりばから「20番 - 東園田 行」に乗車して「田能口」バス停下車(所要時間約8分間)。北へ徒歩約15分。

・自動車

名神高速道路豊中インターチェンジより北西へ約3キロメートル(尼崎インターチェンジよりも豊中ICが近い)。














2020年11月15日日曜日

神足遺跡

 神足遺跡は、小畑川と犬川に挟まれた標高約20mの低位段丘上に立地する旧石器時代から近世までの複合遺跡で、特に弥生時代中期(紀元前1世紀~1世紀)を中心とした拠点的集落遺跡として知られています。集落の周囲には環濠が巡り、内側には竪穴式建物や高床倉庫の立ち並ぶ居住・倉庫域が、外側には方形周溝墓や土壙墓が密集する墓域が形成されていました。集落内から出土したさまざまな形の土器の中には、現在の大阪府や滋賀県から持ち込まれたものもあり、活発な交易があったことがうかがえます。また、神足遺跡から出土する遺物には石鏃、石刀などの磨製石器が多く見られるほか、石器を製作するための材料も見つかっており、集落内には石器の工房があったと考えられます。外にも京都府内では出土例の少ない青銅製の剣も見つかっています。弥生時代遺構にも核時代で集落が形成された痕跡が認められます。長岡京期には神足遺跡の東端を朱雀大路が通り、遺跡の範囲には宅地が広がっていたことが分かっています。


所在地:京都府長岡京市東神足2丁目17-1(長岡第9小学校前)






硲遺跡(説明版のみ)

 小泉川の左岸の扇状地から段丘上に広がる、弥生時代中~後期の集落遺跡。竪穴住居や土坑等が確認され、銅鐸を模した土製品なども出土している。


所在地:京都府長岡京市




2020年5月30日土曜日

芥川遺跡

紫町公園にある縄文時代や弥生時代の集落遺跡のようです。
所在地:大阪府高槻市紫町(紫町公園)




2019年3月9日土曜日

東奈良遺跡

東奈良遺跡は、大阪府茨木市の南部、阪急南茨木駅から東側一帯にある、弥生時代の大規模環濠集落の遺跡。1973年、大阪万博とともに新設された南茨木駅周囲一帯の大規模団地建設の際に発見された。南茨木駅の東300mに、出土品を所蔵・展示した市立文化財資料館がある。
○概要
東奈良遺跡には、二重の環濠の内部に高床式倉庫など大型建物や多数の住居があり、外部には広大な墓域もあった。 発見された工房跡から、銅鐸の鋳型が35点も出土しており、ほかにも銅戈・勾玉などの鋳型が発掘されている。ここの鋳型で生産された銅鐸が、近畿一円から四国でも発見されている。この集落が、奈良県の唐古・鍵遺跡と並ぶ日本最大級の銅鐸工場、銅製品工場であり、弥生時代の日本の数多くの「クニ」の中でも、各地に銅鐸を配布することができるほど政治的に重要な位置を占めていたことがうかがえる。また、高さが14.2センチの小さな銅鐸が見つかっている。銅鐸の起源は解明されていないが、この銅鐸がその謎を解く鍵となる可能性もあるという。この付近は「沢良宜」と呼ばれ、主な神社に「佐和良義神社」があり、迦具土神がまつられている。 カグは銅の古語であり、サワラギもサワラ(銅器)ギ(邑)となることから、この一帯が銅製品の加工と関係が深かったことがうかがい知れる。
○所在地
茨木市若草町・東奈良三丁目














 


2018年9月22日土曜日

北新町遺跡

看板には次のように書かれていました。
1985年から10年以上にわたる」府営大東北新町住宅の建て替えに伴い順次発掘調査を行った結果、古墳時代の倉庫と推定される建物跡や中世の集落跡をはじめとする人々の痕跡と数万点に及ぶ遺物(人面墨書土器、花枝双鳥文鏡、鎌倉再建時の東大寺瓦など)が発見され、この地が古代より主要な生活拠点であったことがわかりました。とりわけ、古墳時代の井戸からは井簡に転用されていた戸口装置(モミ材)が出土しており同時に出土した土器から推定すると5世紀中頃以前のものとかんがえられます、この戸口装置は高床式の倉に使用されていたものと考えられ、敷居の部分が欠けていますが、古代の建物の構造を復元することのできる実物資料として大変貴重なものであります。 出土した遺物は大東市立歴史民俗資料館において展示しています。         
大阪府建築都市部
大東市教育委員会

所在地:大阪府大東市北新町/中楠の里町386-1






2018年6月3日日曜日

森の宮遺跡展示室一般公開2018

森ノ宮ピロティホールの地下階で、「森の宮遺跡展示室」の一般公開が行われます。森の宮遺跡は、上町台地の東斜面に位置する縄文時代から近世までの複合遺跡です。森の宮貝塚とも呼ばれ、大量に出土した貝殻が、海水に生息するマガキから淡水に棲むセタシジミへと移り変わることから、河内平野が徐々に海から淡水湖となり、さらに陸地となっていく過程を知ることができます。埋葬された縄文時代の人骨も多数発見され、そのうちの1体が屈葬という体を折り曲げる当時の埋葬方法のまま地層から切り取って展示されています。日常的な公開は行われておらず、年に数日公開されます。※駐車場、駐輪場はありません。
所在地:〒540-0003大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1-17-5
開催期間:2018年8月24日~26日11:00~15:00
開催場所:森ノ宮ピロティホール地下階
交通アクセス:JR大阪環状線「森ノ宮駅」から徒歩3分、または地下鉄中央線「森ノ宮駅」2号出口から徒歩1分
主催:大阪市教育委員会
料金:無料(事前申込不要)
問合せ先:大阪市教育委員会事務局文化財保護課06-6208-9166・9169(土日祝を除く9:00~17:30)
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/index.html

2018年4月15日日曜日

法円坂遺跡

法円坂遺跡(法円坂倉庫群)は、大阪府大阪市中央区大手前にある古墳時代の遺跡。国の史跡に指定されている(史跡「難波宮跡附法円坂遺跡」として附指定)。
○概要
大阪市中心部、上町台地北端の難波宮跡北西部に位置する古墳時代の大倉庫群跡である。上町台地北端では難波宮以前の建物遺構約200棟が検出されており、本遺跡もそうした難波宮下層遺跡の1つになる。1987年(昭和62年)からの旧大阪市中央体育館跡地での発掘調査で発見され、現在は大阪歴史博物館・NHK大阪放送局の敷地内に位置する。遺跡内では建物遺構として掘立柱の大型高床式倉庫が計16棟検出されている。この倉庫16棟は東西2群(東6棟・西10棟)に分かれるが、いずれも正方位の真東西に並ぶという古墳時代の建物としては例のない配置になる。倉庫各棟は画一的な東西約10メートル・南北約9メートルの規模で、現在はそのうち1棟が推定復元されている。この法円坂遺跡は、古墳時代中期の5世紀前半頃の営造と推定され、古墳時代としては最大規模の倉庫群になる。難波では古墳時代中期から難波宮まで絶え間なく建物が営造されるが、本遺跡はその起源的位置づけにある。法円坂遺跡の北方では王権の手による難波堀江(人工運河)開削と難波津(王権の港)設置が知られており、本遺跡もそれらと関連する王権直轄の倉庫群と推測され、文献上に見える「難波屯倉」に比定する説もある。ただし発掘調査によれば、倉庫群は継続することなく廃絶したとされ、その後の難波は一度小規模化したのち6世紀頃から再び規模を拡大することとなる。法円坂遺跡の範囲は2001年(平成13年)に国の史跡に指定されている。なお、同様の古墳時代の大倉庫群としては鳴滝遺跡(和歌山県和歌山市)なども知られる。
○文化財
・国の史跡
難波宮跡 附 法円坂遺跡 2001年(平成13年)1月29日、既指定の史跡「難波宮跡」に法円坂遺跡の範囲を追加して指定名称を「難波宮跡附法円坂遺跡」に変更。
所在地:大阪市中央区大手前4-1(大阪歴史博物館前)

 


2018年4月8日日曜日

難波宮内裏東方遺跡

大阪市中央区にある遺跡。日本初の本格的な首都として栄えた難波宮があった場所である。645年、難波長柄豊崎宮は、大化の改新の難波遷都に伴って造営された。昭和43年 (1968)に、大阪市立大阪青少年センターの建設に先立つ発掘調査で、この地域で、地下約1.5mのところから後期難波宮の建物や回廊などが発見されたと言う。また、難波遷都以前である飛鳥時代の建物や倉庫が発見された。ここでは、遺構面を砂で保護した上に広場を設ける特殊工法を用いて、遺構を保存している。発見された建物は、すべてが「掘立柱式」の遺構だが、 復元に際して柱位置に自然石を置いている。また、昭和56~57年の調査では、これにつながる回廊のほか、 それよりも古い前期難波宮のものと考えられる建物群も発見された。2棟の高床式倉庫を中心に整然と配置されており、 前期難波宮の東方官衙跡と推定される。

所在地:大阪府大阪市中央区法円坂1-1-35


2018年2月8日木曜日

利倉南遺跡

案内の看板には次のように書かれていました。
この遺跡は、猪名川東岸 利倉3丁目付近を中心に広がる遺跡で、古くから中世の遺跡として存在が知られていました。しかし昭和62年以降の調査の結果、古墳時代中期の方墳がみつかり、周辺一帯に古墳群の存在が推測されるようになりました。市内では、古墳時代中期の古墳群としては、唯一丘陵上にある桜塚古墳群が有名ですが、この遺跡の古墳に葬られている人たちはに支配された有力集落の構成員たちであったと思われます。この古墳群の発見は、低地部における古墳群の存在を明らかにするとおもに、豊中の古墳時代社会の一端を明らかに示すのとして重要です。
所在地:大阪府豊中市利倉3丁目(新豊島川沿)



2018年2月4日日曜日

上津島南遺跡

案内の看板には次のように書かれています。
今から二千年以上も昔、猪名川は何度となく氾濫を繰り返し、多くの土砂を運んでは流域にいくつもの微高地を形づくりました。上津島南遺跡をはじめ島田遺跡や庄内遺跡はいずれもそうした微高地の上に営まれた集落遺跡です。この遺跡は、これまでの調査によって弥生時代から鎌倉時代にかけての集落遺跡であることが判明しています。なかでも奈良時代では、十数棟の建物跡とともに立派なせいろ組の井戸が検出され、井戸の中からは難波宮で使用されたものと同じ瓦が出土していることから、中央政府と関係を持った役所跡ではないかと考えられます。また、平安時代から鎌倉時代にかけての集落跡でも、多くの建物跡、井戸、墓などが見つかり、役人が束帯につけたとみられる石製の飾りや、遠くの各地でつくられた焼き物類が出土していいることから、猪名川の水運に支えられた有力集落の一つであったと考えられています。
所在地:大阪府豊中市上津島1丁目(新豊島川沿)


2017年7月2日日曜日

森の宮遺跡展示室一般公開2017

森ノ宮ピロティホールの地下階で、「森の宮遺跡展示室」の一般公開が行われます。森の宮遺跡は、上町台地の東斜面に位置する縄文時代から近世までの複合遺跡です。森の宮貝塚とも呼ばれ、大量に出土した貝殻が海水に生息するマガキから淡水に棲むセタシジミへと移り変わることから、河内平野が徐々に海から淡水湖となり、さらに陸地となっていく過程を知ることができます。埋葬された縄文時代の人骨も多数発見され、そのうちの1体が屈葬という体を折り曲げる当時の埋葬方法のまま地層から切り取って展示されています。日常的な公開は行われておらず、年に数日公開されます。※駐車場、駐輪場はありません。
所在地:〒540-0003大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1-17-5
開催期間:2017年8月14日~16日11:00~15:00
開催場所:森ノ宮ピロティホール地下階
交通アクセス:JR大阪環状線「森ノ宮駅」から徒歩3分、または地下鉄中央線「森ノ宮駅」2号出口から徒歩1分
主催:大阪市教育委員会
料金:無料(事前申込不要)
問合せ先:大阪市教育委員会事務局文化財保護課06-6208-9166(土日祝を除く9:00~17:30)

2015年11月13日金曜日

桑津遺跡

桑津小学校正門脇には、「桑津遺跡」の石碑があります。平成4年3月、大阪市顕彰史跡として建立されたものです。桑津遺跡は東住吉区桑津・駒川・西今川・北田辺一帯に所在する縄文時代前期から中世にいたる複合遺跡で、立地するのは、上町台地東斜面の標高3~6mのところです。
遺跡の発見は昭和4年、工事現場から土器や石器が出たことが発端で、発掘調査がはじまりました。昭和12年・昭和58年・平成になってからの工事でも、桑津小学校校庭、東住吉中学校校庭、旧国鉄官舎跡その他からいろいろなものが出土しました。また平成3年、廃井戸の底からわが国最古の「呪符木簡」が発見され、大きなニュースになりました。
・縄文時代以前
旧石器時代から縄文時代への過渡期に出現する有舌尖頭が、東住吉中学校校内調査から出土しました。また、縄文時代前期頃の石鏃が桑津4丁目で出土しています。
このことから、桑津遺跡に人が住み始めたのは約1万年以前にさかのぼると考えられています。
・弥生時代
弥生時代の遺構は、桑津3丁目から5丁目にかけての広範囲で検出されています。
居住にかかわる柱穴・土壙・溝・井戸や、埋葬にかかわる方形周溝墓など、居住地と墓地というムラのようすがわかります。
出土道具には農具(石包丁)、工具(蛤刃石斧・抉入片刃石斧)、漁具(蛸壺・石錘)、武器および狩猟具(石鏃・石槍)紡織具(紡錘車)などがあります。
・古墳時代
5世紀後半の須恵器・土師器が広範囲で出土しています。

・飛鳥時代以降
奈良時代後期の大規模な堀立柱建物が、桑津4丁目から検出しました。
平安時代以降から中世にかけては、緑釉陶器や輸入陶磁器の出土遺物から、居住地となっていたことが推測されます。
桑津遺跡に関しては、1762年(宝暦12)の桑津村の地籍図に「大塚」、「赤塚」、「鑵子(かんす)塚」など古墳らしき字名がみえます。
「大塚」については近年の町名変更前まで美章園近くが大塚町と呼ばれており、古墳があったことを今に伝える町名のひとつであったといえます。

所在地:大阪市東住吉区桑津5丁目13-13


2012年12月26日水曜日

宮ノ前遺跡

宮ノ前遺跡は、池田市石橋4丁目、住吉1・2丁目、豊中市蛍池北町に広がる遺跡で、おおよそ、東西700m、南北900mの範囲です。宮ノ前遺跡は、消波の初頭に地元の人々により石器や土器などが採取されており、遺跡の存在が知られていました。昭和43・44年の中国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査が行われ、その結果、弥生時代中期(約2100年前)の方形周溝墓、竪穴式住居跡、古墳時代(約1500年前)の竪穴式住居跡、古墳等が見つかり、特に冬至、発見例の少なかった方形周溝墓が住居とともに多く見つかり住居域と墓域が同時に把握できる貴重な例として注目されました。
その後の調査で、旧石器時代(14000年前)の石器が見つかり、旧石器時代までさかのぼる事ができる遺跡であると判明しています。