5世紀前半(古墳時代中期)に造られた大きな墓で真上から見ると四角と円をくっつけた前方後円墳という形である。墳丘は全長75mで、そのまわりに幅約12mの盾形の濠をめぐらしている。昭和54年に行われた発掘調査で、後円部に濠が見つかり、古墳が造られた当時の様子の1部が分かった。墳丘の斜面には川原石がぎっしりと張り詰められ、斜面の途中と頂上にある平らなところには埴輪が立てられていた。又、墳丘と濠の境には全国的に珍しい木製の蓋が並べられていた。なお、後円部にあった死者に備えられたものと思われる鏡の破片が見つかった。この古墳は、市内の勝龍寺にある恵解山古墳と同じく5世紀に乙訓地域を治めた首長の墓で、恵解山古墳よりもやや早く造られたと考えられている。なお、この古墳のすぐ北側からもほぼ同じ時期に造られたと考えられる今里庄ノ淵古墳(全長約40mの前方後円墳)が見つかっている。これら2つの古墳は、のちに長岡京の西二坊大路がこの地に作られた際、濠の一部が埋められたと考えられている。
所在地:京都府長岡京市今里4丁目
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