江戸時代、大坂の周辺では綿花の栽培が盛んで、それろ原料とした木綿業が発達していました。柴島一帯では、淀川の流れを利用して木綿を荒い、それを干して乾燥させ、陽にあてることで白く加工するという、晒業が営まれていました。「摂津名所図絵大成」という書物には、淀川の堤防上に白く敷き詰められた木綿が、まるで雪が降り積もったようで、たいへん美しかったと記されています。明治の末には、年間八百万反を生産し、大阪の主力産業のひとつでしたが、淀川の改修工事や柴島浄水場の建設などの影響もあり、むかしからの晒業はおとろえてしまいました。
所在地:大阪市東淀川区柴島三丁目(柴島神社境内)
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