もともと玉泉寺と呼ばれ、寛文元(1661)年、鴻池家が一族の墓の菩提寺として顕孝庵と改めて復興した。境内のほとんどが一族の墓で占められ、五輪等は70数基もある鴻池家始祖の山中幸元は清酒の製法を偶然に発見し、また清酒の江戸送りに成功し、海運業にも乗り出し、鴻池家の基盤を築いた。3代目山中宗利のときに今の東大阪市鴻池新田の開発に1万両を当時、経営に着手。飛躍を遂げる。この頃より酒造・海運業などから大名貸しを中心とする両替商を専業とするようになり、大坂随一の豪商となった。
所在地:大阪府大阪市中央区中寺2-4-6
最寄駅:地下鉄谷町線・千日前線谷町9丁目/近鉄線上本町駅
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