豊臣秀吉は、このあたりの淀川の水が特に清澄であることから、小湾を設け「青湾」と名づけ、好んで茶の湯に用いたといわれています。桜宮付近の川水は味がよく、明治に至るまで、飲料水として市中に販売され、網島には水問屋が軒を並べていました。青湾の碑は、文久2年(1862年)、煎茶を普及させた売茶翁、柴山元昭の百年忌にあたって開催された青湾茶会に際し、当時、湾の近くに寓居していた南画界の高峰、田能村直入(たのむらちょくにゅう)らが建立したもので、裏面に「「コノ湾ノ水甘香ニシテ茶ニ適ス汲ミテ尽キズ青霞ヲ吸ウニマサル」と刻されています。
所在地:大阪府大阪市都島区中野町1-10毛馬桜之宮公園内
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