1000平方mの空間に、アジサイアナベル、カシワバアジサイなど10種類をこえるアジサイと、食虫植物の白いサラセニア・胡蝶蘭、アンスリウム、カサブランカ、デルフィニウムなど50種1万ポットのホワイトフラワーを使い、白を基調とした美しいホワイトガーデンが演出されます。屋外では、ショウブ祭りも開催されます。期間中にはブライダルショーのイベントも催されます。
所在地:〒656-2306兵庫県淡路市夢舞台4
交通アクセス:JR神戸線・山陽電鉄「舞子駅」から高速バス「淡路夢舞台前」~徒歩5分
開催期間:2013年6月1日~7月7日
10:00~18:00(入館は17:30まで)
イベント料金:入館料が必要/大人600円、高校生300円、65歳以上300円
問合せ先:兵庫県立淡路夢舞台温室奇跡の星の植物館0799-74-1200
2013年5月6日月曜日
第1回城崎花火フェスタ
城崎温泉では、第1回目となる「城崎花火フェスタ」が開催されます。5月から6月の3日間に、各花火業者が日替わりで自慢の花火を披露します。温泉街から夜空を彩る花火を見ることができます。 打ち上げ数、約250発 観客数、約1000人。
開催場所:城崎温泉
所在地:〒669-6101兵庫県豊岡市城崎町湯島
交通アクセス:JR山陰本線「城崎温泉駅」下車
開催期間:2013年5月25日、6月4日、11日21:00~※雨天決行
問合せ先:城崎温泉観光協会0796-32-3663
開催場所:城崎温泉
所在地:〒669-6101兵庫県豊岡市城崎町湯島
交通アクセス:JR山陰本線「城崎温泉駅」下車
開催期間:2013年5月25日、6月4日、11日21:00~※雨天決行
問合せ先:城崎温泉観光協会0796-32-3663
藤ノ木古墳
藤ノ木古墳は奈良県生駒郡斑鳩町にある古墳。現在は、地名を古墳名にしているが、かつては「陵山」(みささぎやま)と呼んだらしい。 玄室内から大量に出土した土師器、須恵器から古墳時代後期、6世紀第4四半期の円墳であると推定されている。この時期に畿内では前方後円墳の造営が終わりに近づいていた。古墳は法隆寺西院伽藍の西方約350メートルに位置する。現在は周辺が公園として整備され、説明板なども多数設置されており、法隆寺周辺の観光スポットとなっている。また、古墳から南へ200メートルほど行くと、ガイダンス施設(斑鳩文化財センター)があり、主な出土品のレプリカが展示されている。
○概要
発掘調査結果から、直径50メートル以上、高さ約9メートルの円墳であるとされている。ただし、現状は周りの水田や建物により少しずつ削り取られていて、高さ約7.6メートル、最大径約40メートルである。大和での埴輪の設置は6世紀前半で終わったと考えられていたが、墳丘裾には円筒埴輪が並べられていて、従来の見解を訂正することになった。
○石室・石棺
未盗掘の横穴式石室で、家形石棺に成人男性2人が合葬されていた。横穴式石室は、現墳丘裾から盛り土を少し取り除いたところに羨道の入り口(羨門)があり、その羨道を少し進むと両袖式の玄室に至る。この玄室は円墳の中心部に設けられている。石室規模は、全長14メートル弱、玄室の長さは西壁側で6メートル強、玄室の幅は3メートル弱、高さ3メートルに近く、羨道の長さは7メートル強、羨道幅2メートル強である。石室の床には礫が敷かれ、その下を排水溝が、玄室中央から羨道を通って墳丘裾へと敷かれている。石棺は、玄室の奥の方に安置されていた。石材は二上山の白色凝灰岩で造られており、石棺の内や外は、赤色顔料(水銀朱)で塗られている。棺の大きさは、約235×130×97センチメートルであり、蓋は約230×130センチメートルで、厚さが約52-55センチメートルであり、縄掛突起がついている。
○被葬者
副葬品が金銅製の馬具や装身具類、刀剣類などであるからこの当時の支配階級の一人であったと考えられているが、円墳であることから大王クラスではなく、その一族の人物であったと推測されている。前園実知雄(奈良芸術短期大学教授)や白石太一郎(奈良大学教授)は、2人の被葬者が『日本書紀』が記す587年6月の暗殺時期と一致することなどから、聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅部皇子の可能性が高いと論じている。一方、井沢元彦は副葬品や埋葬の様子から「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に同母弟崇峻天皇が合葬された」との説を主張している。なお、南側被葬者については、女性説も存在する。
○発掘調査
1985年(昭和60年)から2006年にかけて6次にわたり斑鳩町教育委員会や奈良県立橿原考古学研究所により発掘調査が行われた。
・第1次調査(1985年7月22日-12月31日)
1985年からの第1次発掘調査では全長13.95メートルの横穴式石室と刳抜(くりぬき)式の家形石棺が発見された。石棺と奥壁の間からは金銅製鞍金具などの馬具類や武器・武具類、土師器、須恵器などが出土している(「金銅」は銅に金メッキをほどこしたもの)。馬具は3組出土しており、金銅製のものは古代東アジアの馬具の中でも最も豪華な物の一つであるといわれている。金銅製鞍金具は、鞍の形が鮮卑式であり、パルメット(仏教式唐草模様)、鳳凰、龍、鬼面、怪魚、象、獅子、兎などのモチーフが使われている。鮮卑系国家北燕の首都があった中国遼寧省朝陽市付近で発掘された鞍金具に同様のモチーフを持つ例が見られるが、日本、新羅、百済、伽耶いずれでも他にはまだ同様の鞍の出土例がなく非常に珍しいものである。
・第2次調査(1988年5月9日-7月8日)
墳丘の形態、規模の確認。ファイバースコープによる石棺内の確認調査。
・第3次調査(1988年9月30日-12月28日)
続いて1988年には未盗掘の家形石棺内部の調査が実施され、2体の人骨(男性2人の合葬である可能性が高い)のほか、大刀5振と剣1振、金銅製冠や金銅製履などの装身具、銅鏡4面、1万点以上の玉類などの副葬品が見つかっている。
古墳は国の史跡に指定されている。また、出土品一括は日本の古墳文化研究上価値の高いものとして、1988年に重要文化財、2004年に国宝に指定され、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館において保管・展示されている。
○所在地
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目
○史跡指定
1991年11月16日国指定
○概要
発掘調査結果から、直径50メートル以上、高さ約9メートルの円墳であるとされている。ただし、現状は周りの水田や建物により少しずつ削り取られていて、高さ約7.6メートル、最大径約40メートルである。大和での埴輪の設置は6世紀前半で終わったと考えられていたが、墳丘裾には円筒埴輪が並べられていて、従来の見解を訂正することになった。
○石室・石棺
未盗掘の横穴式石室で、家形石棺に成人男性2人が合葬されていた。横穴式石室は、現墳丘裾から盛り土を少し取り除いたところに羨道の入り口(羨門)があり、その羨道を少し進むと両袖式の玄室に至る。この玄室は円墳の中心部に設けられている。石室規模は、全長14メートル弱、玄室の長さは西壁側で6メートル強、玄室の幅は3メートル弱、高さ3メートルに近く、羨道の長さは7メートル強、羨道幅2メートル強である。石室の床には礫が敷かれ、その下を排水溝が、玄室中央から羨道を通って墳丘裾へと敷かれている。石棺は、玄室の奥の方に安置されていた。石材は二上山の白色凝灰岩で造られており、石棺の内や外は、赤色顔料(水銀朱)で塗られている。棺の大きさは、約235×130×97センチメートルであり、蓋は約230×130センチメートルで、厚さが約52-55センチメートルであり、縄掛突起がついている。
○被葬者
副葬品が金銅製の馬具や装身具類、刀剣類などであるからこの当時の支配階級の一人であったと考えられているが、円墳であることから大王クラスではなく、その一族の人物であったと推測されている。前園実知雄(奈良芸術短期大学教授)や白石太一郎(奈良大学教授)は、2人の被葬者が『日本書紀』が記す587年6月の暗殺時期と一致することなどから、聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅部皇子の可能性が高いと論じている。一方、井沢元彦は副葬品や埋葬の様子から「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に同母弟崇峻天皇が合葬された」との説を主張している。なお、南側被葬者については、女性説も存在する。
○発掘調査
1985年(昭和60年)から2006年にかけて6次にわたり斑鳩町教育委員会や奈良県立橿原考古学研究所により発掘調査が行われた。
・第1次調査(1985年7月22日-12月31日)
1985年からの第1次発掘調査では全長13.95メートルの横穴式石室と刳抜(くりぬき)式の家形石棺が発見された。石棺と奥壁の間からは金銅製鞍金具などの馬具類や武器・武具類、土師器、須恵器などが出土している(「金銅」は銅に金メッキをほどこしたもの)。馬具は3組出土しており、金銅製のものは古代東アジアの馬具の中でも最も豪華な物の一つであるといわれている。金銅製鞍金具は、鞍の形が鮮卑式であり、パルメット(仏教式唐草模様)、鳳凰、龍、鬼面、怪魚、象、獅子、兎などのモチーフが使われている。鮮卑系国家北燕の首都があった中国遼寧省朝陽市付近で発掘された鞍金具に同様のモチーフを持つ例が見られるが、日本、新羅、百済、伽耶いずれでも他にはまだ同様の鞍の出土例がなく非常に珍しいものである。
・第2次調査(1988年5月9日-7月8日)
墳丘の形態、規模の確認。ファイバースコープによる石棺内の確認調査。
・第3次調査(1988年9月30日-12月28日)
続いて1988年には未盗掘の家形石棺内部の調査が実施され、2体の人骨(男性2人の合葬である可能性が高い)のほか、大刀5振と剣1振、金銅製冠や金銅製履などの装身具、銅鏡4面、1万点以上の玉類などの副葬品が見つかっている。
古墳は国の史跡に指定されている。また、出土品一括は日本の古墳文化研究上価値の高いものとして、1988年に重要文化財、2004年に国宝に指定され、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館において保管・展示されている。
○所在地
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目
○史跡指定
1991年11月16日国指定
2013年5月4日土曜日
宝塚神社
宝塚神社は兵庫県宝塚市にある神社である。東斜面の高台にあり、境内からは大阪市街や生駒山地まで望め、初日の出スポットとして知られる。
○祭神
素盞嗚尊、大山咋命
○歴史
隣接の平林寺が聖徳太子開基とされ、同時期の創建とも思われるが不詳。
行者山などが連なる山脈の端に位置し、山岳修験道から当地に白山権現を祀り、白山権現社と号していた。
武庫郡小林村の村社であった牛頭天王社の「東氏神」に対して、「西氏神」と呼ばれた。
明治初期の廃仏毀釈により「日吉神社」へ改称、明治41年(1908年)には天神社・愛宕社を神社合祀する。
昭和41年(1966年)に「東氏神」の素盞嗚神社(旧牛頭天王社)を合祀し、宝塚神社へ改称。
○社殿・境内
恵比寿社:清荒神清澄寺より天保年間の本殿を移築している。
天満宮
○祭事・年中行事
例祭:10月18日前の土日、だんじり祭が行われる。住吉型地車1基を有する。
宝塚えびす:1月10日
○所在地・交通
兵庫県宝塚市社町4-8
阪急今津線逆瀬川駅から徒歩9分
○祭神
素盞嗚尊、大山咋命
○歴史
隣接の平林寺が聖徳太子開基とされ、同時期の創建とも思われるが不詳。
行者山などが連なる山脈の端に位置し、山岳修験道から当地に白山権現を祀り、白山権現社と号していた。
武庫郡小林村の村社であった牛頭天王社の「東氏神」に対して、「西氏神」と呼ばれた。
明治初期の廃仏毀釈により「日吉神社」へ改称、明治41年(1908年)には天神社・愛宕社を神社合祀する。
昭和41年(1966年)に「東氏神」の素盞嗚神社(旧牛頭天王社)を合祀し、宝塚神社へ改称。
○社殿・境内
恵比寿社:清荒神清澄寺より天保年間の本殿を移築している。
天満宮
○祭事・年中行事
例祭:10月18日前の土日、だんじり祭が行われる。住吉型地車1基を有する。
宝塚えびす:1月10日
○所在地・交通
兵庫県宝塚市社町4-8
阪急今津線逆瀬川駅から徒歩9分
八阪神社
八阪神社は兵庫県宝塚市平井にある神社である。 旧川辺郡平井村の村社。例祭はだんじり祭が行われる。
○祭神
素盞嗚命で、白山姫命を合祀した。
○歴史
10世紀初頭、当地は源満仲一族の荘園で、同時期に勧請されたと伝えられるが、摂陽群談では宝徳元年(1449年)建立とある。素盞嗚神社と同様、江戸時代までは牛頭天王を祭神として牛頭天王社と号していた。
明治2年(1869年)、廃仏毀釈により祭神名を素盞嗚命へ改め、社名を八阪神社に改称した。
昭和41年(1966年)に白山姫神社(旧:山王権現社)を神社合祀して現在に至る。
○社殿・境内
本殿:一間社流造で、16世紀中頃の建立。貞享元年(1684年)に補修されている。
○祭事・年中行事
例祭は10月27日頃の土日、だんじり祭が行われる。宝塚型の地車を有する。
○文化財
本殿は宝塚市の指定文化財。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市平井2-16-14
阪急宝塚本線山本駅から徒歩8分
○祭神
素盞嗚命で、白山姫命を合祀した。
○歴史
10世紀初頭、当地は源満仲一族の荘園で、同時期に勧請されたと伝えられるが、摂陽群談では宝徳元年(1449年)建立とある。素盞嗚神社と同様、江戸時代までは牛頭天王を祭神として牛頭天王社と号していた。
明治2年(1869年)、廃仏毀釈により祭神名を素盞嗚命へ改め、社名を八阪神社に改称した。
昭和41年(1966年)に白山姫神社(旧:山王権現社)を神社合祀して現在に至る。
○社殿・境内
本殿:一間社流造で、16世紀中頃の建立。貞享元年(1684年)に補修されている。
○祭事・年中行事
例祭は10月27日頃の土日、だんじり祭が行われる。宝塚型の地車を有する。
○文化財
本殿は宝塚市の指定文化財。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市平井2-16-14
阪急宝塚本線山本駅から徒歩8分
波豆八幡神社
波豆八幡神社は兵庫県宝塚市にある神社である。 千刈水源池の北岸に位置する。本殿は国の重要文化財に指定され、境内の鳥居や石塔などは兵庫県の文化財に指定されている。
○祭神
祭神は誉田別尊(ほむたわけのみこと、応神天皇)。
○沿革
神社所在地一帯は多田源氏の荘園であった波豆庄で、源満仲の弟・源満政が創建したと伝えられる。川辺郡波豆村の村社で、集落を見下ろす高台にあった。昭和6年(1931年)に完成した千刈ダムにより、波豆集落は水没。参道下部も水没し、鳥居は移設された。このため、参道はダム湖(千刈水源池)へ向かっている。
○社殿・境内
本殿 - 棟札により応永10年(1403年)の建立と判明する。正面柱間を3間とする三間社流造社殿で、屋根は?葺とする。三間社流造本殿で建立年代が明らかなものとしては最古である。
鳥居 - 応永32年(1425年)の建立。「波豆石」と呼ばれた流紋岩製で、波豆石の採石場は水没している。
境内にある石塔群は、水没した金福寺跡から移設された。
○文化財
本殿:国の重要文化財。
石造鳥居:県指定文化財。応永32年(1425年)4月4日銘、波豆石製。
金福寺跡より移転
三尊種子板碑:県指定文化財。嘉暦3年(1328年)7月銘、波豆石製。
五輪塔:県指定文化財。康永2年(1343年)3月3日銘、波豆石製。
宝篋印塔:県指定文化財。明徳2年(1391年)3月銘、波豆石製。
宝篋印塔:県指定文化財。南北朝時代、波豆石製。
笠塔婆塔身:市指定文化財。室町時代中期、波豆石製。
宝篋印塔:市指定文化財。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市波豆字谷田東掛2
阪急田園バス2・3・4系統乗車、「波豆」下車徒歩5分
○祭神
祭神は誉田別尊(ほむたわけのみこと、応神天皇)。
○沿革
神社所在地一帯は多田源氏の荘園であった波豆庄で、源満仲の弟・源満政が創建したと伝えられる。川辺郡波豆村の村社で、集落を見下ろす高台にあった。昭和6年(1931年)に完成した千刈ダムにより、波豆集落は水没。参道下部も水没し、鳥居は移設された。このため、参道はダム湖(千刈水源池)へ向かっている。
○社殿・境内
本殿 - 棟札により応永10年(1403年)の建立と判明する。正面柱間を3間とする三間社流造社殿で、屋根は?葺とする。三間社流造本殿で建立年代が明らかなものとしては最古である。
鳥居 - 応永32年(1425年)の建立。「波豆石」と呼ばれた流紋岩製で、波豆石の採石場は水没している。
境内にある石塔群は、水没した金福寺跡から移設された。
○文化財
本殿:国の重要文化財。
石造鳥居:県指定文化財。応永32年(1425年)4月4日銘、波豆石製。
金福寺跡より移転
三尊種子板碑:県指定文化財。嘉暦3年(1328年)7月銘、波豆石製。
五輪塔:県指定文化財。康永2年(1343年)3月3日銘、波豆石製。
宝篋印塔:県指定文化財。明徳2年(1391年)3月銘、波豆石製。
宝篋印塔:県指定文化財。南北朝時代、波豆石製。
笠塔婆塔身:市指定文化財。室町時代中期、波豆石製。
宝篋印塔:市指定文化財。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市波豆字谷田東掛2
阪急田園バス2・3・4系統乗車、「波豆」下車徒歩5分
川面神社
川面神社は兵庫県宝塚市にある神社である。旧武庫郡川面村の産土神。宝塚歌劇生や音楽学校生に「出世神社」といわれている。例祭は、川面だんじり祭。
○祭神
高皇産霊神、神皇産霊神、天照大御神の3神。
○歴史
794年3月創建と伝えられる。創建時の社名は不明。
戦国時代、織田信長と荒木村重の戦いにより荒廃、豊臣秀吉の命を受けて普請奉行に就いた片桐且元によって復興された。同時期に大梵天王宮と改称、1722年の寺社改帳では、川面村の産土神は大梵天王社とされている。
江戸時代は境内に弁財天・住吉・八幡・牛王天王の4社の末社を持ち、別当寺の真言宗法楽寺が置かれる程の勢力を有した。
1868年 - 廃仏毀釈により法楽寺を廃寺、祭神に天照大御神を加えて3神として皇大神社へ改称した。
1915年 - 川面神社へ改称する。
○社殿・境内
・本殿
江戸時代後期の建立。拝殿には「大梵天王宮」の額が掲げられている。
・境内
末社は、八幡神社、天満神社、稲荷大神、素盞嗚神社がある。神前左右の御手洗池は片桐且元が寄進したと伝えられる。
○川面だんじり祭
10月22日23日に行われる例祭。川面西(池田、鍋野)、川面南(宮の町、旭町)、川面東(大道、小場)の3基の宝塚型幕式地車が宮入りする。川面神社の地車は2基であったが、1885年、川面村が川辺郡安場村を併合して以来、安場村の産土神であった皇太神社の地車(川面東)1基を加えた3基で、川面神社と皇太神社の2社へ宮入りするようになった。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市宮の町11-7
阪急宝塚線清荒神駅から徒歩5分
阪急今津線宝塚南口駅から徒歩9分
JR宝塚線、阪急宝塚線宝塚駅から徒歩11分
○例祭
10月22日23日
○祭神
高皇産霊神、神皇産霊神、天照大御神の3神。
○歴史
794年3月創建と伝えられる。創建時の社名は不明。
戦国時代、織田信長と荒木村重の戦いにより荒廃、豊臣秀吉の命を受けて普請奉行に就いた片桐且元によって復興された。同時期に大梵天王宮と改称、1722年の寺社改帳では、川面村の産土神は大梵天王社とされている。
江戸時代は境内に弁財天・住吉・八幡・牛王天王の4社の末社を持ち、別当寺の真言宗法楽寺が置かれる程の勢力を有した。
1868年 - 廃仏毀釈により法楽寺を廃寺、祭神に天照大御神を加えて3神として皇大神社へ改称した。
1915年 - 川面神社へ改称する。
○社殿・境内
・本殿
江戸時代後期の建立。拝殿には「大梵天王宮」の額が掲げられている。
・境内
末社は、八幡神社、天満神社、稲荷大神、素盞嗚神社がある。神前左右の御手洗池は片桐且元が寄進したと伝えられる。
○川面だんじり祭
10月22日23日に行われる例祭。川面西(池田、鍋野)、川面南(宮の町、旭町)、川面東(大道、小場)の3基の宝塚型幕式地車が宮入りする。川面神社の地車は2基であったが、1885年、川面村が川辺郡安場村を併合して以来、安場村の産土神であった皇太神社の地車(川面東)1基を加えた3基で、川面神社と皇太神社の2社へ宮入りするようになった。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市宮の町11-7
阪急宝塚線清荒神駅から徒歩5分
阪急今津線宝塚南口駅から徒歩9分
JR宝塚線、阪急宝塚線宝塚駅から徒歩11分
○例祭
10月22日23日
住吉神社
住吉神社は兵庫県宝塚市安倉にある神社である。安倉七郷の氏神で、応神天皇の故事が伝わる。
○祭神
底筒男命、中筒男命、表筒男命の住吉三神を祀り、天忍穂耳尊と素盞嗚命を配祀する。
○歴史
天長2年(825年)の創立。 誉田別尊(応神天皇)が当地で狩猟の間に馬を休ませた故事から、地名を安鞍(あくら)、社号を誉田別安鞍住吉神社と称するようになったと伝えられる。明治44年(1911年)、天満神社と国府神社を合祀した。
○社殿
本殿は三間社流造で、千木・鰹木・唐破風が付く。
○境内社
境内末社に、八幡神社(祭神:誉田別尊)と皇大神社(祭神:天照大神)がある。
○祭事・年中行事
10月12日には例祭・安倉だんじり祭が行われ、住吉型地車2基が宮入りする。
○交通
伊丹市営バス17・18系統「西野団地バス停」下車徒歩15分
○所在地
兵庫県宝塚市安倉中2-10-10
○例祭
10月12日
○祭神
底筒男命、中筒男命、表筒男命の住吉三神を祀り、天忍穂耳尊と素盞嗚命を配祀する。
○歴史
天長2年(825年)の創立。 誉田別尊(応神天皇)が当地で狩猟の間に馬を休ませた故事から、地名を安鞍(あくら)、社号を誉田別安鞍住吉神社と称するようになったと伝えられる。明治44年(1911年)、天満神社と国府神社を合祀した。
○社殿
本殿は三間社流造で、千木・鰹木・唐破風が付く。
○境内社
境内末社に、八幡神社(祭神:誉田別尊)と皇大神社(祭神:天照大神)がある。
○祭事・年中行事
10月12日には例祭・安倉だんじり祭が行われ、住吉型地車2基が宮入りする。
○交通
伊丹市営バス17・18系統「西野団地バス停」下車徒歩15分
○所在地
兵庫県宝塚市安倉中2-10-10
○例祭
10月12日
皇太神社
皇太神社は兵庫県宝塚市にある神社である。皇大神社同様、伊勢神宮を総本社とする。表記は異なるが、他の皇大神社と混同を避けるため川面皇太神社とも称する。
○祭神
天照大神、天児屋根命。
○歴史
10世紀後半、多田盆地(現在の兵庫県川西市多田)を拠点として広大な荘園を開いた源満仲の御家人である中村勘素がこの地域を支配し、八幡神を勧請、明城(あけしろ)大明神を創建したと伝えられる。
1715年、現在地に遷座したという。創建場所は、現川面1丁目という説、現川面5丁目(鍋野宇古宮)という説、両場所にあった神を現在地に合祀したという説がある。
旧川辺郡安場村の産土神とされ、文献によっては明白大明神、赤白大明神、赤城大明神などと記されている。
明治元年の神仏分離により、天照大神、天児屋根命を奉斎して皇太神社へ改称、明城大明神を末社とした。
○社殿・境内
江戸時代建立の社殿は兵庫県南部地震で倒壊、再建された。
末社は明城大明神のほか、多田神社、加太神社、愛宕神社、大山祇神社、熊野神社、住吉神社、天満神社。
○祭事・年中行事
10月22日23日に、川面だんじり祭が行われる。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市川面4-7-6
JR宝塚線、阪急宝塚線宝塚駅から徒歩8分
阪急宝塚線清荒神駅から徒歩9分
例祭 10月23日
主な神事 祈年祭:2月27日、夏祭:7月21日、新嘗祭:12月4日
○祭神
天照大神、天児屋根命。
○歴史
10世紀後半、多田盆地(現在の兵庫県川西市多田)を拠点として広大な荘園を開いた源満仲の御家人である中村勘素がこの地域を支配し、八幡神を勧請、明城(あけしろ)大明神を創建したと伝えられる。
1715年、現在地に遷座したという。創建場所は、現川面1丁目という説、現川面5丁目(鍋野宇古宮)という説、両場所にあった神を現在地に合祀したという説がある。
旧川辺郡安場村の産土神とされ、文献によっては明白大明神、赤白大明神、赤城大明神などと記されている。
明治元年の神仏分離により、天照大神、天児屋根命を奉斎して皇太神社へ改称、明城大明神を末社とした。
○社殿・境内
江戸時代建立の社殿は兵庫県南部地震で倒壊、再建された。
末社は明城大明神のほか、多田神社、加太神社、愛宕神社、大山祇神社、熊野神社、住吉神社、天満神社。
○祭事・年中行事
10月22日23日に、川面だんじり祭が行われる。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市川面4-7-6
JR宝塚線、阪急宝塚線宝塚駅から徒歩8分
阪急宝塚線清荒神駅から徒歩9分
例祭 10月23日
主な神事 祈年祭:2月27日、夏祭:7月21日、新嘗祭:12月4日
素盞嗚神社
素盞嗚神社は兵庫県宝塚市内に7社ある、素盞嗚命を主祭神とする祇園信仰の神社である。 暴れ川として知られた武庫川の本流・支流域に分布している。これらの神社は、江戸時代までは牛頭天王社と称され牛頭天王を祭神としていた。 明治初期の廃仏毀釈により祭神名を素盞嗚命へ改め、社名も素盞嗚を冠した。
○素盞嗚神社 (宝塚市高司)
旧川辺郡蔵人村の村社。
創建時期は不詳。武庫川の氾濫で甚大な被害を受けていた村人が、荒ぶる武庫川を鎮めるため祀ったといわれている。
明治初期、素盞嗚神社へ改称。牛頭天王社を末社とした。
・社殿・境内
本殿:素盞嗚命を祀る。一間社流造?葺(唐破風付)で、享保7年(1722年)の寺社改帳の記載と現在の本殿寸法等が一致することから、江戸時代初期(17世紀初頭)の建立と推定できる。
相殿:本殿の左右にあり、それぞれ天照大神と蛭児大神を祀る。一間社流見世棚造?葺で、17~18世紀の建立と推定される。
末社:牛頭天王社のほか、宗像、金刀比羅、天満など十数社ある。
・祭事
1月1日:元旦祭
1月15日:小正月・しめ縄焼神事
8月4日:夏祭
9月第1日曜日:砂持祭
10月18日:秋祭
12月31日:除夜祭(福火)
・文化財
本殿、相殿の3棟が兵庫県の有形文化財に指定されている。
・所在地・交通
兵庫県宝塚市高司(たかつかさ)2-14-6
阪急今津線小林駅から徒歩18分
○素盞嗚神社 (宝塚市長谷)
旧川辺郡長谷村の村社。弘治年間に現在地へ遷座したと伝えられる。普光寺と同じ境内にあり、神仏習合の典型的な配置である。
・社殿・境内
本殿:近畿地方で数少ない、三間社切妻造平入(一間向拝付)で、江戸時代初期の建立。細部には八阪神社 (宝塚市)と同一の様式が見られる。
長床:本殿前にある舞台で、農村歌舞伎が行われていた。長床の床下をくぐって参拝する、珍しい参道になっている。
宝篋印塔:観応元年(1350年)の銘がある。「波豆石」と呼ばれる流紋岩製。
・文化財
本殿と宝篋印塔が、兵庫県の重要有形文化財に指定されている。
・所在地・交通
兵庫県宝塚市長谷字道谷4
阪急田園バス10・11系統乗車、「長谷公民館前」下車
○素盞嗚神社 (宝塚市上佐曽利)
旧川辺郡上佐曽利(かみさそり)村、下佐曽利村の村社。萬正寺と隣接している。社伝によると、本殿は天正17年(1589年)の建立。正徳年間に改修したと伝えられる。
・所在地
兵庫県宝塚市上佐曽利寺ノ上5
○素盞嗚神社 (宝塚市切畑)
旧川辺郡切畑村(北畑村と南畑村が合併)の村社。願宗寺と隣接している。
・所在地
兵庫県宝塚市切畑字堂山33-1
○素盞嗚神社 (宝塚市小林)
旧川辺郡小林村の村社のひとつで「東氏神」と言われていた。現在の宝塚神社。明治に牛頭天王社から素盞嗚神社へ改称、昭和41年(1966年)に「西氏神」であった日吉神社(旧:山王権現社)と神社合祀し、宝塚神社へ改称した。
・旧所在地
兵庫県宝塚市小林3-4
○素盞嗚命神社 (宝塚市玉瀬)
旧川辺郡玉瀬村の村社のひとつ。満福寺と隣接している。明治に入り須佐之男神社改称、大正14年(1925年)に同じ村社の大己貴命神社(旧:八王子神社)と神社合祀し、素盞嗚命神社へ改称した。
・所在地
兵庫県宝塚市玉瀬字前田1
○素盞嗚命神社 (宝塚市大原野旧川辺郡大原野村の村社。社叢は、宝塚市の天然記念物に指定されている。
社伝では、応永5年(1398年)に牛頭天王像を遷座させたとあり、14世紀には創建されていたと考えられる。その後戦乱で荒廃し、慶安5年(1562年)に牛頭天王社として再興された。明治42年(1909年)、2社の天満神社を神社合祀した。
・所在地
兵庫県宝塚市大原野字南宮1
○素盞嗚神社 (宝塚市高司)
旧川辺郡蔵人村の村社。
創建時期は不詳。武庫川の氾濫で甚大な被害を受けていた村人が、荒ぶる武庫川を鎮めるため祀ったといわれている。
明治初期、素盞嗚神社へ改称。牛頭天王社を末社とした。
・社殿・境内
本殿:素盞嗚命を祀る。一間社流造?葺(唐破風付)で、享保7年(1722年)の寺社改帳の記載と現在の本殿寸法等が一致することから、江戸時代初期(17世紀初頭)の建立と推定できる。
相殿:本殿の左右にあり、それぞれ天照大神と蛭児大神を祀る。一間社流見世棚造?葺で、17~18世紀の建立と推定される。
末社:牛頭天王社のほか、宗像、金刀比羅、天満など十数社ある。
・祭事
1月1日:元旦祭
1月15日:小正月・しめ縄焼神事
8月4日:夏祭
9月第1日曜日:砂持祭
10月18日:秋祭
12月31日:除夜祭(福火)
・文化財
本殿、相殿の3棟が兵庫県の有形文化財に指定されている。
・所在地・交通
兵庫県宝塚市高司(たかつかさ)2-14-6
阪急今津線小林駅から徒歩18分
○素盞嗚神社 (宝塚市長谷)
旧川辺郡長谷村の村社。弘治年間に現在地へ遷座したと伝えられる。普光寺と同じ境内にあり、神仏習合の典型的な配置である。
・社殿・境内
本殿:近畿地方で数少ない、三間社切妻造平入(一間向拝付)で、江戸時代初期の建立。細部には八阪神社 (宝塚市)と同一の様式が見られる。
長床:本殿前にある舞台で、農村歌舞伎が行われていた。長床の床下をくぐって参拝する、珍しい参道になっている。
宝篋印塔:観応元年(1350年)の銘がある。「波豆石」と呼ばれる流紋岩製。
・文化財
本殿と宝篋印塔が、兵庫県の重要有形文化財に指定されている。
・所在地・交通
兵庫県宝塚市長谷字道谷4
阪急田園バス10・11系統乗車、「長谷公民館前」下車
○素盞嗚神社 (宝塚市上佐曽利)
旧川辺郡上佐曽利(かみさそり)村、下佐曽利村の村社。萬正寺と隣接している。社伝によると、本殿は天正17年(1589年)の建立。正徳年間に改修したと伝えられる。
・所在地
兵庫県宝塚市上佐曽利寺ノ上5
○素盞嗚神社 (宝塚市切畑)
旧川辺郡切畑村(北畑村と南畑村が合併)の村社。願宗寺と隣接している。
・所在地
兵庫県宝塚市切畑字堂山33-1
○素盞嗚神社 (宝塚市小林)
旧川辺郡小林村の村社のひとつで「東氏神」と言われていた。現在の宝塚神社。明治に牛頭天王社から素盞嗚神社へ改称、昭和41年(1966年)に「西氏神」であった日吉神社(旧:山王権現社)と神社合祀し、宝塚神社へ改称した。
・旧所在地
兵庫県宝塚市小林3-4
○素盞嗚命神社 (宝塚市玉瀬)
旧川辺郡玉瀬村の村社のひとつ。満福寺と隣接している。明治に入り須佐之男神社改称、大正14年(1925年)に同じ村社の大己貴命神社(旧:八王子神社)と神社合祀し、素盞嗚命神社へ改称した。
・所在地
兵庫県宝塚市玉瀬字前田1
○素盞嗚命神社 (宝塚市大原野旧川辺郡大原野村の村社。社叢は、宝塚市の天然記念物に指定されている。
社伝では、応永5年(1398年)に牛頭天王像を遷座させたとあり、14世紀には創建されていたと考えられる。その後戦乱で荒廃し、慶安5年(1562年)に牛頭天王社として再興された。明治42年(1909年)、2社の天満神社を神社合祀した。
・所在地
兵庫県宝塚市大原野字南宮1
素盞嗚神社
素盞嗚神社は兵庫県宝塚市内に7社ある、素盞嗚命を主祭神とする祇園信仰の神社である。 暴れ川として知られた武庫川の本流・支流域に分布している。これらの神社は、江戸時代までは牛頭天王社と称され牛頭天王を祭神としていた。 明治初期の廃仏毀釈により祭神名を素盞嗚命へ改め、社名も素盞嗚を冠した。
○素盞嗚神社 (宝塚市高司)
旧川辺郡蔵人村の村社。
創建時期は不詳。武庫川の氾濫で甚大な被害を受けていた村人が、荒ぶる武庫川を鎮めるため祀ったといわれている。
明治初期、素盞嗚神社へ改称。牛頭天王社を末社とした。
・社殿・境内
本殿:素盞嗚命を祀る。一間社流造?葺(唐破風付)で、享保7年(1722年)の寺社改帳の記載と現在の本殿寸法等が一致することから、江戸時代初期(17世紀初頭)の建立と推定できる。
相殿:本殿の左右にあり、それぞれ天照大神と蛭児大神を祀る。一間社流見世棚造?葺で、17~18世紀の建立と推定される。
末社:牛頭天王社のほか、宗像、金刀比羅、天満など十数社ある。
・祭事
1月1日:元旦祭
1月15日:小正月・しめ縄焼神事
8月4日:夏祭
9月第1日曜日:砂持祭
10月18日:秋祭
12月31日:除夜祭(福火)
・文化財
本殿、相殿の3棟が兵庫県の有形文化財に指定されている。
・所在地・交通
兵庫県宝塚市高司(たかつかさ)2-14-6
阪急今津線小林駅から徒歩18分
○素盞嗚神社 (宝塚市長谷)
旧川辺郡長谷村の村社。弘治年間に現在地へ遷座したと伝えられる。普光寺と同じ境内にあり、神仏習合の典型的な配置である。
・社殿・境内
本殿:近畿地方で数少ない、三間社切妻造平入(一間向拝付)で、江戸時代初期の建立。細部には八阪神社 (宝塚市)と同一の様式が見られる。
長床:本殿前にある舞台で、農村歌舞伎が行われていた。長床の床下をくぐって参拝する、珍しい参道になっている。
宝篋印塔:観応元年(1350年)の銘がある。「波豆石」と呼ばれる流紋岩製。
・文化財
本殿と宝篋印塔が、兵庫県の重要有形文化財に指定されている。
・所在地・交通
兵庫県宝塚市長谷字道谷4
阪急田園バス10・11系統乗車、「長谷公民館前」下車
○素盞嗚神社 (宝塚市上佐曽利)
旧川辺郡上佐曽利(かみさそり)村、下佐曽利村の村社。萬正寺と隣接している。社伝によると、本殿は天正17年(1589年)の建立。正徳年間に改修したと伝えられる。
・所在地
兵庫県宝塚市上佐曽利寺ノ上5
○素盞嗚神社 (宝塚市切畑)
旧川辺郡切畑村(北畑村と南畑村が合併)の村社。願宗寺と隣接している。
・所在地
兵庫県宝塚市切畑字堂山33-1
○素盞嗚神社 (宝塚市小林)
旧川辺郡小林村の村社のひとつで「東氏神」と言われていた。現在の宝塚神社。明治に牛頭天王社から素盞嗚神社へ改称、昭和41年(1966年)に「西氏神」であった日吉神社(旧:山王権現社)と神社合祀し、宝塚神社へ改称した。
・旧所在地
兵庫県宝塚市小林3-4
○素盞嗚命神社 (宝塚市玉瀬)
旧川辺郡玉瀬村の村社のひとつ。満福寺と隣接している。明治に入り須佐之男神社改称、大正14年(1925年)に同じ村社の大己貴命神社(旧:八王子神社)と神社合祀し、素盞嗚命神社へ改称した。
・所在地
兵庫県宝塚市玉瀬字前田1
○素盞嗚命神社 (宝塚市大原野旧川辺郡大原野村の村社。社叢は、宝塚市の天然記念物に指定されている。
社伝では、応永5年(1398年)に牛頭天王像を遷座させたとあり、14世紀には創建されていたと考えられる。その後戦乱で荒廃し、慶安5年(1562年)に牛頭天王社として再興された。明治42年(1909年)、2社の天満神社を神社合祀した。
・所在地
兵庫県宝塚市大原野字南宮1
○素盞嗚神社 (宝塚市高司)
旧川辺郡蔵人村の村社。
創建時期は不詳。武庫川の氾濫で甚大な被害を受けていた村人が、荒ぶる武庫川を鎮めるため祀ったといわれている。
明治初期、素盞嗚神社へ改称。牛頭天王社を末社とした。
・社殿・境内
本殿:素盞嗚命を祀る。一間社流造?葺(唐破風付)で、享保7年(1722年)の寺社改帳の記載と現在の本殿寸法等が一致することから、江戸時代初期(17世紀初頭)の建立と推定できる。
相殿:本殿の左右にあり、それぞれ天照大神と蛭児大神を祀る。一間社流見世棚造?葺で、17~18世紀の建立と推定される。
末社:牛頭天王社のほか、宗像、金刀比羅、天満など十数社ある。
・祭事
1月1日:元旦祭
1月15日:小正月・しめ縄焼神事
8月4日:夏祭
9月第1日曜日:砂持祭
10月18日:秋祭
12月31日:除夜祭(福火)
・文化財
本殿、相殿の3棟が兵庫県の有形文化財に指定されている。
・所在地・交通
兵庫県宝塚市高司(たかつかさ)2-14-6
阪急今津線小林駅から徒歩18分
○素盞嗚神社 (宝塚市長谷)
旧川辺郡長谷村の村社。弘治年間に現在地へ遷座したと伝えられる。普光寺と同じ境内にあり、神仏習合の典型的な配置である。
・社殿・境内
本殿:近畿地方で数少ない、三間社切妻造平入(一間向拝付)で、江戸時代初期の建立。細部には八阪神社 (宝塚市)と同一の様式が見られる。
長床:本殿前にある舞台で、農村歌舞伎が行われていた。長床の床下をくぐって参拝する、珍しい参道になっている。
宝篋印塔:観応元年(1350年)の銘がある。「波豆石」と呼ばれる流紋岩製。
・文化財
本殿と宝篋印塔が、兵庫県の重要有形文化財に指定されている。
・所在地・交通
兵庫県宝塚市長谷字道谷4
阪急田園バス10・11系統乗車、「長谷公民館前」下車
○素盞嗚神社 (宝塚市上佐曽利)
旧川辺郡上佐曽利(かみさそり)村、下佐曽利村の村社。萬正寺と隣接している。社伝によると、本殿は天正17年(1589年)の建立。正徳年間に改修したと伝えられる。
・所在地
兵庫県宝塚市上佐曽利寺ノ上5
○素盞嗚神社 (宝塚市切畑)
旧川辺郡切畑村(北畑村と南畑村が合併)の村社。願宗寺と隣接している。
・所在地
兵庫県宝塚市切畑字堂山33-1
○素盞嗚神社 (宝塚市小林)
旧川辺郡小林村の村社のひとつで「東氏神」と言われていた。現在の宝塚神社。明治に牛頭天王社から素盞嗚神社へ改称、昭和41年(1966年)に「西氏神」であった日吉神社(旧:山王権現社)と神社合祀し、宝塚神社へ改称した。
・旧所在地
兵庫県宝塚市小林3-4
○素盞嗚命神社 (宝塚市玉瀬)
旧川辺郡玉瀬村の村社のひとつ。満福寺と隣接している。明治に入り須佐之男神社改称、大正14年(1925年)に同じ村社の大己貴命神社(旧:八王子神社)と神社合祀し、素盞嗚命神社へ改称した。
・所在地
兵庫県宝塚市玉瀬字前田1
○素盞嗚命神社 (宝塚市大原野旧川辺郡大原野村の村社。社叢は、宝塚市の天然記念物に指定されている。
社伝では、応永5年(1398年)に牛頭天王像を遷座させたとあり、14世紀には創建されていたと考えられる。その後戦乱で荒廃し、慶安5年(1562年)に牛頭天王社として再興された。明治42年(1909年)、2社の天満神社を神社合祀した。
・所在地
兵庫県宝塚市大原野字南宮1
伊和志津神社
○祭神
須佐之男命。
○歴史
伊和志津神社は延喜式神名帳で既に大社に列格しているため、創建は遅くとも9世紀以前であるが、 一帯は8世紀後半から伊蘇志臣(いそしのおみ)が拠点としていた地であり 、この時期に伊蘇志臣が創建した可能性がある。安土桃山時代、加藤清正が文禄・慶長の役で朝鮮から持ち帰った虎を境内で飼育したと伝えられる。
○社殿・境内
本殿は、一間社春日造、?葺で、江戸時代中期の建築と考えられる。1995年、神社を迂回している県道の直通化工事に伴い、交差する参道は立体交差化し、拝殿等が新築された。
末社は、愛宕神社、宝塚水天宮。
○祭事・年中行事
4月23日24日 - 春祭
6月30日 - 大祓
7月27日28日 - 夏祭
8月24日 - 愛宕祭
10月23日24日 - 秋季大祭
12月15日 - 御火焚祭
○文化財
本殿は宝塚市指定文化財。
3,000坪の境内は、市指定の保存樹林となっている。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市伊孑志1-4-3
阪急今津線逆瀬川駅から徒歩6分
○例祭
10月23日24日
須佐之男命。
○歴史
伊和志津神社は延喜式神名帳で既に大社に列格しているため、創建は遅くとも9世紀以前であるが、 一帯は8世紀後半から伊蘇志臣(いそしのおみ)が拠点としていた地であり 、この時期に伊蘇志臣が創建した可能性がある。安土桃山時代、加藤清正が文禄・慶長の役で朝鮮から持ち帰った虎を境内で飼育したと伝えられる。
○社殿・境内
本殿は、一間社春日造、?葺で、江戸時代中期の建築と考えられる。1995年、神社を迂回している県道の直通化工事に伴い、交差する参道は立体交差化し、拝殿等が新築された。
末社は、愛宕神社、宝塚水天宮。
○祭事・年中行事
4月23日24日 - 春祭
6月30日 - 大祓
7月27日28日 - 夏祭
8月24日 - 愛宕祭
10月23日24日 - 秋季大祭
12月15日 - 御火焚祭
○文化財
本殿は宝塚市指定文化財。
3,000坪の境内は、市指定の保存樹林となっている。
○所在地・交通
兵庫県宝塚市伊孑志1-4-3
阪急今津線逆瀬川駅から徒歩6分
○例祭
10月23日24日
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