太閤秀吉公の重臣、桑山修理太夫重晴が、秀吉公の武運長久を願って私財を投じて建てられたのが珊瑚寺のはじまりです。曹洞宗だそうです。重晴は朝鮮出兵の際に朝鮮より持ち帰った小児薬を「桑山丸子(くわやまがんじ)」の名で売り出したところ、評判がよく、のちに近松門左衛門の「心中天網島」の中に、子供に「くわやま」を飲ませるように、とあるように、たちまち有名になりました。この薬は長く大正時代まで作られていました。また、天王寺七坂のひとつ、口縄坂の傍に珊瑚寺は位置しますが、その坂に面した「延命地蔵尊」は古くより、安産、子育てのお地蔵さまとして広く人々に祈られてきました。このように珊瑚寺は創建当時より、特に子供にゆかりがあるお寺として今日に至ります。先の戦災で消失しましたが、境内には、秀吉公座像、淀殿直筆の書物など秀吉公にゆかりのある品々を保管していた「太閤堂」という建物がありました。安産・子安・子育・子授・諸願祈願で有名です。
住所:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町1-21
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