昭和時代初期の大阪は、「東洋のマンチェスター」と呼ばれる、日本の繊維工業の中心地であった。明治時代初期の紡績業は家内工業に頼っていたが、安価で良質な外国産綿糸には対抗できず新政府は、西洋式紡績業の発展を促進させた。実業化渋沢栄一らは、1883(明治16)年に大阪紡績会社(現、東洋紡績株式会社)を、資本金28万円・錘数1万5千の規模で発足させた。これは会社組織による紡績事業の草分けであった。三軒家紡績とも呼ばれ、動力には蒸気を用い、利益優先のために機械を止めず、夜業に用いる「ひもランプ」(自家発電による電機ランプを3000個天井から吊るしていた)が珍しがられて、創業3日間に5万人が夜間見学に押し寄せた。
所在地:大阪府大阪市大正区三軒家東2-12(三軒家東小学校南側の三軒家公園南西角)
最寄駅:JR大阪環状線対象駅徒歩12分
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