晴明丘公園にある経塚。この石碑は元は、現在北畠顕家の墓となっている「将軍塚」の近くの塚に建てられていたが、道路工事などで転々とし、昭和の初期ごろから北畠公園の北の民家の前庭に移されていた。1995年(平成7年)に、現在地に移転。この塚の由来については、聖徳太子が諸経の文字を、一字ずつ一石に書いて、塚に納めたとする説と、阿倍王子神社の縁起書である「阿倍権現記」に826年(天長3年)の夏、疫病流行に際し、弘法大師が、王子神社に入り一千部の薬師経を書写し、塚に納めたとする二つの説がある。いずれにしてもこれらの塚は現在地とは何の関係もなく、石碑のみが由緒あるものらしい。
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町、晴明丘公園内
最寄駅:市バス「北畠公園前」下車、信号を渡り西へ、阪堺線手前「もと熊野街道」を北へすぐ、公園の入り口にあり
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