2017年8月27日日曜日

鯛屋貞柳墓所

南御堂前で手広く営む菓子商に生まれ(承応(じょうおう)3年、1654)鯛屋はその屋号。父もその弟も名の知られた俳人で、貞柳はその影響をうけて早くから狂歌に才能を示した。狂歌はそれまで俳諧師の余技にすぎなかったが、貞柳から後は職業的な狂歌師が輩出した。その後狂歌の主流は関東に移り、太田蜀山人(しょくさんじん)らが出て隆盛をきわめたが、貞柳はその源流として位置づけられる。晩年は生家が火災にあい没落し高津に隠棲したが、かえってわずらわしさから逃れられると喜ぶ様子もみられたという。享保(きょうほう)19年(1734)没、81歳。
所在地:大阪府大阪市天王寺区下寺町一丁目3-64光伝寺
最寄駅:地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽丘」下車北西約250m


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