桑原の西南方、安威、西山の丘陵の舌状台地の中央に一基単独に存在する古墳である。地籍は西山であるが、西山は相当広い範囲であるので、古墳の見下ろす水田地帯の名を冠する事にした。墳形は正確ではないが、径一四米、高さ2.5米位の方形墳ではないかと見ている。主体部はすでに破壊されて凹所となって存する。墳形立地と共にこの遺跡一面白いのは、古墳の東方五〇米位の地点は墳多く散布する箇所が存することある。古墳との直接関係は今後の開査を待たればならないが、他にいかなる遺跡もなく、この小台地上に近接して存する両者は全く無関係の遺跡中とは考えられない。ここに見られる墳は、昭和九年に阿武山の頂上で発見された阿武山古墳に使用されていたものに近い形状を示するのを中に合んでいる。完形品がないので正確には云えないが、大きさは現代の練瓦の四倍位のものと、それを縦に半切にしたものがあるようで、多くは無紋だが、中には片面に大型須恵器の内面に見られな同心円の敲打文のあるものや、蛇目形の窯印のようなものの存するものがある。焼成は須恵質で中には黒色の自然釉の出ているものとある。またこれ等の墳は一部、或は全体に二次的に火をうけた跡が認められるが、これは当遺跡の性質を考えるのに重要な手懸りとなるもので、火葬の遺跡ではないかと考えられている。火葬にした遺骨を古墳の石室内に納めることは古墳の終末期に於ては時に見られる現象である。この遺跡の東南、字初田の畑地の中に一ケ所大石の集積された地点があるが、恐らぐ横穴式石室の破壊された跡と思われる。姓氏録にとると、桑原史の名が見えているが、この地に土着した帰化人と思われ、これらの古墳も恐らく彼等のおくつきととして営まれたものであったであろう。
所在地:茨木市山手台(もともとは茨木市安威のあたりにあったらしいがこの場所に移転したらしい)
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