2015年5月1日金曜日

大寶寺

○寺院・諸堂来歴
文禄2年(1593)3月15日、桓蓮社霊誉上人が島之内大宝寺町に創建。元和年間(1615~1623)、徳川幕府による大坂夏の陣後の戦災復興都市計画の一環として現在地に移転した。跡地には近年まで「大宝寺町」の地名が残っていた。大阪大空襲の難を逃れた数少ない寺院のひとつでもある。享保年間(1716~1735)建築の地蔵堂・観音堂などとともに、類焼を防いだ円形の防火水槽が今日も姿をとどめている。上宮学園の前身、浄土宗教校大阪支校発祥の地としても知られる。
所在地:大阪市天王寺区生玉寺町7番17号



小春・治兵衛の比翼塚と鯉塚

享保5(1720)年10月14日、天満の紙屋の主人治兵衛と曽根崎新地の遊女小春が大長寺で心中しました。近松門左衛門がさっそくこれを浄瑠璃にしたてたのが名作「心中天網島」で、人々が2人をあわれんで建てたのがこの比翼塚です。大長寺は、もと網島(現在の藤田美術館敷地内)にありましたが、明治42年現在の場所に移転し、それとともに塚も移されました。比翼塚のとなりには鯉塚があります。寛文8年(1668)淀川で捕らえられた巴の紋のついた大きな鯉が、見世物にされた後に死んだところ、大長寺の住職の夢枕に、大坂夏の陣で討ち死にし成仏できない武士が現れたことから、「滝登鯉山居士」の法名を与えねんごろに弔ったものと伝えられています。
所在地:大阪府大阪市都島区中野町2-1大長寺境内

大長寺

○寺院・諸堂来歴
慶長10年(1605)10月、毛利輝元(てるもと)の一族佐々木高久が外祖父毛利定春の冥福を祈り下屋敷を寺院として建立したのに始まる。かつての境内は現在の桜宮公園と推測されるが、「定春亭」の一宇があり、秀吉や家康が訪れた記録が残る。明治42年(1909)明治の豪商藤田男爵家の寄進により現在地に移転。山門・本堂・観音堂・藤田殿・庫裏・鐘楼など壮大な伽藍を誇ったが、昭和20年(1945)6月の空襲で一切の堂宇を焼失した。昭和46年(1971)に本堂他を再建。
所在地:大阪市都島区中野町2丁目1番14号





大善寺

○寺院・諸堂来歴
天正10年(1582)正誉上人が創建した。 昭和20年(1945)大阪大空襲により、本尊阿弥陀仏像と山門以外すべての堂宇を焼失した。山門は創建当時のものと推測される。第二十五世實譽昌弘上人により昭和48年(1973)に、本堂・庫裏等を再建、平成7年(1995)に、戦後仮修復状態の山門を、戦前の状態に復元修理。同年、観音堂(納骨堂)を建立した。
所在地:大阪市天王寺区城南寺町8番26号



大鏡寺

○寺院・諸堂来歴
文禄2年(1593)深蓮社心誉上人が開山。天満天神の森の北にあった明星池の畔に創建された。最初は明星山来迎院圓照寺と号したが、第二世来願上人のとき名僧幡随意(ばんずいい)上人を百万遍知恩寺から招き、堂宇を新築。寺号を明耀山来迎院大圓鏡寺と改めた。大鏡寺はその略称である。昭和20年(1945)6月の空襲ですべての堂宇を焼失。昭和35年(1960)に現在地に移転。昭和38年(1963)に本堂・庫裏などの伽藍をととのえた。「日本善光寺四十八願所」第8番札所・元「大坂円光大師三十三所」第6番札所でもあった。
所在地:大阪府吹田市五月が丘南23番1号


大雲寺

○寺院・諸堂来歴
寛文元年(1661)大和国當麻寺より源栄上人が入寺して浄土宗寺院となる。以前は日蓮宗常在寺という名の寺院であったが、創建の年月など詳細は不明。安政元年(1854)の大地震で山門が倒壊するが、翌2年(1855)大阪城の武家門を移築したという来歴が今日に伝わる。昭和20年(1945)3月、大阪大空襲により山門・観音堂を除く諸堂を焼失した。現在の本堂は日蓮宗妙福寺から昭和43年(1968)に譲渡され移築したものである。
所在地:大阪市中央区中寺1丁目3番6号





大安寺

○寺院・諸堂来歴
慶長元年(1596)徳蓮社大誉久巖上人が創建。享保3年(1718)6月、本堂・書院・弁天堂など伽藍を再建するが、明治32年(1899)6月、失火により焼失。明治41年(1908)に本堂・玄関を再建。大正12年(1923)書院・庫裏(くり)を再建した。昭和20年(1945)大阪大空襲ですべての堂宇を焼失。昭和36年(1961)9月に本堂を、54年(1979)から61年(1986)にかけて庫裏(くり)・書院を再建した。天文5年(1740)、当山寂誉上人が『大坂四十八箇寺阿弥陀巡礼記』を著し、旧「阿弥陀四十八願所巡礼」を発願した。
所在地:大阪市天王寺区生玉寺町7番25号



増福寺

○寺院・諸堂来歴
慶長7年(1602)、良誉冥託上人が創建。本堂は明和5年(1768)に焼失したが、安永2年(1773)に再建した。類焼を免れた山門は、大阪大空襲の戦災からものがれ、創建当時の姿を現在までとどめる。江戸期より上方の出版界に功績のあった檀家が多く、大阪における「版元の寺」「本屋の寺」ともいえる歴史を有している。
所在地:大阪市天王寺区生玉寺町5番24号
http://www1a.biglobe.ne.jp/zoufukuji-osaka/


全慶院

○寺院・諸堂来歴
元和3年(1617)六角家につながる佐々木善隆を開基として廣蓮社大誉上人が開山した。昭和20年(1945)大阪大空襲で本堂と庫裏を焼失する。昭和30年代のはじめ、門前の道路拡張により、戦災の火難を免れた地蔵堂を取り壊す。同じく創建来の歴史を刻んだ山門は、昭和36年(1961)の第二室戸台風で倒壊したが、平成15年(2003)本堂他を再建、面目を一新した。
所在地:大阪市天王寺区城南寺町7番7号




善福寺

○寺院・諸堂来歴
天正19年(1591)9月20日、一誉宗念上人が創建。昭和20年(1945)3月、大阪大空襲により本堂及び庫裏を焼失する。以降再建まで、唯一延焼を免れた鐘つき堂を仮の本堂として本尊を祀った。昭和37年(1962)4月、本堂・庫裏を現在地に再建する。
所在地:大阪市天王寺区下寺町2丁目1番41号




善導寺

○寺院・諸堂来歴
養和元年(1181)奈良東大寺の俊乗房重源(ちょうげん)上人開基の摂津渡辺道場を発端とする。文禄元年(1592)伝誉慶公上人が念仏道場として開山した。安政2年(1855)6月に本堂・庫裏(くり)・三重塔・鐘楼堂・観音堂などの伽藍を整えるが、昭和20年(1945)大阪大空襲ですべての堂宇を焼失した。「大坂三十三ヵ所観音巡り」の札所であったが、このとき堂内の長谷観音立像も焼失した。昭和30年(1955)に客殿、35年(1960)に庫裏、52年(1977)に本堂の復興を終えた。
所在地:大阪市北区与力町2番5号





専念寺

○寺院・諸堂来歴
文禄3年(1594)河内国狭山藩祖北条氏規の請願により、寂蓮社頂誉上人が開山した。もとは北条義時が建保4年(1216)に伊豆国の北条時政の墓所に建立したのを端緒に、氏規が住持頂誉上人を大坂に迎え、自邸に寺を建立したのが開山の由緒とされる。寛永年間(1624~1644)には檀徒の手で堂宇が造営された記録も残されている。のちに三代将軍家光の都市計画で現在地に移転した。大阪大空襲の戦災からは免れたが、堂宇の老朽により平成5年(1993)、古建築の風合いを生かした壮大な新本堂が現出した。
所在地:大阪市中央区上本町西4丁目1番15号





誓願寺

○寺院・諸堂来歴
天正8年(1580)無宅天牛上人が創建。大坂夏の陣の戦火ですべての堂宇を焼失するが、元禄6年(1693)に再建。昭和20年(1945)大阪大空襲で再び伽藍の大半を焼失。昭和39年(1964)に本堂を再建した。江戸前中期「好色一代男」で一世を風靡した戯作者井原西鶴の墓所がある寺として著名である。本堂の他、納骨堂を兼ねた観音堂がある。
所在地:大阪市中央区上本町西4丁目1番21号



西念寺

○寺院・諸堂来歴
文禄年間(1592~1596)称誉西念上人が創建した。開山当初は北船場の浄国寺町にあったと伝えられる。元禄14年(1701)刊行の地誌『摂陽群談』は当寺について「開山称誉西念大徳、本尊弥陀立身、運慶仏工の所造也。定朝(じょうちょう)彫刻の弥陀、方丈に安置す」と述べる。昭和20年(1945)大阪大空襲で本堂他すべての伽藍を焼失したが、昭和29年(1954)本堂を再建した。
所在地:大阪市天王寺区下寺町2丁目2番36号




西徃寺

○寺院・諸堂来歴
元和6年(1620)秀誉呑牛(どんぎゅう)上人が開山。呑牛上人は江戸初期浄土宗の高僧で、檀林鎌倉光明寺を住持していたが、弟子秀天上人が現在地で信者の帰依を得て一寺を建立、師呑牛上人を招いて開山したのが創建の経緯と寺歴は述べる。かつて一心寺など格式の高い由緒寺院住職が一線を退いたのちに住持した隠居寺の性格をもっていたとも伝えられる。白線4本の赤壁が格別の由緒をいまに伝える。昭和20年(1945)大阪大空襲で大半の堂宇を焼失。昭和45年(1970)に本堂などを再建した。
所在地:大阪市天王寺区下寺町1丁目3番56号



西光院

○寺院・諸堂来歴
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の年に開創。慶長4年(1599)に禅牛上人が開山との記録もあるが、詳細は不明。大阪冬の陣に際して、現在地に移転した。移転前は魚市場「ざこば(雑魚場)」の近隣にあり、名残として現在も外壁の瓦にざこば講の銘がある。水産、漁業に縁の深い塩竃大明神、海龍王を祀ることからも寺の由緒がしのばれる。大阪大空襲の戦災に遭い、山門以外の堂宇を焼失。昭和41年(1966)に本堂を再建した。明治期浄土宗の高僧吉川大順師が住持していた寺としても知られる。
所在地:大阪市中央区上本町西5丁目1番2号



正念寺

○寺院・諸堂来歴
寛永20年(1643)廊誉岸光上人が創建した。兵火により堂宇を焼失するが、天明年間(1781~1789)に再建。昭和20年(1945)大阪大空襲で山門・観音堂を残し、他の堂宇を焼失。昭和37年(1962)、本堂・庫裏を再建した。戦火を免れた観音堂には5尺に余る観世音菩薩・毘沙門天(いずれも平安時代後期の作)及び地蔵尊があったが、現在は三体ともに本堂内陣に安置されている。
ー文豪谷崎潤一郎が昭和9年(1936)、離れで『文章読本』を書き上げた谷崎ゆかりの寺としても知られる。山門は天明年間の建立。総けやき造りの貴重なものである。
所在地:大阪市天王寺区上本町5丁目3番23号




浄國寺

○寺院・諸堂来歴
永禄3年(1560)寂蓮社円誉上人が創建した。明治期にいたるまでの大坂の名所旧跡・時事・風俗などを記した『浪華百事談』に「順慶町通りより御堂筋の西を浄國寺町と呼べり」と述べることからして、もとは西区新町に所在したと推測される。昭和20年(1945)の大阪大空襲に際して寺域に焼夷弾を受けるものの、本尊や伽藍に甚大な被害はなかった。境内に不運を幸運に導くという「まんなおし地蔵」、雨を止ませる「雨止(あめやみ)地蔵」があり近隣の崇敬を集めてきた。
所在地:大阪市天王寺区下寺町1丁目2番36号