三島鴨神社は大阪府高槻市にある神社。祭神は大山祇命・事代主命。旧社格は郷社。嶋下郡(古代三島郡)の式内社論社。伊予、伊豆とともに三三島と呼ばれていた。日本で最初の三島神社(山祇神社)である。
○祭神
大山祇命
大山祇神降臨の地で、『伊予国風土記逸文』には「乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積の神、一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の国より渡り来まして、 津の国の御嶋に坐しき。御嶋と謂うは、津の国の御島の名なり。」とある。津の国御島とは摂津国三島(現高槻市三島江)のこと。
事代主命
『日本書紀』に「事代主神が、三島溝咋耳神の女ー玉櫛姫と結婚して生まれた子を名付けて、媛蹈鞴五十鈴媛命といい、容色すぐれた女子です。」とある。また、この地は三島県主の治めていた地で、『続日本紀』には三島県主が鴨宿禰の姓を賜ったとある。同市の弁天山古墳が鴨氏一族の墓と言われている。
○歴史
創建は不詳ながら延長5年(927年)に編纂された『延喜式』神名帳に記載されている古社である。三島神社の元社と伝えられており、この地は大山祇神降臨の地で、伊予(愛媛県)にある大山祇神社はこの地から移ったとされている。(推古天皇2年(594年)に、摂津国三島江から大三島瀬戸に移ったとされているので、これ以前の創建であるとされる。)この神社はもとは淀川の中洲である川中島にあったとされるが、慶長3年(1598年)の淀川堤防修築の際に現在の地に移されたと言われている。明治41年(1908年)に唐崎神社や天満社等周辺の神社を合祀した。高槻市赤大路町にある鴨神社がこの社の論社となる。
○交通アクセス
JR高槻駅南口から高槻市営バス「柱本団地」行き、「三島江」バス停下車すぐ
○所在地
大阪府高槻市三島江2-7-37
○例祭
10月20日
2012年12月29日土曜日
安岡寺
安岡寺は、大阪府高槻市にある天台宗系単立の寺院。 本尊は如意輪観音(秘仏)。毎年2月1日には、柴灯大護摩供が行われ多数の参詣者でにぎわっている。通称「高槻観音」「弘紹不動」
○歴史
寺伝によれば、桓武天皇の兄で、光仁天皇の子にあたる開成皇子がこの地に霊験を感じ、自ら観音像を彫り堂宇を建て、宝亀6年(775年)2月18日に創建したと伝えられている。南山と号し、根本山・神峯山寺、北山・本山寺とともに北摂三山寺として天台宗に属する。文安年間(1444~1449年)に天災により堂宇を焼失するが永正年間(1504~1521年)に僧高誓が再建した。天正年間(1573~1592年)には、三好氏やキリシタン大名としても有名な高山右近の兵火により堂宇が焼失したが、寛文年間(1661~1673年)に復興された。江戸時代には将軍家の拝領を受け、大日院、藤本坊、阿弥陀院、泉蔵坊の4塔頭をもつ巨刹となったが、明治時代の廃仏毀釈により荒廃し現在の規模となったとされる。
○文化財
木造千手観音坐像(国の重要文化財)
平安時代後期の作。境内の青梅観音堂に安置される。明治期の廃仏毀釈により廃寺となった安正寺より移された。日曜・祝祭日に開帳される。
○札所
新西国三十三箇所客番札所
近畿三十六不動尊霊場第12番札所
摂津国三十三箇所第25番札所
○行事
大護摩供 - 2月1日
春季彼岸会 - 春分の日
花まつり - 4月第1日曜日
大施餓鬼法要 - 8月17日
秋季彼岸会 - 秋分の日
除夜の鐘 - 12月31日
観音講詠歌奉納 - 毎月18日
○その他
御詠歌
「如意の輪は 願ひのままに めぐりきて 身を安岡の 寺におかばや」
○所在地・交通アクセス
〒569-1028 大阪府高槻市浦堂本町41-1
JR高槻駅北口から市営バス 「上の口」「下の口」「塚脇」「原大橋」 行き「浦堂」下
○歴史
寺伝によれば、桓武天皇の兄で、光仁天皇の子にあたる開成皇子がこの地に霊験を感じ、自ら観音像を彫り堂宇を建て、宝亀6年(775年)2月18日に創建したと伝えられている。南山と号し、根本山・神峯山寺、北山・本山寺とともに北摂三山寺として天台宗に属する。文安年間(1444~1449年)に天災により堂宇を焼失するが永正年間(1504~1521年)に僧高誓が再建した。天正年間(1573~1592年)には、三好氏やキリシタン大名としても有名な高山右近の兵火により堂宇が焼失したが、寛文年間(1661~1673年)に復興された。江戸時代には将軍家の拝領を受け、大日院、藤本坊、阿弥陀院、泉蔵坊の4塔頭をもつ巨刹となったが、明治時代の廃仏毀釈により荒廃し現在の規模となったとされる。
○文化財
木造千手観音坐像(国の重要文化財)
平安時代後期の作。境内の青梅観音堂に安置される。明治期の廃仏毀釈により廃寺となった安正寺より移された。日曜・祝祭日に開帳される。
○札所
新西国三十三箇所客番札所
近畿三十六不動尊霊場第12番札所
摂津国三十三箇所第25番札所
○行事
大護摩供 - 2月1日
春季彼岸会 - 春分の日
花まつり - 4月第1日曜日
大施餓鬼法要 - 8月17日
秋季彼岸会 - 秋分の日
除夜の鐘 - 12月31日
観音講詠歌奉納 - 毎月18日
○その他
御詠歌
「如意の輪は 願ひのままに めぐりきて 身を安岡の 寺におかばや」
○所在地・交通アクセス
〒569-1028 大阪府高槻市浦堂本町41-1
JR高槻駅北口から市営バス 「上の口」「下の口」「塚脇」「原大橋」 行き「浦堂」下
野見神社
野見神社は、大阪府高槻市にある神社である。式内社論社で、旧社格は郷社。須佐之男命と野見宿禰命を祭神として祀る。
○由緒
平安時代中期の宇多天皇の時代(887年 - 897年)、この地方に疫病がはやり、神託により牛頭天王(須佐之男命)を祀ったところ、疫病が治まったので、社殿を造営したという。江戸時代までは「牛頭天王社」と称していた。高山右近が高槻城主となったとき、右近はキリスト教を信仰していたため、高槻城内にあった当社の社殿を破壊し社領を没収した。元和5年(1619年)、高槻城主・松平紀伊守が社殿を再建した。明治元年の神仏分離により祭神の名を須佐之男命に変更した。更に野見宿禰命を合祀して「野見神社」に改称した。このため、延喜式神名帳に記載された式内社野見神社の論社の一つとされているが、『大阪府史蹟名勝天然記念物』では、式内・野見神社に擬せるために野見宿禰を合祀して「野見神社」に改称したものであると断じ、式内・野見神社の後裔社は同じ高槻市内の上宮天満宮摂社「野身神社」であるとしている。明治4年、式内社であるとして県社に列格したが、明治5年11月に郷社に降格された。
○境内社
永井神社 高槻藩主永井直清を祀る。
社殿・唐門(四脚門):高槻市指定有形文化財(平成17年6月14日指定)江戸時代
祖霊神社・磐神社・稲荷神社・福神社
小島社 市杵島姫命・大己貴命・磐長姫命
蛭子神社 蛭子大神
○所在地
大阪府高槻市野見町6-6
○例祭
10月10日
○由緒
平安時代中期の宇多天皇の時代(887年 - 897年)、この地方に疫病がはやり、神託により牛頭天王(須佐之男命)を祀ったところ、疫病が治まったので、社殿を造営したという。江戸時代までは「牛頭天王社」と称していた。高山右近が高槻城主となったとき、右近はキリスト教を信仰していたため、高槻城内にあった当社の社殿を破壊し社領を没収した。元和5年(1619年)、高槻城主・松平紀伊守が社殿を再建した。明治元年の神仏分離により祭神の名を須佐之男命に変更した。更に野見宿禰命を合祀して「野見神社」に改称した。このため、延喜式神名帳に記載された式内社野見神社の論社の一つとされているが、『大阪府史蹟名勝天然記念物』では、式内・野見神社に擬せるために野見宿禰を合祀して「野見神社」に改称したものであると断じ、式内・野見神社の後裔社は同じ高槻市内の上宮天満宮摂社「野身神社」であるとしている。明治4年、式内社であるとして県社に列格したが、明治5年11月に郷社に降格された。
○境内社
永井神社 高槻藩主永井直清を祀る。
社殿・唐門(四脚門):高槻市指定有形文化財(平成17年6月14日指定)江戸時代
祖霊神社・磐神社・稲荷神社・福神社
小島社 市杵島姫命・大己貴命・磐長姫命
蛭子神社 蛭子大神
○所在地
大阪府高槻市野見町6-6
○例祭
10月10日
春日神社
春日神社は大阪府高槻市成合北の町に鎮座する神社。
○祭神
天児屋根命・経津主命・武甕槌命・天照大神
○歴史
社伝によれば、岩・日下部の両氏が兵庫浦よりご神体を供奉し、高取山の瑞光石に鎮祭。 その後、神勅によってこの地に遷座。一夜にして忽然と樹木が生じたので不植森という。 宮寺悉檀寺が奉仕し、成合・安満・古曽部の75郷の春日社の本社として大いに栄えた。
応永(1394年~1427年)以後衰退し、成合のみの氏神となる。
元亀(1570年~1573年)年中、高山右近の却火により焼失。その後金竜寺の僧及び氏子により再建。
明治の神社合祀令で磐手杜神社の末社にされた。
明治5年(1872年)村社に列す。
明治42年(1909年)8月、神饌幣帛料供進社に指定される。
明治43年(1910年)8月、中垣外の樫木神社を合祀。
○境内
樫木神社
蛭子神社
今宮神社
若宮神社・岩尾神社
藤森神社 素盞鳴命
山王神社 大山咋神
大井神社
稲荷大社
安置堂(阿弥陀堂) 毘沙門天・不動明王・阿弥陀如来・文殊菩薩・阿?如来・釈迦如来・薬師如来
明応元年(1492年)頃、悉檀寺の持仏を預かる。
○文化財
雨乞い祭具一式 高槻市指定有形民俗文化財(昭和49年3月30日指定)
干魃の時、秘蔵の木彫りの龍、6体の蛇、大蛇の頭を金竜寺の弁天池に浮かべて祈願した。 大正9年(1920年)まで行われた。
○交通アクセス
高槻市営バス成合バス停下車、北に徒歩7分。
○所在地
大阪府高槻市成合北の町1310
○例祭
5月5日
○祭神
天児屋根命・経津主命・武甕槌命・天照大神
○歴史
社伝によれば、岩・日下部の両氏が兵庫浦よりご神体を供奉し、高取山の瑞光石に鎮祭。 その後、神勅によってこの地に遷座。一夜にして忽然と樹木が生じたので不植森という。 宮寺悉檀寺が奉仕し、成合・安満・古曽部の75郷の春日社の本社として大いに栄えた。
応永(1394年~1427年)以後衰退し、成合のみの氏神となる。
元亀(1570年~1573年)年中、高山右近の却火により焼失。その後金竜寺の僧及び氏子により再建。
明治の神社合祀令で磐手杜神社の末社にされた。
明治5年(1872年)村社に列す。
明治42年(1909年)8月、神饌幣帛料供進社に指定される。
明治43年(1910年)8月、中垣外の樫木神社を合祀。
○境内
樫木神社
蛭子神社
今宮神社
若宮神社・岩尾神社
藤森神社 素盞鳴命
山王神社 大山咋神
大井神社
稲荷大社
安置堂(阿弥陀堂) 毘沙門天・不動明王・阿弥陀如来・文殊菩薩・阿?如来・釈迦如来・薬師如来
明応元年(1492年)頃、悉檀寺の持仏を預かる。
○文化財
雨乞い祭具一式 高槻市指定有形民俗文化財(昭和49年3月30日指定)
干魃の時、秘蔵の木彫りの龍、6体の蛇、大蛇の頭を金竜寺の弁天池に浮かべて祈願した。 大正9年(1920年)まで行われた。
○交通アクセス
高槻市営バス成合バス停下車、北に徒歩7分。
○所在地
大阪府高槻市成合北の町1310
○例祭
5月5日
鴨神社
鴨神社は大阪府高槻市に鎮座する神社。島下郡の式内社。
○祭神
大山積命
○歴史
天坊幸彦が「三島郡の史跡と名勝」で、「大阪府神社明細帳」に「旧記も無御座候へども先前より申伝祭神大山祇命鎮座地所は故島下郡ト称シ(該村往古ハ島下郡ナリ徳川氏ノ代島上郡ヘ編入ノ由申伝)・・・三島鴨トモ俗ニ五位鴨社トモ又三島神トモ申伝来候云々」とあることから、延喜式の三島鴨神社はこの鴨神社であると指摘して以来、論社の一つとなっている。
明治5年(1872年)村社となる。
昭和46年(1971年)本殿拝殿を新築す。
○所在地
大阪府高槻市赤大路町42-3
○例祭
4月29日
○祭神
大山積命
○歴史
天坊幸彦が「三島郡の史跡と名勝」で、「大阪府神社明細帳」に「旧記も無御座候へども先前より申伝祭神大山祇命鎮座地所は故島下郡ト称シ(該村往古ハ島下郡ナリ徳川氏ノ代島上郡ヘ編入ノ由申伝)・・・三島鴨トモ俗ニ五位鴨社トモ又三島神トモ申伝来候云々」とあることから、延喜式の三島鴨神社はこの鴨神社であると指摘して以来、論社の一つとなっている。
明治5年(1872年)村社となる。
昭和46年(1971年)本殿拝殿を新築す。
○所在地
大阪府高槻市赤大路町42-3
○例祭
4月29日
笠森稲荷
大阪府高槻市西真上1-7-5にある稲荷社。祭神は宇賀御魂神。創建の年月は不明だが、地元の豪族・笠氏が稚武彦命と鴨別命を祀って創設されたと伝えられる。中世以降は、この地の領主をしていた真上氏の崇敬が厚かったとされる。笠森は瘡守と音を通じて、瘡平癒から、皮膚病のみならず梅毒に至るまで霊験があるとされ、江戸時代後期には各地に広まった。病気平癒を祈って土の団子を供え、治癒すると米の団子を供えることが慣わしになっている。
伊勢寺
伊勢寺は、大阪府高槻市にある曹洞宗の寺院である。山号は金剛山。本尊は聖観音菩薩。
○歴史
この寺は、平安時代の女流歌人である伊勢が結んだ庵を天台宗の寺に改めたものと伝えられる。その後、戦火などにより衰退したが、江戸時代に再興され曹洞宗に改められたと伝えられる。
○伽藍
山門
中門
本堂
伊勢廟堂 など
○所在地
大阪府高槻市奥天神町1-1-19
最寄り駅:JR東海道本線高槻駅・阪急京都線高槻市駅
○歴史
この寺は、平安時代の女流歌人である伊勢が結んだ庵を天台宗の寺に改めたものと伝えられる。その後、戦火などにより衰退したが、江戸時代に再興され曹洞宗に改められたと伝えられる。
○伽藍
山門
中門
本堂
伊勢廟堂 など
○所在地
大阪府高槻市奥天神町1-1-19
最寄り駅:JR東海道本線高槻駅・阪急京都線高槻市駅
上宮天満宮
上宮天満宮は、大阪府高槻市にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。菅原道真を主祭神とし、武日照命・野見宿禰を配祀する。「大宰府天満宮に次いで日本で2番目に古い天満宮」を称している。
○歴史
社伝によれば、正暦4年(993年)5月、勅使・菅原幹正が太宰府に下向して道真の墓に参拝し、贈左大臣正一位の詔を伝え、菅公の御霊代と菅公自筆の自画像を奉じての帰途、この地に達した時に急に牛車が動かなくなった。幹正は、「この地の山上には菅公の祖先である野見宿禰の祖廟がある。牛車が動かないのも理由があることだ。山上に自画像を奉安して祀るのが良い」として道真を祀ったのが当社の始まりとする。元々当地には延喜式神名帳に記載される「野見神社」(現 摂社「野身神社」)があり、後になって道真を祀る天満宮が創建されて、野見神社がそれに吸収されたものと見られる。摂社野身神社は、野見宿禰の墳墓とされる小墳丘の上にある。
永禄11年(1568年)芥川山城の三好討伐の際に織田信長が本陣を構えた。
天正6年(1578年)、高槻城主となったキリシタン大名の高山右近が当社に火を放った。
天正10年(1582年)の山崎の戦いの際、豊臣秀吉は当社の参道である「天神馬場」に本陣を置いた。秀吉は戦勝に感謝し、天正18年(1590年)、社地を寄進し、社殿を修造した。
明治12年(1879年)5月、「野身神社」に改称し、郷社に列格した。第二次世界大戦後、元の上宮天満宮の名に復した。
平成8年(1996年)11月、放火により本殿を焼失した。本殿は平成14年(2002年)、日本初の竹製の本殿として再建された。
○文化財
算額:明治33年(1900年)矢野門人稲葉伊三郎他31名奉納。絵馬堂に掲額。
石造灯篭:(昭和17年5月30日、国の重要美術品に認定) 鎌倉時代の作とされる。旧「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」による認定物件
○所在地
大阪府高槻市天神町1-15-5
○例祭
2月25日-26日(天神祭)
○歴史
社伝によれば、正暦4年(993年)5月、勅使・菅原幹正が太宰府に下向して道真の墓に参拝し、贈左大臣正一位の詔を伝え、菅公の御霊代と菅公自筆の自画像を奉じての帰途、この地に達した時に急に牛車が動かなくなった。幹正は、「この地の山上には菅公の祖先である野見宿禰の祖廟がある。牛車が動かないのも理由があることだ。山上に自画像を奉安して祀るのが良い」として道真を祀ったのが当社の始まりとする。元々当地には延喜式神名帳に記載される「野見神社」(現 摂社「野身神社」)があり、後になって道真を祀る天満宮が創建されて、野見神社がそれに吸収されたものと見られる。摂社野身神社は、野見宿禰の墳墓とされる小墳丘の上にある。
永禄11年(1568年)芥川山城の三好討伐の際に織田信長が本陣を構えた。
天正6年(1578年)、高槻城主となったキリシタン大名の高山右近が当社に火を放った。
天正10年(1582年)の山崎の戦いの際、豊臣秀吉は当社の参道である「天神馬場」に本陣を置いた。秀吉は戦勝に感謝し、天正18年(1590年)、社地を寄進し、社殿を修造した。
明治12年(1879年)5月、「野身神社」に改称し、郷社に列格した。第二次世界大戦後、元の上宮天満宮の名に復した。
平成8年(1996年)11月、放火により本殿を焼失した。本殿は平成14年(2002年)、日本初の竹製の本殿として再建された。
○文化財
算額:明治33年(1900年)矢野門人稲葉伊三郎他31名奉納。絵馬堂に掲額。
石造灯篭:(昭和17年5月30日、国の重要美術品に認定) 鎌倉時代の作とされる。旧「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」による認定物件
○所在地
大阪府高槻市天神町1-15-5
○例祭
2月25日-26日(天神祭)
阿武山古墳
阿武山古墳は、大阪府茨木市と高槻市の境にある阿武山(標高281.1m)の山腹にある。阿武山は安威川と芥川の間に立つ丘陵で、周囲からも良く見え、なおかつ山頂から大阪平野のほぼ全部を見渡すことのできる場所である。この古墳は「貴人の墓」という別名でも知られ、被葬者は藤原鎌足説があるなど、高貴な人物であったことは間違いない。
○発見
1934年に京都大学の地震観測施設の建設中、土を掘り下げていて瓦や巨石につきあたったことからこの古墳が偶然に発見された。通常の古墳にあるような盛り土はなく、浅い溝で直径82mの円形の墓域を形成していた。墓室は墓域中心の地表のすぐ下にあり、切石で組まれて内側を漆喰で塗り固められており、上を瓦で覆われ地表と同じ高さになるように埋め戻されていた。内部には棺台があり、その上に、漆で布を何層にも固めて作られ外を黒漆・内部を赤漆で塗られた夾紵棺(きょうちょかん)が日本で初めて発見された。棺の中には、60歳前後の男性の、肉や毛髪、衣装も残存した状態のミイラ化した遺骨がほぼ完全に残っていた。鏡や剣、玉などは副葬されていなかったが、ガラス玉を編んで作った玉枕のほか、遺体が錦を身にまとっていたこと、胸から顔面、頭にかけて金の糸がたくさん散らばっていたことが確かめられた。
○騒動
この発見は大阪朝日新聞のスクープで知られるところとなり、「貴人の墓」として反響を呼び延べ2万人に達する大勢の見物人が押し寄せた。当初からこの地にゆかりの深い藤原鎌足が被葬者だとする見方もあったが、これは平安時代中ごろから「多武峯略記」などに、「鎌足は最初は摂津国安威(現在の大阪府茨木市)に葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬された」との説が紹介されていたからでもある。(実際に、江戸時代には阿武山の近くの安威集落にある将軍塚古墳が鎌足公の古廟とされて祀られていた。)しかし発掘にはトラブルがあった。京都大学理学部・地震観測所が、観測所敷地内の「貴人の墓」発掘の主導権を握っていたが、考古学の知識に乏しく遺跡に対する扱いが手荒とされていた。 これに対し、最初に相談されただけで以後立ち入り調査をさせてもらえない京都大学考古学研究室と、遺跡を管轄する立場であり見物人の増加や遺物の急速な劣化を憂慮する大阪府は、遺跡の発掘の今後の方向に対し地震観測所と対立を深めつつあった。大阪府庁で文部省や宮内省なども出席して行われた関係者会議で、被葬者がきわめて高位の人物であることは間違いなく、皇室につながる可能性もあるため、これ以上の調査は冒涜であるとの意見が出た。こうしてついに「貴人の墓」は埋め戻されることになった。その前に地震観測所が遺骨などをエックス線撮影したが、内務省の派遣した憲兵隊が見物人から被葬者の尊厳を守るため派遣されており、遺跡に対する学術調査にまで圧力をかけたため、府などによる調査は不十分なまま埋め戻された。
○X線写真分析
1982年、埋め戻す前のエックス線写真の原板が地震観測所から見つかった。1987年分析の結果、被葬者は腰椎などを骨折する大けがをし、治療されてしばらくは生きていたものの、寝たきり状態のまま二次的な合併症で死亡したこと、金の糸の分布状態からこれが冠の刺繍糸だったことが判明した。しかも漆の棺に葬られていたことや玉枕を敷いていたことなども考えると被葬者は最上位クラスの人物であったことは間違いない。これらの分析結果が鎌足の死因(落馬後に死去)と一致すること、この冠がおそらく当時の最高冠位である織冠であり、それを授けられた人物は、史上では百済王子・余豊璋を除けば大織冠・鎌足しかいないことから、被葬者はほぼ藤原鎌足にちがいないと報道された。しかし669年に死んだ鎌足の墓だとすれば、周辺から出土した須恵器が7世紀前半のものであることは矛盾する。ほかにも、被葬者として鎌足の同時代人の蘇我倉山田石川麻呂や阿倍倉梯麻呂をあげる説もあり、阿武山古墳が鎌足の墓所だとはいまだ断定できない。
○発見
1934年に京都大学の地震観測施設の建設中、土を掘り下げていて瓦や巨石につきあたったことからこの古墳が偶然に発見された。通常の古墳にあるような盛り土はなく、浅い溝で直径82mの円形の墓域を形成していた。墓室は墓域中心の地表のすぐ下にあり、切石で組まれて内側を漆喰で塗り固められており、上を瓦で覆われ地表と同じ高さになるように埋め戻されていた。内部には棺台があり、その上に、漆で布を何層にも固めて作られ外を黒漆・内部を赤漆で塗られた夾紵棺(きょうちょかん)が日本で初めて発見された。棺の中には、60歳前後の男性の、肉や毛髪、衣装も残存した状態のミイラ化した遺骨がほぼ完全に残っていた。鏡や剣、玉などは副葬されていなかったが、ガラス玉を編んで作った玉枕のほか、遺体が錦を身にまとっていたこと、胸から顔面、頭にかけて金の糸がたくさん散らばっていたことが確かめられた。
○騒動
この発見は大阪朝日新聞のスクープで知られるところとなり、「貴人の墓」として反響を呼び延べ2万人に達する大勢の見物人が押し寄せた。当初からこの地にゆかりの深い藤原鎌足が被葬者だとする見方もあったが、これは平安時代中ごろから「多武峯略記」などに、「鎌足は最初は摂津国安威(現在の大阪府茨木市)に葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬された」との説が紹介されていたからでもある。(実際に、江戸時代には阿武山の近くの安威集落にある将軍塚古墳が鎌足公の古廟とされて祀られていた。)しかし発掘にはトラブルがあった。京都大学理学部・地震観測所が、観測所敷地内の「貴人の墓」発掘の主導権を握っていたが、考古学の知識に乏しく遺跡に対する扱いが手荒とされていた。 これに対し、最初に相談されただけで以後立ち入り調査をさせてもらえない京都大学考古学研究室と、遺跡を管轄する立場であり見物人の増加や遺物の急速な劣化を憂慮する大阪府は、遺跡の発掘の今後の方向に対し地震観測所と対立を深めつつあった。大阪府庁で文部省や宮内省なども出席して行われた関係者会議で、被葬者がきわめて高位の人物であることは間違いなく、皇室につながる可能性もあるため、これ以上の調査は冒涜であるとの意見が出た。こうしてついに「貴人の墓」は埋め戻されることになった。その前に地震観測所が遺骨などをエックス線撮影したが、内務省の派遣した憲兵隊が見物人から被葬者の尊厳を守るため派遣されており、遺跡に対する学術調査にまで圧力をかけたため、府などによる調査は不十分なまま埋め戻された。
○X線写真分析
1982年、埋め戻す前のエックス線写真の原板が地震観測所から見つかった。1987年分析の結果、被葬者は腰椎などを骨折する大けがをし、治療されてしばらくは生きていたものの、寝たきり状態のまま二次的な合併症で死亡したこと、金の糸の分布状態からこれが冠の刺繍糸だったことが判明した。しかも漆の棺に葬られていたことや玉枕を敷いていたことなども考えると被葬者は最上位クラスの人物であったことは間違いない。これらの分析結果が鎌足の死因(落馬後に死去)と一致すること、この冠がおそらく当時の最高冠位である織冠であり、それを授けられた人物は、史上では百済王子・余豊璋を除けば大織冠・鎌足しかいないことから、被葬者はほぼ藤原鎌足にちがいないと報道された。しかし669年に死んだ鎌足の墓だとすれば、周辺から出土した須恵器が7世紀前半のものであることは矛盾する。ほかにも、被葬者として鎌足の同時代人の蘇我倉山田石川麻呂や阿倍倉梯麻呂をあげる説もあり、阿武山古墳が鎌足の墓所だとはいまだ断定できない。
2012年12月28日金曜日
蟹井神社
蟹井神社とは大阪府河内長野市にある神社。天喜2年(1054年)創建と伝えられる。祭神は神武天皇、応神天皇、神功皇后。当初は甲斐神社と呼ばれていたが、延宝4年(1676年)に焼失後、再建されて蟹井神社に改称されたとされる、明治41年(1908年)に岩瀬の菅原神社が合祀された。氏地は河内長野市の天見、岩瀬。秋に「提灯祭」という高提灯を仕立て祇園囃子を唄いながら参拝する祭礼がある。
○交通アクセス
南海高野線天見駅より徒歩10分。
○所在地
大阪府河内長野市天見428
○交通アクセス
南海高野線天見駅より徒歩10分。
○所在地
大阪府河内長野市天見428
光滝寺
光滝寺とは大阪府河内長野市にある寺院。光瀧寺とも書く。この寺の近くに光滝という名前の滝があり、名前の由来となっている。飛鳥時代に欽明天皇の勅願によって行満が開いた寺とされる。江戸時代には葛城修験二十八宿の第十四宿(現在は、南葛城山の山頂近くの「鏡の宿」を第十四宿とするのが普通)であり、槙尾山施福寺(天台宗)の奥院でもあった。本尊は寄木造りの不動明王立像で平安末期のものである。また炭焼不動堂があり、この堂の不動明王像は空海の作と伝えられている。近隣には光滝寺キャンプ場がある。
○所在地
大阪府河内長野市滝畑1147
○所在地
大阪府河内長野市滝畑1147
長野神社
長野神社は大阪府河内長野市長野町8-19にある神社。
○祭神
素盞嗚大神(牛頭天王)
天児屋根命
菅原道真
○歴史
創建年代は不詳。本殿は天文12年(1543年)頃に建てられたと考えられている。かつては木屋堂の宮、牛頭天王宮と呼ばれていたが、慶応4年(1868年)から長野神社と呼ばれるようになった。
○文化財
本殿は国の重要文化財
境内のカヤの古木は大阪府下最大で府の天然記念物
○交通アクセス
南海高野線および近鉄長野線 河内長野駅より徒歩5分。
○所在地 大阪府河内長野市長野町8-19
○主な神事
10月中旬に松明立神事
○祭神
素盞嗚大神(牛頭天王)
天児屋根命
菅原道真
○歴史
創建年代は不詳。本殿は天文12年(1543年)頃に建てられたと考えられている。かつては木屋堂の宮、牛頭天王宮と呼ばれていたが、慶応4年(1868年)から長野神社と呼ばれるようになった。
○文化財
本殿は国の重要文化財
境内のカヤの古木は大阪府下最大で府の天然記念物
○交通アクセス
南海高野線および近鉄長野線 河内長野駅より徒歩5分。
○所在地 大阪府河内長野市長野町8-19
○主な神事
10月中旬に松明立神事
高向神社
高向神社は大阪府河内長野市にある神社。祭神は、当初、素盞嗚尊、蛭子神、天児屋根命、保食神、白山姫命、菅原道真。現在は近隣の神社から武甕槌命、経津主命、比咩大神、大巳貴命が合祀されている。創建年は不詳。本殿は慶長13年(1608年)の建立で三間社切妻造。本殿と高向神社祭礼図絵馬(文久3年(1863年))は河内長野市の市指定文化財である。氏地は河内長野市高向、日野地区である。例大祭は10月10日で、こども獅子舞、日野獅子舞(河内長野市無形民俗文化財)、地車の宮入が行われる。
○所在地
大阪府河内長野市高向291
○例祭
10月10日に獅子舞、地車
○所在地
大阪府河内長野市高向291
○例祭
10月10日に獅子舞、地車
住吉神社
住吉神社は、大阪府河内長野市小山田町453に所在する神社。
○祭神
住吉大神
息長足姫命(神功皇后)
武内宿禰
○歴史
本殿は神功皇后により建立されたと伝えられ、文化10年(1813年)に流造に立て替えられた。
○その他
旧小山田村・下里村・天野村・与通(現小山田町、下里町、天野町)の氏神
○交通アクセス
南海高野線千代田駅から南海バス緑ヶ丘線「緑ヶ丘北町行き(20系統)」に乗車し、「神社前」バス停または「福祉センターあかみね」バス停下車すぐ。
○所在地
大阪府河内長野市小山田町453
○主な神事
10月12日(現在は体育の日)に馬駆神事
○祭神
住吉大神
息長足姫命(神功皇后)
武内宿禰
○歴史
本殿は神功皇后により建立されたと伝えられ、文化10年(1813年)に流造に立て替えられた。
○その他
旧小山田村・下里村・天野村・与通(現小山田町、下里町、天野町)の氏神
○交通アクセス
南海高野線千代田駅から南海バス緑ヶ丘線「緑ヶ丘北町行き(20系統)」に乗車し、「神社前」バス停または「福祉センターあかみね」バス停下車すぐ。
○所在地
大阪府河内長野市小山田町453
○主な神事
10月12日(現在は体育の日)に馬駆神事
興禅寺
興禅寺は、大阪府河内長野市にある曹洞宗の寺院。本尊は観世音菩薩。伝承によれば行基により創建され、神護景雲元年(767年)に古稱陀洛山神宮寺または大乗院と称し、上宮神を鎮守(現在の赤坂上之山神社)として完成した。元禄12年(1699年)に曹洞宗に改め、伽藍を禅宗様式に増改築した。池には斑蓮(まだらはす)と呼ばれるハスがあり、これは創建当時に植えられたもので、現在では全国に数箇所しかない珍しい種類のものである。また、池の周りには多数の羅漢像がある。木造阿弥陀如来坐像は平安時代末期のもので国の重要文化財である。
○所在地
大阪府河内長野市美加の台1-25-1
○所在地
大阪府河内長野市美加の台1-25-1
八幡神社
八幡神社とは大阪府河内長野市にある神社。京都の石清水八幡宮別宮である。通称「流谷八幡神社」。社格は村社。祭神は八幡神(応神天皇、神功皇后、比売大神)。創建は長暦3年(1039年)京都の石清水八幡宮より八幡神を勧請、社殿を造営したことによる。大祭は1月の新年祭、10月の秋例大祭、11月の新嘗祭。神社に伝わる鉄製湯釜は府の文化財で、延元5年(1340年)の作。なお、通称の流谷八幡神社で呼ばれることが普通であるが、鳥居の表示、宗教法人名簿上では「八幡神社」の表記である。
○交通アクセス
南海高野線天見駅徒歩15分。
○所在地
大阪府河内長野市天見2211
○交通アクセス
南海高野線天見駅徒歩15分。
○所在地
大阪府河内長野市天見2211
薬師寺
薬師寺とは大阪府河内長野市岩瀬621にある融通念仏宗の寺院。本尊は薬師如来。山号は医王山。創建は不詳であるが、南北朝時代は観心寺の末寺であったといわれている。境内の五輪塔は大阪府指定文化財。
○所在地
大阪府河内長野市岩瀬621
○所在地
大阪府河内長野市岩瀬621
百舌鳥八幡宮
百舌鳥八幡宮とは、大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町にある神社である(宗教法人名は百舌鳥神社)。約一万坪の境内の中には大阪府の天然記念物に指定されている樹齢約800年の巨大なクスノキが茂る。
○祭神
応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、住吉大神、春日大神である。
○歴史
創祀は、欽明天皇(532-571)の頃、八幡神の宣託をうけてこの地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。
江戸時代、大坂城代が替わる度に、この神社に参拝していたという。
○祭り
例祭は旧暦8月15日、中秋の名月前後の土日に行われる「月見祭」(9月上旬~10月上旬)。氏子9町による勇壮華麗なふとん太鼓が奉納される事でも有名である。
○交通アクセス
JR阪和線百舌鳥駅徒歩10分
南海高野線百舌鳥八幡駅徒歩12分
○所在地
大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
○祭神
応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、住吉大神、春日大神である。
○歴史
創祀は、欽明天皇(532-571)の頃、八幡神の宣託をうけてこの地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。
江戸時代、大坂城代が替わる度に、この神社に参拝していたという。
○祭り
例祭は旧暦8月15日、中秋の名月前後の土日に行われる「月見祭」(9月上旬~10月上旬)。氏子9町による勇壮華麗なふとん太鼓が奉納される事でも有名である。
○交通アクセス
JR阪和線百舌鳥駅徒歩10分
南海高野線百舌鳥八幡駅徒歩12分
○所在地
大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
金岡神社
金岡神社とは大阪府堺市北区金岡町2866にある神社。主祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命、素盞嗚尊、大山昨命、巨勢金岡。仁和年間(885年ー889年)に底筒男命、中筒男命、表筒男命を祀ったことにより創建されたと伝えられている。ここには頭正院という神宮寺があったが神仏分離令により廃寺となっている。その後、近隣の神社が合祀され現在に至る。5月3日に画神祭、10月10日に大祭がある。
○アクセス
堺東駅もしくは新金岡駅(しもつ池停留所)から南海バス15系統金岡町行で「金岡神社前」下車。
大阪府道2号大阪中央環状線「金岡口」交差点を南下。
○例祭
10月10日に大祭
主な神事:5月3日に画神祭
○所在地
大阪府堺市北区金岡町2866
○アクセス
堺東駅もしくは新金岡駅(しもつ池停留所)から南海バス15系統金岡町行で「金岡神社前」下車。
大阪府道2号大阪中央環状線「金岡口」交差点を南下。
○例祭
10月10日に大祭
主な神事:5月3日に画神祭
○所在地
大阪府堺市北区金岡町2866
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