大阪市天王寺区にある臨済宗の寺である。
父子ともに大阪の人で、米山人は詩書を作り、また文人画を描いた。半江も詩文書画に長じ、田能村竹田・頼山陽らの文化人と交友し、大阪文人画の指導者であった。父米山人、子半江はともに文人画家として名高い。米山人(1744-1820)は儒者として津幡の藤堂侯に仕えたが、独力で元・明・南宋の古画を学び山水画を長じ、簡潔素朴な中に一種の気品を持つ独自の画風を作りあげたといわれる。半江(1782-1846)もまた父と同じく藤堂侯に仕えたが、父の死後は帰阪して画業に専念し柔らかな筆致と鮮やかな墨色で清潤な水墨画を描き、大阪の文人画壇の指導的な役割を果たした。
所在地:大阪府大阪市天王寺区上本町5-2-2
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