2017年5月22日月曜日

雙松岡塾跡の碑

大阪市福島区福島1丁目、地方合同庁舎前の田蓑橋詰に建っている「雙松岡」の石碑。雙松岡学舎は、松本奎堂(けいどう)が、1861年(文久元年)昌平黌の同学、松林廉之助、岡千仞らと創設した。(塾の名は松本・松岡の2人の松と岡から採っている) 尊皇攘夷を鼓吹し、倒幕運動家の集合場所という疑いから、大坂町奉行所にも危険視され、翌年の文久2年、わずか半年で閉鎖されている。碑は1943年(昭和18年)の建立。松本奎堂:1832年(天保2年)三河・刈谷に生まれる。昌平黌に学び、1859年(安政6年)名古屋石町で塾を開いた後、大坂に移った。 1863年(文久3年)8月、孝明天皇大和行幸の詔が出たのを機に藤本鉄石、吉村寅太郎らと天誅組を組織して総裁となり、侍従中山忠光を奉じて出京したが、 政変によって形勢急変し、行幸は中止となった。
 紀伊、彦根藩兵により追討され、十津川郷に南下し郷士と農兵の参加を募った。しかし諸藩兵の攻撃をうけ、吉野郡鷲家で自刃した。享年33歳であった。
所在地:大阪府大阪市福島区福島1丁目1-60(大阪中之島合同庁舎南東角)


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