2012年3月6日火曜日

玉造稲荷神社

玉造稲荷神社は、大阪市中央区にある神社である。旧社格は府社。宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。
○歴史
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。戦国時代の戦火により荒廃し、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建された。元和元年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、寛政元年(1789年)、東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた。豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉造部の居住地であったという伝承がある。昭和61年(1986年)、創祀二千年を記念して境内に難波・玉造資料館が開館した。現在の社殿は昭和29年(1954年)に造営されたものである。
○境内
厳嶋神社(市杵嶋姫神) -- 現在地の池(白龍池)に白龍観音が出現したことにより弁才天を祀ったもので、神仏分離により祭神を市杵嶋姫神とした。雨乞いの神として信仰される。
万慶稲荷神社(宇迦之御魂大神) -- 大坂城内の各地に祀られていた当社の分霊を、享保年間に一社に合祀し当社境内に祀ったものである。
新山稲荷神社(宇迦之御魂大神) -- 寛政11年(1799年)、当時の大坂城代・松平輝和が城代屋敷内に当社の分霊を祀ったものである。明治40年(1907年)、当社境内に遷座された。新山稲荷は現在の大阪府立清水谷高等学校敷地内に在った。玉造稲荷創祀二千年の平成元年に分社・東雲稲荷神社として旧境内地付近(中央区上町1丁目)に再び遷座されている。
胞衣塚大明神 -- 豊臣秀頼の胞衣を祀る。当初は大坂城三の丸に当たる現在地に胞衣が埋められ、その後は豊臣家を慕う当地の人々により密かに祀られていた。昭和20年、戦災により焼失し、寺山町(現 上町一丁目)、東阪町(現 玉造一丁目)に遷座していた。昭和58年(1983年)、大坂築城400年を記念して元の鎮座地に遷座された。子供の夜泣きに霊験ありとされる。
豊臣家奉納鳥居 -- 慶長8年、豊臣秀頼により社殿再建時に奉納された石鳥居。阪神・淡路大震災により下半分が壊れ、現在は上半分が境内に置かれている。
大阪府大阪市中央区玉造2-3-8

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