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2026年9月26日土曜日

旧萱野家(大石順教尼の記念館)

 九度山町九度山にある記念館。元は江戸中期に建てられた高野山真蔵院の里坊で、民家として現存していたものを平成21年(2009)に文化財保護の目的で九度山町が譲り受け、現在一般公開されている。「無手の聖女」、「日本のヘレンケラー」とも称されている大石順教尼がたびたび滞在したことでも知られ、口筆で書き残された素晴らしい書画が常設公開されている。

住所:和歌山県伊都郡九度山町九度山1327-1

時間:10:00-16:30

休業日:月、火(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12/25-1/10)

料金:[入館料]無料

駐車場:なし(付近に町営無料駐車場あり)

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旧萱野家(大石順教尼の記念館) 旧萱野家(大石順教尼の記念館) 九度山町九度山にある記念館。元は江戸中期に建てられた高野山真蔵院の里坊で、民家として現存していたものを平成21年(2009)に文化財保護の目的で九度山町が譲り受け、現在一般公開されている。「無手の聖女」、「日本のヘレンケラー」とも称されている大石順教尼がたびたび滞在したことでも知られ、口筆で書き残された素晴らしい書画が常設公開されている。 住所:和歌山県伊都郡九度山町九度山1327-1 時間:10:00-16:30 休業日:月、火(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12/25-1/10) 料金:[入館料]無料 駐車場:なし(付近に町営無料駐車場あり)

♬ オリジナル楽曲 - kazubonka

九度山・真田ミュージアム

 真田昌幸・幸村・大助、親と子と孫の三代の軌跡を、長く後世へと語り継ぐことを目的としたミュージアム。戦国時代の武将・幸村が、父の昌幸とともに蟄居を命じられた九度山町に建てられています。館内では、九度山で過ごした 14 年間の生活を中心に、真田三代の生涯をパネル展示やドラマ仕立ての映像で紹介。特に、幸村が九度山から大坂城へと向かい、大坂夏の陣で壮絶な戦いを繰り広げるまでの過程は、見る者の心を揺さぶります。十勇士伝説のアニメシアターや当時の真田屋敷を模したからくり部屋など、子どもから大人まで楽しめる内容になっています。

所在地:和歌山県伊都郡九度山町九度山 1452-4

電話番号:0736-54-2727

FAX番号:0736-54-2737

営業時間:9:00~17:00(最終入場16:30)

休業日:月・火曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日~1月3日

料金:高校生以上 500 円、小・中学生 250 円

駐車場:なし※周辺の駐車場を利用(道の駅 柿の郷くどやまから徒歩約5分)

アクセス:【電車】南海高野線九度山駅から徒歩約10 分

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九度山・真田ミュージアム 九度山・真田ミュージアム 真田昌幸・幸村・大助、親と子と孫の三代の軌跡を、長く後世へと語り継ぐことを目的としたミュージアム。戦国時代の武将・幸村が、父の昌幸とともに蟄居を命じられた九度山町に建てられています。館内では、九度山で過ごした 14 年間の生活を中心に、真田三代の生涯をパネル展示やドラマ仕立ての映像で紹介。特に、幸村が九度山から大坂城へと向かい、大坂夏の陣で壮絶な戦いを繰り広げるまでの過程は、見る者の心を揺さぶります。十勇士伝説のアニメシアターや当時の真田屋敷を模したからくり部屋など、子どもから大人まで楽しめる内容になっています。 所在地:和歌山県伊都郡九度山町九度山 1452-4 電話番号:0736-54-2727 FAX番号:0736-54-2737 営業時間:9:00~17:00(最終入場16:30) 休業日:月・火曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日~1月3日 料金:高校生以上 500 円、小・中学生 250 円 駐車場:なし※周辺の駐車場を利用(道の駅 柿の郷くどやまから徒歩約5分) アクセス:【電車】南海高野線九度山駅から徒歩約10 分

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慈尊院

 慈尊院は、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある高野山真言宗の寺院。山号は万年山。本尊は弥勒仏(慈尊と呼ばれる)。高野山の政所(高野政所)として創建され、高野山町石道の登り口にある。境内は、国の史跡「高野参詣道」を構成する「町石道」の一部として指定されている。本堂の弥勒堂は、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。

〇歴史

空海(弘法大師)が真言密教の道場の根拠地を求め歩いて大和国宇智郡に入ったとき、そこで猟師の姿に扮した地主神・狩場明神(高野御子大神)に紀伊国にある霊地・高野山の存在を教えられた。狩場明神はその使いである白・黒二匹の犬に空海を高野山まで導かせた。この後、弘仁7年(816年)、空海は嵯峨天皇から高野山の地を賜った。そして、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置いて、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場である慈氏寺(慈氏とは弥勒仏のこと)を建立した。また、高野山の狩場明神とその母である丹生都比売大神も祀ることとし、慈氏寺の南側に丹生高野明神社(別名・神通寺)も設けた。慈氏寺の壇(弥勒の壇)と神通寺の壇(明神の壇)を合わせて慈尊院と呼ばれた。高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現・香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒仏を篤く信仰していた。空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだといわれている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所にいる母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒仏の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒仏像と母公の霊を祀ったという。弥勒仏の別名を「慈尊」とも呼ぶことから、この政所は慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒仏を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここ、ということで「女人高野」とも呼ばれている。高野山の政所に関して「慈尊院」という名称が文献に現れた最も早い例は三条実行(藤原実行)の『鳥羽上皇高野御幸記』で、天治元年(1124年)、鳥羽上皇が当地に行幸し、慈尊院の由来について尋ねたことが記されている。南北朝時代、橋本正督の反乱で南朝の橋本正督が討死した直後の天授6年/康暦2年(1380)8月23日に、南朝方として室町幕府を相手に戦い敗退した主体として、「高野政所」という名称が見える(『花営三代記』康暦2年8月23日条)。国立史料館によると、高野山の荘園を代々管理した四荘官家(高坊・田所・亀岡・岡の4家)は独自の戦力を持つ地侍的な性格を持っており、この南朝方の戦力「高野政所」とはこの荘官たちのことを指していると思われるという。文明6年(1474年)、御廟を現在地に移す。天文9年(1540年)、紀ノ川の氾濫により慈尊院の堂舎は大半が流れてしまい、弥勒檀(現在地)に移転する。その際、高野山が政所の事務を山上に移し、当院の宝物も山上に移された。天文13年(1544年)7月、再び紀ノ川が洪水を起こし、残っていた移転前の建物は全て流された。境内の南にある階段を上ると途中に町石・百八十町石があり、さらに上ると丹生官省符神社がある。当院の絵馬は乳房型絵馬といい、絵馬に布製の乳房が付いている。

〇境内

本堂(弥勒堂、重要文化財)-御廟とも呼ばれる。鎌倉時代後期の再建。桁行三間・梁間三間、一重、宝形造・檜皮葺。

拝堂

弘法大師像

高野山案内犬「ゴン」の像

鐘楼

合祀社 - 祭神:弁財天、稲荷明神

東門

庫裏

多宝塔(大日塔、和歌山県指定有形文化財)-寛永元年(1624年)再建。

知貞母社-訶梨帝母像を祀る。

西門(和歌山県指定有形文化財)-室町時代の再建。

大師堂(四国堂)-弘法大師像の他、四国八十八箇所のそれぞれの札所の本尊を模した88体の像を祀る。

山門(北門、和歌山県指定有形文化財)-室町時代の再建。

石段-丹生官省符神社への参道石段。

所在地:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832

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慈尊院 慈尊院 慈尊院は、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある高野山真言宗の寺院。山号は万年山。本尊は弥勒仏(慈尊と呼ばれる)。高野山の政所(高野政所)として創建され、高野山町石道の登り口にある。境内は、国の史跡「高野参詣道」を構成する「町石道」の一部として指定されている。本堂の弥勒堂は、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。 〇歴史 空海(弘法大師)が真言密教の道場の根拠地を求め歩いて大和国宇智郡に入ったとき、そこで猟師の姿に扮した地主神・狩場明神(高野御子大神)に紀伊国にある霊地・高野山の存在を教えられた。狩場明神はその使いである白・黒二匹の犬に空海を高野山まで導かせた。この後、弘仁7年(816年)、空海は嵯峨天皇から高野山の地を賜った。そして、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置いて、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場である慈氏寺(慈氏とは弥勒仏のこと)を建立した。また、高野山の狩場明神とその母である丹生都比売大神も祀ることとし、慈氏寺の南側に丹生高野明神社(別名・神通寺)も設けた。慈氏寺の壇(弥勒の壇)と神通寺の壇(明神の壇)を合わせて慈尊院と呼ばれた。高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現・香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒仏を篤く信仰していた。空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだといわれている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所にいる母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒仏の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒仏像と母公の霊を祀ったという。弥勒仏の別名を「慈尊」とも呼ぶことから、この政所は慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒仏を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここ、ということで「女人高野」とも呼ばれている。高野山の政所に関して「慈尊院」という名称が文献に現れた最も早い例は三条実行(藤原実行)の『鳥羽上皇高野御幸記』で、天治元年(1124年)、鳥羽上皇が当地に行幸し、慈尊院の由来について尋ねたことが記されている。南北朝時代、橋本正督の反乱で南朝の橋本正督が討死した直後の天授6年/康暦2年(1380)8月23日に、南朝方として室町幕府を相手に戦い敗退した主体として、「高野政所」という名称が見える(『花営三代記』康暦2年8月23日条)。国立史料館によると、高野山の荘園を代々管理した四荘官家(高坊・田所・亀岡・岡の4家)は独自の戦力を持つ地侍的な性格を持っており、この南朝方の戦力「高野政所」とはこの荘官たちのことを指していると思われるという。文明6年(1474年)、御廟を現在地に移す。天文9年(1540年)、紀ノ川の氾濫により慈尊院の堂舎は大半が流れてしまい、弥勒檀(現在地)に移転する。その際、高野山が政所の事務を山上に移し、当院の宝物も山上に移された。天文13年(1544年)7月、再び紀ノ川が洪水を起こし、残っていた移転前の建物は全て流された。境内の南にある階段を上ると途中に町石・百八十町石があり、さらに上ると丹生官省符神社がある。当院の絵馬は乳房型絵馬といい、絵馬に布製の乳房が付いている。 〇境内 本堂(弥勒堂、重要文化財)-御廟とも呼ばれる。鎌倉時代後期の再建。桁行三間・梁間三間、一重、宝形造・檜皮葺。 拝堂 弘法大師像 高野山案内犬「ゴン」の像 鐘楼 合祀社 - 祭神:弁財天、稲荷明神 東門 庫裏 多宝塔(大日塔、和歌山県指定有形文化財)-寛永元年(1624年)再建。 知貞母社-訶梨帝母像を祀る。 西門(和歌山県指定有形文化財)-室町時代の再建。 大師堂(四国堂)-弘法大師像の他、四国八十八箇所のそれぞれの札所の本尊を模した88体の像を祀る。 山門(北門、和歌山県指定有形文化財)-室町時代の再建。 石段-丹生官省符神社への参道石段。 所在地:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832

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勝利寺

 勝利寺は、和歌山県九度山町にある高野山真言宗の寺院である。

万年山慈尊院と号し、本尊の十一面観音は弘法大師が42歳の時、厄除けのため彫刻したものと伝えられる。「紀伊續風土記」には、「当寺は、大師以前既にありしといふ、境内塔屋敷あり、高野山より三石を寄付す」と書かれている。本尊の脇仏として観音像二体があり、紀州領主 湯浅権守が悪疾を病んだ時に、本尊観音に平癒を祈願して、病が癒えたので寄進したものといわれている。仁王門は、安永2年(1773年)に完成した装飾性に富んだ二層の楼門で、本堂とともに九度山町の文化財に指定されている。庭園は、小堀流の借景の庭園として知られ、近年復元整備されたものである。長屋門や庫裏は、「紙遊苑」として改修され、高野紙の資料館と手漉き和紙技術の体験伝承施設となっている。南海電車高野線九度山駅下車、徒歩30分。仁王門階段下に町営駐車場がある。

住所:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院749

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勝利寺 勝利寺 勝利寺は、和歌山県九度山町にある高野山真言宗の寺院である。 万年山慈尊院と号し、本尊の十一面観音は弘法大師が42歳の時、厄除けのため彫刻したものと伝えられる。「紀伊續風土記」には、「当寺は、大師以前既にありしといふ、境内塔屋敷あり、高野山より三石を寄付す」と書かれている。本尊の脇仏として観音像二体があり、紀州領主 湯浅権守が悪疾を病んだ時に、本尊観音に平癒を祈願して、病が癒えたので寄進したものといわれている。仁王門は、安永2年(1773年)に完成した装飾性に富んだ二層の楼門で、本堂とともに九度山町の文化財に指定されている。庭園は、小堀流の借景の庭園として知られ、近年復元整備されたものである。長屋門や庫裏は、「紙遊苑」として改修され、高野紙の資料館と手漉き和紙技術の体験伝承施設となっている。南海電車高野線九度山駅下車、徒歩30分。仁王門階段下に町営駐車場がある。 住所:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院749

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松山常次郎記念館

 九度山から選出されたかつての国会議員松山常次郎の遺品などを集めて展示した記念館です。この常次郎氏のご長女は、故平山郁夫画伯のご長女である美知子さんです。お父上の功績を残そうと、お父様のご生家を記念館としてOPENして下さいました。ここには、故平山郁夫画伯の作品も数多く展示されています。

所在地:和歌山県伊都郡九度山町九度山1452

電話番号:0736-54-2414(松山常次郎記念館)

営業時間:10:00~16:30(最終受付 16:00)

休業日

・月曜日、火曜日(ただし、祝日の場合は翌平日)

・年末年始(12月25日~1月10日)

料金:大人200円小・中学生100円

※障がい者手帳提示で無料(介添者1名含む)

アクセス:南海高野線「九度山駅」より徒歩7分、阪和道「三宅IC」より60分

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松山常次郎記念館 松山常次郎記念館 九度山から選出されたかつての国会議員松山常次郎の遺品などを集めて展示した記念館です。この常次郎氏のご長女は、故平山郁夫画伯のご長女である美知子さんです。お父上の功績を残そうと、お父様のご生家を記念館としてOPENして下さいました。ここには、故平山郁夫画伯の作品も数多く展示されています。 所在地:和歌山県伊都郡九度山町九度山1452 電話番号:0736-54-2414(松山常次郎記念館) 営業時間:10:00~16:30(最終受付 16:00) 休業日 ・月曜日、火曜日(ただし、祝日の場合は翌平日) ・年末年始(12月25日~1月10日) 料金:大人200円小・中学生100円 ※障がい者手帳提示で無料(介添者1名含む) アクセス:南海高野線「九度山駅」より徒歩7分、阪和道「三宅IC」より60分

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真田古墳(真田の抜け穴)

 善名称院の約200m東に、昔から地元の人々に「真田の抜け穴」として伝わっている穴がある。また、その穴から善名称院までを真田氏の造った抜け穴と長い間信じられてきた。しかし、1953年(昭和28年)に行われた発掘調査によって、古墳時代後期(6世紀)に造られた横穴式石室を持つ円墳であることが判明した。真田との関係性は無いが縁の地ということで、真田古墳と名づけられた。

住所:〒648-0101和歌山県伊都郡九度山町九度山1378

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真田古墳(真田の抜け穴) 真田古墳(真田の抜け穴) 善名称院の約200m東に、昔から地元の人々に「真田の抜け穴」として伝わっている穴がある。また、その穴から善名称院までを真田氏の造った抜け穴と長い間信じられてきた。しかし、1953年(昭和28年)に行われた発掘調査によって、古墳時代後期(6世紀)に造られた横穴式石室を持つ円墳であることが判明した。真田との関係性は無いが縁の地ということで、真田古墳と名づけられた。 住所:〒648-0101和歌山県伊都郡九度山町九度山1378

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真田宝物資料館

 真田昌幸・信繁の九度山での生活をテーマに、信繁が愛用したと伝えられる槍先や鎧兜などの武具や書状、肖像画などが数多く展示されている。また、当時の真田家の生活を支えた真田紐や高野紙製造用具なども展示されている。

入場料-大人200円

開館時間-8時~17時

住所:和歌山県伊都郡九度山町九度山1452?4

善名称院(真田庵)

 善名称院は、和歌山県伊都郡九度山町にある高野山真言宗の寺院。山号は伽羅陀山。本尊は延命子安地蔵菩薩。真田昌幸・信繁の蟄居時代の草庵跡と伝わる場所であるが、諸説ある。和歌山県の史跡に指定。別称は真田庵。牡丹の名所 としても知られ、城郭風の本堂の八棟造も有名である。

〇歴史

寛保元年(1741年)8月18日に、大安上人によって真田昌幸の庵跡と伝承のあるこの地に地蔵菩薩を安置した一堂が創建されたのが当院の始まりである。また、本尊がこの地に寺院を建てよといったので、大安は昌幸の子信繁が建てた昌幸の供養塔の周りの森を松の木だけ残して伐採し、当院を建立したともいう。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れた真田昌幸・信繁父子は、女人禁制の高野山に配流の身となり真田氏ゆかりの蓮華定院に入った。しかし、高野山での生活は寒くて大変だったためか、妻を連れていたためか、諸説あるが高野山を降りて九度山に移されて蟄居生活を送ることとなった。当院にはその庵の址があったと伝わるが、庵は遍照寺の近くにあったという説など諸説がある。当院が創建されて後、昌幸の霊がたびたび見られるようになったため、大安は昌幸の霊を真田地主大権現として祀ったところ、今度は穏やかな顔になった昌幸が現れて、祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束したという。後世、真田親子の講談が人気となり読まれると訪れる人も増えて観光地化され、別称・真田庵と呼ばれるようになり、資料館なども併設、開館された。2016年(平成28年)のNHK大河ドラマ・『真田丸』の放送に合わせ、北へ100mの地点に九度山・真田ミュージアムが開館している。自然社の新生活標語が掲げられている。

〇境内

本堂(和歌山県指定有形文化財)-八棟造。

位牌堂(九度山町指定有形文化財)

庫裏

北門(九度山町指定有形文化財)

雷封じの井 - 真田信繁が真田屋敷に落ちた雷を井戸に封じ里人を救ったと伝わる。

稲荷大明神

金比羅大権現社

天満宮

住吉社

大安上人御廟(和歌山県指定有形文化財)

土砂堂(和歌山県指定有形文化財)

伝・真田昌幸の墓(九度山町指定史跡)

真田地主大権現-真田氏の宝物である毘沙門天と真田三代の御霊を合祀している。

伝・真田家臣一族の墓

長屋門(九度山町指定有形文化財)

〇行事

毎月24日 - 地蔵講

2月3日頃(節分)-開運除厄星祭

5月5日-真田祭

8月10日-施餓鬼会

8月24日-地蔵盆


所在地:和歌山県伊都郡九度山町九度山1413

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善名称院(真田庵) 善名称院(真田庵) 善名称院は、和歌山県伊都郡九度山町にある高野山真言宗の寺院。山号は伽羅陀山。本尊は延命子安地蔵菩薩。真田昌幸・信繁の蟄居時代の草庵跡と伝わる場所であるが、諸説ある。和歌山県の史跡に指定。別称は真田庵。牡丹の名所 としても知られ、城郭風の本堂の八棟造も有名である。 〇歴史 寛保元年(1741年)8月18日に、大安上人によって真田昌幸の庵跡と伝承のあるこの地に地蔵菩薩を安置した一堂が創建されたのが当院の始まりである。また、本尊がこの地に寺院を建てよといったので、大安は昌幸の子信繁が建てた昌幸の供養塔の周りの森を松の木だけ残して伐採し、当院を建立したともいう。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れた真田昌幸・信繁父子は、女人禁制の高野山に配流の身となり真田氏ゆかりの蓮華定院に入った。しかし、高野山での生活は寒くて大変だったためか、妻を連れていたためか、諸説あるが高野山を降りて九度山に移されて蟄居生活を送ることとなった。当院にはその庵の址があったと伝わるが、庵は遍照寺の近くにあったという説など諸説がある。当院が創建されて後、昌幸の霊がたびたび見られるようになったため、大安は昌幸の霊を真田地主大権現として祀ったところ、今度は穏やかな顔になった昌幸が現れて、祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束したという。後世、真田親子の講談が人気となり読まれると訪れる人も増えて観光地化され、別称・真田庵と呼ばれるようになり、資料館なども併設、開館された。2016年(平成28年)のNHK大河ドラマ・『真田丸』の放送に合わせ、北へ100mの地点に九度山・真田ミュージアムが開館している。自然社の新生活標語が掲げられている。 〇境内 本堂(和歌山県指定有形文化財)-八棟造。 位牌堂(九度山町指定有形文化財) 庫裏 北門(九度山町指定有形文化財) 雷封じの井 - 真田信繁が真田屋敷に落ちた雷を井戸に封じ里人を救ったと伝わる。 稲荷大明神 金比羅大権現社 天満宮 住吉社 大安上人御廟(和歌山県指定有形文化財) 土砂堂(和歌山県指定有形文化財) 伝・真田昌幸の墓(九度山町指定史跡) 真田地主大権現-真田氏の宝物である毘沙門天と真田三代の御霊を合祀している。 伝・真田家臣一族の墓 長屋門(九度山町指定有形文化財) 〇行事 毎月24日 - 地蔵講 2月3日頃(節分)-開運除厄星祭 5月5日-真田祭 8月10日-施餓鬼会 8月24日-地蔵盆 所在地:和歌山県伊都郡九度山町九度山1413

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遍照寺

 遍照寺は弘法大師の時代、槙尾明神の別当寺として創建された。遍照寺はその後この地に移転しているが、開創は古く弘仁年間に建てられたという伝承がある。寛政10(1798)年に書かれた遍照寺の起源が描かれている。「この山は神代の昔から有為の峰と言って丹生白髪大明神のあるところ、弘法大師が槙尾山で修業されておられた頃、かたわらの弁財天をご信仰なされて、日夜お参りされていた。高野山をお開きになってからも厚く信仰され、月に9度筒槙尾山に参詣されていた。ところがある日、九度山迄下ってこられた時、吉野川に大水が出ていた。どうして渡ればよいのかと沈んでおられた。そこへ弁財天が現れて、この地にわれを移し祀れ、と告げられた。そこで大使はこの山へ弁財天を移し祀り、槙尾山という御自筆の額を掲げられた。この時から社を槙尾明神社といい、傍らに別当寺を立てて槙尾山遍照寺と名付けられた」

本尊は大日如来脇に十一面観音、薬師如来が祀られている。

所在地:和歌山県伊都郡九度山町大字九度山1328

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遍照寺 遍照寺 遍照寺は弘法大師の時代、槙尾明神の別当寺として創建された。遍照寺はその後この地に移転しているが、開創は古く弘仁年間に建てられたという伝承がある。寛政10(1798)年に書かれた遍照寺の起源が描かれている。「この山は神代の昔から有為の峰と言って丹生白髪大明神のあるところ、弘法大師が槙尾山で修業されておられた頃、かたわらの弁財天をご信仰なされて、日夜お参りされていた。高野山をお開きになってからも厚く信仰され、月に9度筒槙尾山に参詣されていた。ところがある日、九度山迄下ってこられた時、吉野川に大水が出ていた。どうして渡ればよいのかと沈んでおられた。そこへ弁財天が現れて、この地にわれを移し祀れ、と告げられた。そこで大使はこの山へ弁財天を移し祀り、槙尾山という御自筆の額を掲げられた。この時から社を槙尾明神社といい、傍らに別当寺を立てて槙尾山遍照寺と名付けられた」 本尊は大日如来脇に十一面観音、薬師如来が祀られている。 所在地:和歌山県伊都郡九度山町大字九度山1328

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丹生官省符神社

 丹生官省符神社は、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある神社。旧社格は郷社。九度山町慈尊院集落の南部に位置する。


本殿は国の重要文化財(建造物)、境内は国の史跡「高野山参詣道」を構成する「町石道」の一部として史跡に指定されている。ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部として登録されている。

〇歴史

空海(弘法大師)が真言密教の道場の根拠地を求め歩いて大和国宇智郡に入ったとき、そこで猟師の姿に扮した地主神・狩場明神(高野御子大神)に紀伊国にある霊地・高野山の存在を教えられた。狩場明神はその使いである白・黒二匹の犬に空海を高野山まで導かせた。この後、弘仁7年(816年)、空海は嵯峨天皇から高野山の地を賜った。この縁により、空海は高野山の地主神狩場明神とその母である丹生都比売大神を高野山の入り口である当地に丹生高野明神社として祀ることとした。また、諸天善神への祈願地としてこの地を天と神に通じる地ということで別名を神通寺としたが、当社の社名は、丹生七社大明神や丹生神社へと変わっていった。当社の建立と同時に当社の入り口である石段の下には高野山の政所として慈氏寺(現・慈尊院)も建立されている。慈氏寺の壇(弥勒の壇)と神通寺の壇(明神の壇)を合わせて慈尊院と呼ばれた。当社は高野山の領する官省符荘の鎮守とされ、応永3年(1396年)の文書に「官省符鎮守・神通寺七社」との記録がある(『官省符荘庁番殿原請文』)。この他にも神通寺七社明神の記録があり、七社のほかに十二王子社・百二十番神社などの名前が挙げられている。また、『紀伊続風土記』によれば、七社のうち丹生・高野の両神は弘仁年間(810年-824年)に空海が勧請し、十二王子と百二十番神の2社が同時に勧請され、気比・厳島の2神は文明年間(1469年-1487年)に勧請されたと伝えられており、これら4社は天文年間(1532年-1555年)の紀ノ川洪水によって昔の境内が沈んでしまったので移転したという。明治時代に慈尊院から独立し、1910年(明治43年)に九度山、入郷、慈尊院(現・九度山町)にあった諸社を合祀している。また、郷社に列せられている。1946年(昭和21年)、丹生官省符神社の社号に改められた。境内の北にある階段を下がると途中に町石・百八十町石があり、さらに下ると慈尊院がある。

〇祭神

主祭神

第一殿:丹生都比売大神(丹生明神)、高野御子大神(狩場明神、高野明神。真言密教の守護神で丹生都比売大神の御子)、天照大御神(天照大神)

第二殿:大食都比売大神(気比明神)、誉田別大神(八幡大神)、天児屋根大神(春日大神)

第三殿:市杵島比売大神(厳島明神)

もとは丹生都比売大神、高野御子大神、大食都比売大神、市杵島比売大神の四神に太神宮(天照大御神)、八幡神、春日明神の三社を合わせて祀り、神通寺七社明神とも呼んだ。

〇境内

本殿第一殿(重要文化財)-永正14年(1517年)再建。

本殿第二殿(重要文化財)-永正14年(1517年)再建。

本殿第三殿(重要文化財)-天文10年(1541年)再建。

幣殿

拝殿

社務所

招魂社

神宮遙拝所

高野山遙拝所

〇文化財

・重要文化財

丹生官省符神社本殿 3棟 附:宮殿4棟、棟札 2枚-1965年(昭和40年)5月29日、重要文化財(建造物)指定。社殿3棟は当地における神社建築様式を良好な保存状態で伝える[2]。

・国の史跡

境内-町石道。1977年(昭和52年)7月14日指定、1997年(平成9年)3月6日追加指定の一部。

※2015年10月7日に、既指定の史跡「高野山町石道」に「黒河道」「京大坂道不動坂」「三谷坂」「女人道」を追加指定した際に、指定名称が「高野山町石道」から「高野参詣道」に変更された。同時に、既指定の「高野山町石道」は「町石道」に名称変更された。

〇和歌山県指定有形文化財

鼎-1口。1959年(昭和34年)8月18日有形文化財(美術工芸品)指定。室町時代・永正14年銘。

獅子頭-2面。1967年(昭和42年)4月14日有形文化財(美術工芸品)指定。室町時代の作と推定される。

九度山町指定有形文化財

丹生官省符神社石造鳥居

丹生官省符神社石段

粉河の住国次太刀 2口(八幡大菩薩太刀、神通寺大明神太刀)

〇世界遺産

2004年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する「高野山」の本山地区の一部として、本殿は記念工作物、境内は遺跡として登録された。

所在地:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835

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丹生官省符神社 丹生官省符神社 丹生官省符神社は、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院[1]にある神社。旧社格は郷社。九度山町慈尊院集落の南部に位置する。 本殿は国の重要文化財(建造物)、境内は国の史跡「高野山参詣道」を構成する「町石道」の一部として史跡に指定されている。ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部として登録されている。 〇歴史 空海(弘法大師)が真言密教の道場の根拠地を求め歩いて大和国宇智郡に入ったとき、そこで猟師の姿に扮した地主神・狩場明神(高野御子大神)に紀伊国にある霊地・高野山の存在を教えられた。狩場明神はその使いである白・黒二匹の犬に空海を高野山まで導かせた。この後、弘仁7年(816年)、空海は嵯峨天皇から高野山の地を賜った。この縁により、空海は高野山の地主神狩場明神とその母である丹生都比売大神を高野山の入り口である当地に丹生高野明神社として祀ることとした。また、諸天善神への祈願地としてこの地を天と神に通じる地ということで別名を神通寺としたが、当社の社名は、丹生七社大明神や丹生神社へと変わっていった。当社の建立と同時に当社の入り口である石段の下には高野山の政所として慈氏寺(現・慈尊院)も建立されている。慈氏寺の壇(弥勒の壇)と神通寺の壇(明神の壇)を合わせて慈尊院と呼ばれた。当社は高野山の領する官省符荘の鎮守とされ、応永3年(1396年)の文書に「官省符鎮守・神通寺七社」との記録がある(『官省符荘庁番殿原請文』)。この他にも神通寺七社明神の記録があり、七社のほかに十二王子社・百二十番神社などの名前が挙げられている。また、『紀伊続風土記』によれば、七社のうち丹生・高野の両神は弘仁年間(810年-824年)に空海が勧請し、十二王子と百二十番神の2社が同時に勧請され、気比・厳島の2神は文明年間(1469年-1487年)に勧請されたと伝えられており、これら4社は天文年間(1532年-1555年)の紀ノ川洪水によって昔の境内が沈んでしまったので移転したという。明治時代に慈尊院から独立し、1910年(明治43年)に九度山、入郷、慈尊院(現・九度山町)にあった諸社を合祀している。また、郷社に列せられている。1946年(昭和21年)、丹生官省符神社の社号に改められた。境内の北にある階段を下がると途中に町石・百八十町石があり、さらに下ると慈尊院がある。 〇祭神 主祭神 第一殿:丹生都比売大神(丹生明神)、高野御子大神(狩場明神、高野明神。真言密教の守護神で丹生都比売大神の御子)、天照大御神(天照大神) 第二殿:大食都比売大神(気比明神)、誉田別大神(八幡大神)、天児屋根大神(春日大神) 第三殿:市杵島比売大神(厳島明神) もとは丹生都比売大神、高野御子大神、大食都比売大神、市杵島比売大神の四神に太神宮(天照大御神)、八幡神、春日明神の三社を合わせて祀り、神通寺七社明神とも呼んだ。 〇境内 本殿第一殿(重要文化財)-永正14年(1517年)再建。 本殿第二殿(重要文化財)-永正14年(1517年)再建。 本殿第三殿(重要文化財)-天文10年(1541年)再建。 幣殿 拝殿 社務所 招魂社 神宮遙拝所 高野山遙拝所 〇文化財 ・重要文化財 丹生官省符神社本殿 3棟 附:宮殿4棟、棟札 2枚-1965年(昭和40年)5月29日、重要文化財(建造物)指定。社殿3棟は当地における神社建築様式を良好な保存状態で伝える[2]。 ・国の史跡 境内-町石道。1977年(昭和52年)7月14日指定、1997年(平成9年)3月6日追加指定の一部。 ※2015年10月7日に、既指定の史跡「高野山町石道」に「黒河道」「京大坂道不動坂」「三谷坂」「女人道」を追加指定した際に、指定名称が「高野山町石道」から「高野参詣道」に変更された。同時に、既指定の「高野山町石道」は「町石道」に名称変更された。 〇和歌山県指定有形文化財 鼎-1口。1959年(昭和34年)8月18日有形文化財(美術工芸品)指定。室町時代・永正14年銘。 獅子頭-2面。1967年(昭和42年)4月14日有形文化財(美術工芸品)指定。室町時代の作と推定される。 九度山町指定有形文化財 丹生官省符神社石造鳥居 丹生官省符神社石段 粉河の住国次太刀 2口(八幡大菩薩太刀、神通寺大明神太刀) 〇世界遺産 2004年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する「高野山」の本山地区の一部として、本殿は記念工作物、境内は遺跡として登録された。 所在地:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835

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