2017年11月6日月曜日

堂ヶ芝廃寺

大阪は古代において東アジアの諸外国に向けた外交の窓口であり、6世紀半ばに伝来した仏教文化の受容の最先端地域でもあった。中国や朝鮮からの渡来人たちの力を中心として、はやくから大阪の地に四天王寺をはじめ多数の寺院が建立されたと考えられている。「日本書紀」「扶桑略記」「日本霊異記」などの書物にみられる大別王寺(おおわけおうじ)や百済寺はその代表的な寺院である。前者は日本から百済への使者である大別王が建てた寺とも住んだ寺ともいわれ、後者は百済王氏の氏寺ともいわれる。堂ケ芝の地と周辺から古代の瓦片は多数出土しており、古代の寺院跡と推定されている。かつて巨大な塔心礎も残っていた。この地を大別王寺や百済寺の跡と考える説もある。
所在地:大阪市天王寺区堂ケ芝1-5-19




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