江戸時代大阪には、本格的な蘭学者が1人もいなかった。そこで、町人有志が出資して地元の秀才橋本宗吉を、江戸へ留学させた。杉田玄白・前野良沢の弟子である、大槻玄沢の塾で医学だけでなく、地理・物理も修得。帰阪した橋本宗吉は医師として開業すると同時に私塾絲漢堂を開いた。橋本宗吉は、宝暦13年(1763)生まれ、天保7年(1863)没。家は貧しく、傘職人をしていたが、勉強熱心で、エレキテル(電気学)研究や4ヶ月でオランダ語4万語を暗記したという逸話が残る。絲漢堂で宗吉が指導を受けた中天游は、その精神を受け継いで蘭学塾を開く。門下生に緒方洪庵がいる。宗吉の精神は脈々と受け継がれ、現在の大坂医学の礎となった。
所在地:大阪府大阪市中央区南船場3-3
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