朝日神明社は、大阪府大阪市此花区にある神社。別称として、逆櫓社(さかろのやしろ)。
○祭神
天照皇大神
倭比売命
春日大神
菅原道真
○祭礼
1月1日 歳旦祭
2月節分 節分祭
4月15日 初日稲荷社例祭
7月第2土曜日 夏季例祭宵宮
7月第2日曜日 夏季例祭本宮
10月16日 秋季例大祭
○沿革
明治40年(1907年)に、朝日神明宮(現・大阪市中央区)と皇大神社(現・大阪市此花区)を合祀して、社号を朝日神明社とした。そのとき、春日神社(現・此花区春日出)と安喜良神社(現・西区阿波座)を合祀した。
明治維新以降、二社(朝日神明宮・皇大神社)とも社運が衰微し、維持が困難となり、合併合祀され、現社号に改称して、此花区川岸町に鎮座した。その後、境内周辺の喧噪が甚だしくなり、現在の社殿がある場所へ遷座することとなった。
昭和20年(1945年)6月1日、大阪大空襲により、社殿のほか、すべてが灰燼に帰したが、昭和24年(1949年)に本殿、昭和40年(1965年)には中門と拝殿を復興・再建を果たした。
朝日神明宮 [編集]朝日神明宮は、浪速三神明(朝日神明宮・日中神明宮・夕日神明宮)の一つに数えられて、大阪市中央区神崎町にあった。平貞盛が父平国香を(平将門の乱)によって、平将門に殺されたために、父の仇を討つため、天慶年間(938年~947年)、大阪に天照皇大神を奉祀し、社殿を営んで戦勝祈願を行ったことを創建の起こりとする。その後、平貞盛が平将門を討ち取ったことを朱雀天皇に奏上すると、御神徳を讃られて、「朝日宮」の社号を贈られた。以後、朝敵追討の際は、奉幣使を遣わして、敵徒降伏の祈願を行った。
源義経が平家追討へ西国へ赴くとき、戦勝祈願を行った。源義経と梶原景時が「逆櫓の論」を行ったが、朝日神明宮において、平家追討の祈願を行ったので、戦勝の確信があり、梶原景時に論争を挑んだという。この故事から、別称が逆櫓社と呼ばれるようになった。
豊臣時代、大坂城築城の際、多くの社寺が遷座を命じられたが、遷座させられることはなく、豊臣秀吉の崇敬を受け、毎年、米百俵の寄進が行われた。また、大坂夏の陣(1615年)では、真田幸村が金色の采配を奉納し、出陣したとされる。
江戸時代、大坂城代が参拝し、神前に供物を献じている。
○皇大神社
皇大神社は此花区川岸町にあったが、天保6年(1835年)に伊勢神宮より御神霊を勧請し、神祠を建てて、川岸町の新田の鎮守社(皇大神社)とした。
○施設
本殿
拝殿
幣殿
中門
手水舎
○境内末社
初日稲荷社(祭神 倉稲魂命)
春日社(平成6年(1994年)、春日大社本宮旧社を移築)
○所在地
大阪市此花区春日出中1-6-21
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