2012年5月7日月曜日

龍間の氷づくり

氷については仁徳紀の中で「熱き月に当りて水、酒に漬して用ふ」とある。食用の他に遺体の防腐用や、氷の厚さによりその年の豊凶を占ったりしていたことが記録に残っている。延喜式で讃良に氷室が2カ所設けられていることが記されているが、はっきりあった場所は分からない。多分飯盛山付近と思われ、讃良北御室が室池、南御室は龍間と考えられる。実際龍間東谷には、大正時代末まで氷をとっていたという池が残っている。氷は荷車で中垣内に下ろし、船で大阪へ送っていた。

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