大利鼎吉は、幕末の志士。天保13年(1842)生まれ。武市瑞山、通称半平太の土佐勤皇党に加わる。慶応元年(1865)、天王寺の万福寺に屯所を置いていた大坂新撰組は、土佐藩浪士の不穏な情報を得、襲撃を実行。浪士の潜伏先がぜんざい屋だったために俗に「ぜんざい屋事件」と呼ばれる。この時惨殺されたのが大利鼎吉である。新撰組の隊士4人に襲われ、24歳の命を絶った。大坂出身の新撰組隊士の谷兄弟が強襲をかけたとき、ほとんどの浪士は外出中で、部屋にいたのは店主と大利鼎吉の2人のみ。大利鼎吉の奮闘もあり、討ち取るまで4人がかりで1時間を要したといわれている。明治31年(1898)、「正5位」を贈られている。石碑には「ちりよりも かろき身なれど大君に こころばかりは けふ報ゆるなり」
所在地:大阪府大阪市中央区瓦屋町1-11
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