2019年8月8日木曜日

葱生城

葱生城は大阪府大阪市旭区生江にあった城である。荒生城とも書く。
【遺構】
淀川南岸、城北公園の東側にあったとされるが、淀川の氾濫による度重なる洪水や宅地化により現在はその遺構を確認することはできない。かつて大字「荒生(なぎ)」の東方に古城があったと伝承され(『顕パ』)、同地に建つ常宣寺(大阪市旭区生江3-27-18)には大阪市顕彰史跡第209号として、門前に史跡パネルが設置されている。
【歴史】
『信長公記』によると、元亀元年(1570)から天正8年(1580)までおよそ10年間をかけて行われた石山本願寺と織田信長との「石山合戦」で、本願寺方が石山本願寺を中心に51に及ぶ出城を構築したとされ、葱生城もその中の1つであるという。推定地とされる常宣寺の創建は応永4年(1397)に遡り、室町時代中期には蓮如(本願寺第8世)が立ち寄り近郷に教化伝道したと伝えられることから、同地が石山合戦以前から本願寺と強い結びつきを持っていたことが窺われる。
所在地:大阪市旭区生江3-27-18







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