○概要
『行基年譜』(鎌倉時代に成立した行基の伝記)によれば、727年(神亀4年)行基によって大野寺が創建され、その際に土塔も築かれたとされている。大野寺は行基建立四十九院の一に数えられている。周辺からは土塔築造当時に葺かれていたとみられる文字瓦が多数出土し、瓦の寄進者とみられる人名が箆で刻まれている。文字瓦のうちに神亀4年銘を有するものがあり、土塔は行基在世中から遅くても8世紀後半に築造されたと考えられている。大野寺は室町時代に一時中絶したが、江戸時代になって土塔の前に再興された。遺跡は、一辺53.1メートル(180尺)高さ9.0メートル(27尺)に及ぶ、階段ピラミッドのような形状で、東西南北の正方位に位置し、13重の塔であったと推定されている。形態に類似性が認められる日本国内の遺址として、奈良市高畑町の「頭塔」がある。堺市では、土塔とその周辺を公園として整備するための工事と発掘調査を実施、その成果を元に復元工事が実施され、2009年(平成21年)に完成している。
○所在地
大阪府堺市中区土塔町2143-1
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