歴史散策

2012年4月29日日曜日

溝咋神社

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溝咋神社は大阪府茨木市にある神社。 延喜式神名帳に『摂津国嶋下郡 溝咋神社 鍬靫』と記されている式内社。 ○歴史 『日本書紀』神代巻に「事代主神為八尋熊鰐通三島溝?姫或云玉櫛姫而生児姫路鞴五十鈴姫命是為神日本磐余彦火々出見天皇之后也」とあり、この三島には溝?耳命が鎮座し、娘の...

郡神社

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○祭神 天児屋根命  素盞鳴尊 ○歴史 摂津国島下郡の郡・郡山・上野の3村の産土神で、もと北殿垣内の宮田にあり、春日大明神又は牛頭天王社と呼ばれた。 元亀・天正年間(1570年~1593年)の兵乱で荒廃。 明暦2年(1656年)3月、現在地に遷座。 元禄年間(168...

郡山古墳

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国道171号線の下井町信号の東側、茨木市消防署下井分署の道路向かいに郡山古墳は立地しています。墳頂部には小さな祠が鎮座しているほか、複数の地蔵も安置されています。案内板も無いので、周辺に住む多くの方が古墳とは知らない(小さな神社があるという程度)のではないかと推測されます。 所...

女九神社

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女九神社は大阪府茨木市にある神社。 ○歴史 この地は鬱蒼とした森であったが、明治8年(1875年)の東海道線鉄道敷設の用材として伐採した。 『摂津名所図会』に継体天皇崩御の時、12人の妃のうち9人が殉死されたのを陵の傍らに葬り、ここに祀ったとあり、或いは継体天皇の元妃にして安...

茨木神社

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茨木神社 は、大阪府茨木市にある神社。 ○歴史 大同2年(807年)、坂上田村磨が荊切の里(地名「茨木」の由来)を作った際、今は奥宮となっている天石門別神社が創建されたのに始まると伝えられる。当時は、現在の茨木市宮元町に鎮座していた。天石門別神社の名は、「延喜式神名帳」にも見...

井於神社

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井於神社は大阪府茨木市にある神社。延喜式神名帳に記されている摂津国嶋下郡の式内社。三所明神とも云われる。 ○歴史 初め宇野辺に鎮座し、享徳年中(1452年 - 1454年)に現在地に遷したといわれる。「続日本紀」天平神護2年(765年)4月に井於連(いのへのむらじ)が見え、氏...

阿為神社

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阿為神社は大阪府茨木市にある神社。 延喜式神名帳に『摂津国嶋下郡 阿為神社 鍬靫』と記されている式内社。苗森神社とも云われる。 ○歴史 社伝によれば藤原鎌足の勧請で創建されたと伝えられる古社。「新撰姓氏録摂津神別」に中臣藍連同神(天児屋根命)十二世孫大江臣之後也とあり、中臣藍...

ぼろ塚

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『徒然草』第百十五段に「宿河原といふところにて、・・」で始まるぼろ(虚無僧(こむそう))奇談の話があります。 師の仇討ちをしようと旅をしていたぼろがこの宿河原で敵のぼろと出合い、立ち会った場所です。二人のぼろは未来に遺恨を残こすまじと片方は首をつき、もう片方は腹を刺しぬいて果てた...

徳林寺

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徳林寺 は川西市にあるお寺で黒川ダリア園の近所にあるお寺です。霊園や水子供養・永代供養塔などがありました。南北朝時代からの歴史を持つお寺のようです。 宗派は曹洞宗らしいです。 所在地:〒666-0101兵庫県川西市黒川字寺垣内236

福井城

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○概要 現在の福井城跡は殆んどが田んぼになっており、一見城跡なのか解りにくいが、土地の高低と堀の構造、そして現在も使用されている、「子字名本丸・城ケ谷・構え」などの地名から城の概要を推し量ることができる。地理的には、茨木川東岸、北側には福井山の支脈の突端部、台地に築かれた、山城...
2012年4月28日土曜日

目垣城跡

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目垣の地は、古代から中世にかけて広くこの地を統裁していた溝咋氏の所領溝咋荘の内にあり、溝咋荘の代表的な土地であったことから、この名が付けられたといわれています。位置・興廃年月とも不詳。以上のように、この辺りに土豪溝咋氏の城館があったことが伺えますが、その興亡や跡地を断定することは...

穂積城跡

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現在、中穂積の春日神社の境内になっている小高い山は、茨木の町を一望できる格好の場所であり、昔から何らかの要地として利用されたことが考えられます。「大阪府全志」によると塁堡の址 春日村中穂積 塁堡の址は字地に ”城の堀”と称するあり。「摂津志」に塁堡の址ありと記せるは、是れ、その所...

沢良宜城跡

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室町幕府三代将軍足利義満(1368-94)は少年の義持に将軍職を譲って五年目にあたる応永六年(1399)、堺港に進出してきた周防国の大内義弘を堺に攻めたとき、沢良宜城主藤井三位は義持将軍から「御馬廻り免状」をもらい、家老職や郎党を従えて勇躍出陣したと伝えられています。「御馬廻り衆...

太田城

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太田城は、大阪府茨木市にあった平城 ○概要 太田城は、この地域では最も古い城で平安時代末期、1180年前後太田頼基が築いたと言われている。この周辺では池田城が建武元年(1334年)前後に築城されたが、太田城はそれより150年前に築城されたと思われている。太田城の正確な位置は解...

水尾城跡

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水尾城は、応仁の乱(1467~)で全焼した紫雲山西方浄土寺の焼跡に造営された中世のお城です。城のことについては「福井近郷古跡古伝上下」という和綴写本の中に、 ①永禄九年(1566)十月二十日池田筑後守勝政、茨木城に発向し長田河原(市立斎場付近)に陣し、芥川の城の中村新兵衛高次、...

三宅城

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三宅城は大阪府茨木市にあった城。宅地化、農地化がすすんで遺構などは存在せず、推定地として蔵垣内3丁目および丑寅2丁目が有力である。 ○概要 城の大きさは東西596m、南北540mで、その中に東西180m、南北270mが本丸が備わっていたと思われ、かなりの大きさの城であったこと...
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