2012年4月29日日曜日

溝咋神社

溝咋神社は大阪府茨木市にある神社。 延喜式神名帳に『摂津国嶋下郡 溝咋神社 鍬靫』と記されている式内社。
○歴史
『日本書紀』神代巻に「事代主神為八尋熊鰐通三島溝?姫或云玉櫛姫而生児姫路鞴五十鈴姫命是為神日本磐余彦火々出見天皇之后也」とあり、この三島には溝?耳命が鎮座し、娘の玉櫛姫が大和三輪の事代主命が見初め、丹塗矢に化けて近づき結婚。五十鈴姫が生まれ、神武天皇の皇后となったとある。溝咋神社は雨乞いの霊験も著しく、社伝によれば、当地が阿保親王の領地であった天長6年(829年)の旱魃では、親王より鏡を賜り、祈雨すると忽ち降雨したという。神宝の「暁の御鏡」(二神二獣鏡)がそれである。社殿は文明9年領主溝咋兵庫介質信、文禄年間には長谷川式部少輔之が再建し、現在の社殿は寛保2年(1742年)米屋右衛門・米屋喜兵衛が建立。 維新まで宮寺の密教山不動院名蓮寺(高野山金剛峰寺)が境内にあり、牛頭天王社として知られる。明治5年(1872年)村社に列し、明治40年(1907年)神饌幣帛共進社に指示される。明治42年(1909年)、安威川の東、馬場字宮田にあった溝咋上宮神社に祭られていた3座(媛蹈鞴五十鈴媛命・溝咋耳命・天日方奇日方命)を合祀。明治42年二階堂字星見の天満神社(菅原道真)、明治43年(1910年)には大字目垣の荒神社(軻遇突知神・中津彦神・中津比賣神)を境内に移転。かつては祭礼に三島鴨神社まで渡御があったという。
○祭神
現在「溝咋玉櫛媛命」「媛蹈鞴五十鈴媛命」「溝咋耳命」「天日方奇日方命」「速素盞鳴尊」「天児屋根命」の6柱を祀る。
○境内社
摂社:事代主神社:事代主命・軻遇突知神・奥津彦神・奥津比賣神・弥都波能賣神・波邇夜須毘古神・波邇夜須毘賣神
末社:天照皇大神社:天照皇大神・猿田彦神・応神天皇
末社:保食神社:保食神
末社:手力雄神社:手力雄神
末社:木花開耶姫命社:木花開耶姫神・級長戸辺神・市杵嶋姫命・菅原道真
○溝咋上宮神社跡
賀剛氏は「式内社の研究」で上代は上社の溝咋耳命に仕えたのが下社の祭神玉櫛姫であったのが、五十鈴姫が神武天皇の皇后となったので母神の方が有力となり、下社が式内社に昇格したとしている。 上社旧跡の碑は、昭和40年(1965年)4月、浪商学園が跡地に運動場を建設した際に建立された。
○所在地
大阪府茨木市五十鈴町9-21
○例祭
4月9日(春祭)・10月14日(秋祭)



0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。