本瀧寺は、大阪府豊能郡能勢町にある1946年に創建された妙見宗総本山の仏教寺院。山号は当初「妙見山」であったが、2000年頃から「能勢妙見山」へと変更した。境内地の建物や看板などからも以前のそれが確認できる。本瀧寺は妙見山の中腹にあるため、山頂にある日蓮宗寺院である能勢妙見山 (能勢妙見堂)と混同されることが多いが、天台宗系の妙見宗総本山の寺院である。
○歴史・概要
1921年、天台修験道の僧侶野間日照上人が古くからの行場である本瀧の地に天台系修験道の寺院を建立した(当時、新たな寺院を建立する許可を取るのは難しかったため、奈良にあった天台宗修験道の寺院「薫香院」の名義を移転させる形で新寺院を建立)。1926年に「本瀧寺」へと改称し現在の寺号となる。1946年には、それまでの天台宗から独立、新宗派として「妙見宗」を創立し妙見宗の総本山として教線を拡大していく。本瀧寺の公式ページによると本堂大空殿は、かつて山頂にあった大空寺にちなんで名付けられているとされるが、山頂にあった大空寺が移転したものではない。また、大空寺は真言宗寺院であるが本瀧寺は天台宗系の寺院であるため宗派も異なる全く別の寺院である。ちなみに、行基が拓いた大空寺にはのちに能勢氏の妙見菩薩像が祀られ、現在は能勢妙見堂(無漏山真如寺境外仏堂能勢妙見山)となっている。
○本尊
本尊は釈迦如来(または法華曼荼羅)、脇本尊として妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ)と常富大菩薩(つねとみだいぼさつ)。
○能勢の本瀧
奈良時代、妙見山北部中腹にある滝が行基により拓かれ、為楽山の水行場として使われるようになり「行儀の滝」(現在の能勢の本瀧)と呼ばれるようになったと伝えられる。ただし、口伝として伝わるのみで江戸時代以前の文献としては確認されていない。奈良時代から室町時代中期にかけては山頂の真言宗大空寺の行場であったが戦国時代に荒れ建てた。江戸時代初期には山頂の能勢妙見堂の境内地であったため、日蓮宗の日乾が滝を改修したと伝えられている。江戸時代中期になると能勢妙見堂の行場として修行する人々で再び賑わいを取り戻す。本瀧は当時、能勢妙見堂の境内地であったが旗本である能勢氏の知行地という扱いであったため、明治時代に入るとこの地は版籍奉還により政府に返還され、そこから地元の野間中村へ払い下げられた。その後しばらくは野間中村が滝の管理をしていたが、明治後期に本瀧寺開祖の野間日照上人が野間中村から土地を取得する。野間日照上人は、かつて能勢妙見堂のお堂の一つであった常富堂を改修する形で堂宇を建立し、それが現在の本瀧寺の基礎となった。寺の名前の由来にもなった能勢の本瀧は境内の南東奥にあり、江戸時代以前は妙見瀧や妙見山瀧と呼ばれていたが、能勢妙見堂の境内地でなくなった明治期頃から本瀧と呼ばれるようになった。正面に石の大鳥居があり、青銅の竜の口からは湧き水が落下している。本瀧寺が建立される以前は、能勢妙見堂への寄進として天保12年に丹波の日の出講の発願で法華経の一字一石が滝壺に埋められるなど行場としての歴史は古く、滝周辺には多くの石仏が祀られている。また、天理教教祖中山みき師(1798年 - 1887年)や本門仏立宗開祖長松清風上人(1817年 - 1890年)、浪速の王将阪田三吉も本瀧で修行したと伝えられる。
○所在地
大阪府豊能郡能勢町野間中718
http://www.hontakiji.com/
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