日光杉並木は、日光街道、日光例幣使街道、会津西街道の3街道に跨がるスギの並木道。日光杉並木街道とも呼ばれる。
○概要
日光杉並木は、日光街道、日光例幣使街道、会津西街道のうち、旧日光神領内にあたる大沢-日光間16.52キロメートル、小倉-今市間13.17キロメートル、大桑-今市間5.72キロメートルの3区間の両側にスギが植栽された並木道である。総延長は35.41キロメートルに及び、世界最長の並木道としてギネスブックに登録されている。徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えた松平正綱が、主君家康の没後、日光東照宮への参道にあたる3街道に約20年の歳月をかけてスギを植樹し、東照宮に寄進したことに始まり、江戸時代には幕府の日光奉行の元で手厚く保護された。明治以降は幾度も伐採の危機に瀕するものの、官民双方の有識者の努力によって大規模な伐採は避けられてきた。中でも、地元出身の林学者で「杉博士」と呼ばれた鈴木丙馬は、杉並木の研究と保護に生涯を捧げ、保護運動の中心となって活躍した。周辺の開発によって旧態を失った箇所もあるものの、植樹から400年近く経った現在でも約12,500本のスギが生い茂り、寄進碑や一里塚も現存するなど、江戸時代の街道の景観をよく伝えており、歴史的にも植物学的にも特に重要とされ、日光杉並木街道 附 並木寄進碑として、全国で唯一特別史跡および特別天然記念物の二重指定を受けている。現在も生活道路として利用されているが、街道を通る自動車の排気ガスや沿線の開発による根の切断などによって樹勢の衰えが進行し、毎年平均して100本以上のスギが倒木や枯死により姿を消している。保護が叫ばれて久しいものの、減少のペースに歯止めを掛けるには至っていない。このままでは100年後には消滅してしまうとも言われ、早急な対策が必要とされている。
○並木の長さ
並木杉の寄進碑間距離の総計は約37kmであるが、現存する並木杉の端から端までを測った場合は35.41キロメートルとなる。特別史跡および特別天然記念物には寄進碑間距離の37キロメートルで指定されており、ギネスブックには寄進碑を含まない実延長の35.41キロメートルで認定されている。
○歴史
寛永2年(1625年)松平正綱、植樹に着手。
慶安元年(1648年)4月松平正綱、徳川家康の三十三回忌に日光東照宮へ杉並木を寄進。
慶応4年(1868年)4月大鳥圭介(旧幕府)軍が野口十文字に陣をはり新政府軍の砲撃にあう。
1922年(大正11年)3月8日「日光杉並木街道 附 並木寄進碑」として国の史跡、天然記念物に指定される。
1949年(昭和24年)12月26日今市地震で十石坂より鹿沼寄りの並木が地すべりを起こす。
1952年(昭和27年)国の特別史跡に指定。
1954年(昭和29年)国の特別天然記念物に指定。
○維持管理
日光杉並木保護財団および栃木県文化財課により樹勢回復事業が行われている。平成8年秋より事業費を捻出するため「日光杉並木オーナー制度」が開始された。
○当該国道
日光街道/国道119号:日光市松原町付近(日光市山内の神橋付近の杉も含むという説もある)から日光市山口付近まで
例幣使街道/国道121号:日光街道より枝分かれし日光市今市(追分地蔵尊前)から同市と鹿沼市の境界付近まで
会津西街道/国道121号:日光市豊田付近から同市大桑付近まで
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