高貴寺は、大阪府南河内郡河南町平石にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は神下山。
○歴史
開山は役行者で、文武天皇の勅願によるといわれている。河内高貴寺縁起によると、役行者が草創した二十八箇所の修験霊場のひとつで、古くは底筒男命が降臨した地として、神下山香花寺と称した。弘仁年間に、空海が来住した際、高貴徳王菩薩の示現を見たため、高貴寺と改称した。南北朝時代に、南朝の後醍醐天皇より北朝軍調伏の祈祷を命じられるなど南朝側についたが、元弘元年(1331年)の兵火により焼失した。翌年に金堂が再建され、寺門六坊も復興したが、次第に衰微していった。安永5年(1776年)に慈雲尊者飲光が入寺し、大和郡山藩主柳沢保光の帰依・支援を受け、堂舎を整備し、当寺を真言律と梵学修行道場とし、戒壇を設けて正法律の本山とした。明治維新期の神仏分離により、磐船神社が分離されたが、堂舎は難を逃れた。現在、堂舎として、金堂、講堂、開山堂、学寮があり、奥院には弘法大師御影堂、慈雲の墓、後桃園天皇の御実母の開明門院御髪奉安塔、柳沢保光(尭山)の遺髪碑がある。また、慈雲筆の梵学津梁一千巻を所蔵する。明治期の女流歌人、石上露子の没後50年を記念し、命日に当たる2009年10月8日に歌碑除幕式が行われた。
○文化財
重要文化財(国指定)
金銅五鈷鈴(1983年6月6日指定)
木造弁才天坐像(1990年6月29日指定)
大阪府指定史跡
高貴寺境内(1970年12月7日指定)
○所在地
大阪府南河内郡河南町平石
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