2013年10月7日月曜日

慈眼院

慈眼院は大阪府泉佐野市にある真言宗御室派の寺院。山号は大悲山。近世末までは、隣接する日根神社の神宮寺であった。国宝の多宝塔は石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとして知られる。また境内が「日根荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている。仏塔古寺十八尊第十二番。
○歴史
伝承によれば、天武天皇2年(673年)、天皇の勅願寺として、井堰山願成就寺無辺光院の名で覚豪阿闍梨により開創され、奈良時代の天平年間、聖武天皇の勅願寺となり、寺領1千石が加増されたという。その後、弘仁6年(815年)、 空海(弘法大師)によって多宝塔、金堂をはじめとする諸堂が再興されたと伝える。南北朝の正平8年(1353年)、戦火を受けて焼失。その後、後村上天皇と後亀山天皇の勅命により再興された。慈眼院の位置する日根(日根野)荘は、五摂家の1つである九条家の荘園であった。文亀元年(1501年)から4年間、前関白の九条政基が日根に滞在して領地の直接経営にあたり、日記「政基公旅引付」(宮内庁書陵部蔵)を残している。天正13年(1585年)には豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火を受けて、金堂、多宝塔を除いた全山が焼失。その後慶長7年(1602年)、豊臣秀頼によって伽藍の再興が始められ、奥之坊・山之坊・明王院・戒躰院・稲之坊・中之坊・下之坊・東方寺・上之坊・明神社・観音堂・毘沙門堂・護摩堂の堂宇が建立された。寛文年間には岸和田藩藩主岡部氏により修復が行われ、寛文5年(1665年)、中之坊が仁和寺の性承門跡から現在の院号「慈眼院」を賜り、仁和寺の末寺となった。
○伽藍
多宝塔(国宝)-鎌倉時代、文永8年(1271年)建立。高さ約10m。屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小。石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとされる。初層内部には大日如来坐像(大阪府指定文化財)を安置する。
金堂(重要文化財)-鎌倉時代後期、方3間、単層、寄棟造、本瓦葺。別名毘沙門堂または一願薬師堂。「?経(笹塔婆)」が保管されている。
食野家(めしのけ)十三重石塔-江戸時代
本邦洋式製革始祖碑-明治時代
○札所等
仏塔古寺十八尊第12番
和泉西国三十三箇所客番
新大阪百景
○所在地
〒598-0021大阪府泉佐野市日根野626
○拝観情報
開門時間-8:00~17:00(要予約)
交通アクセス-南海電鉄 泉佐野駅または阪和線日根野駅から南海バス「犬鳴山」行きで8分、「東上」下車すぐ

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