○歴史
『摂津名所図会』に天平勝宝年中(749年~757年)、行基が紫雲霊光を目指してこの地に至ると、老翁から精舎を建てなさいと示され、行基自ら薬師如来を彫刻し、放光山昧舌寺と号した。ある年、賊徒の蜂起に村民が防げないでいると、殿内より数千の蜂が出現して退治してくれた。これにより霊蜂山蜂前寺と改めた、とある。 寺伝では永正年間(1504年~1521年)に三宅城城主三宅出羽守国政の外護を得たが、天正年間(1573年~1592年)の兵火で堂宇悉く焼失。寛文3年(1633年)に宥清が再興。元文年間(1736年~1741年)領主織田輔宜の祈願寺となり往古の面影を取戻したという。 『摂津志』には、上梁文に天正15年(1587年)10月3日再建と記す。
○境内
本堂
鐘楼
護摩堂
弁天堂
咤枳尼天堂
蜂塚
○文化財
木造 不動明王立像 大阪府指定有形文化財 (昭和45年2月20日指定)平安時代
○交通アクセス
JR京都線千里丘駅徒歩10分
○所在地
大阪府摂津市千里丘3丁目10-5
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