堺での鉄砲の製造は、天文12年(1543)頃にポルトガルから種子島に伝わった鉄砲の製造技術を、橘屋又三郎が持ち帰ったことが始まりという。以来、自由都市・堺は鉄砲づくりの町として全国に名を馳せるとともに、戦国大名たちと密接な関係を築く。市内に残る資料には明暦3年(1657)、全国から4535挺の注文があったとされ、最盛期の戦国時代には年間1万挺以上を製造していたとみられる。北旅篭町にある旧鉄砲鍛冶屋敷(内部は非公開)は、当時の堺の代表的な鉄砲鍛冶屋・井上関右衛門の屋敷。内部には、火縄銃や懐銃、大筒や大ふいご、御用札などが保存されている。阪堺電気軌道「高須神社駅」から歩いて約10分。近くには、鍛冶職人の守り神であった神高須神社や、鉄砲鍛冶射的場跡の石碑などもある。
江戸時代から続く堺の鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗。1689年の元禄ニ年堺大絵図にも店舗の記載がある。堺にただ1つ現存する当時の鉄砲鍛冶屋敷。現在部屋となっている母屋の北側は鍛冶場で、南の家を次々と入手し鍛冶場を広げ、大座敷を設けたよう。江戸初期から末期に亘る鉄砲鍛冶の生活の実態を知る上で貴重な建物。
所在地:〒590-0928大阪府堺市堺区北旅籠町西1-3-22
交通アクセス:阪堺電軌阪堺線「高須神社駅」より徒歩10分、南海本線「七道駅」より徒歩12分
営業期間 : ※内部非公開
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