往生院は、大阪府東大阪市にある仏教寺院で、単立寺院。山号は岩瀧山。寺号は六萬寺。本尊は阿弥陀如来。
○歴史
寺伝によると、聖武天皇の勅願により行基によって創建されたと伝えられる。もとは6世紀末頃に建てられ、その後荒廃した桜井寺の跡に建立された。天慶年間(938年~947年)に焼失して衰退したが、長暦年間(1037年~1040年)安助によって中興されたという。1348年(正平3年)には四條畷の戦いにおいて南朝方の武将・楠木正行の城塞(本陣)となり、戦いに巻き込まれて焼失、承応三年(1654年)に鷹司信房によって復興され、正成公・正行公の供養塔も建立された。しかし明治時代になって四條畷神社創立の影響を恐れた往生院が自ら二石の供養塔を隠蔽、古文献を処分し、往生院は破壊された。その後鷹司家が復興を試みるも進展せず、太平洋戦争終結後しばらくして立誡和尚により復興された。
日本書紀によれば、崇峻天皇3年(590)、百済に留学した善信尼ら一行が帰国後、桜井寺に入山。その後、天平17年(745)、行基が荒廃した桜井寺の跡へ六萬寺を再建し、薬師如来を本尊としたと伝えられる。往時は50を数える坊があったといわれるが、時代と共に盛衰を繰り返し、今から1000年余り前、安助上人が荒廃していた六萬寺を再建、往生院として開いたという。正平3年(1348)、四條縄手の戦いで、楠木正成の子の正行(まさつら)が往生院に本陣を構えたが、北朝方に敗北し、往生院も焼け落ちた。現在の伽藍の大半は明治以降に復興されたもので、楠木正行の墓や楠木正成の供養塔をはじめ、墓苑、鐘楼堂、歴史館、民具館などが建つ。
○文化財
大阪府指定有形文化財
木造阿弥陀如来坐像及両脇侍立像 附:阿弥陀如来像内納入文書
木造阿弥陀如来坐像
木造十一面観音立像
柊形小札鋲留眉庇付冑 附:三角板鋲留短甲残闕(ひいらぎがたこざねびょうどめ まびさしつきかぶと つけたり さんかくいたびょうどめ たんこうざんけつ)
所在地 大阪府東大阪市六万寺町1-22-36
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