上宮天満宮は、大阪府高槻市にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。菅原道真を主祭神とし、武日照命・野見宿禰を配祀する。「大宰府天満宮に次いで日本で2番目に古い天満宮」を称している。
○歴史
社伝によれば、正暦4年(993年)5月、勅使・菅原幹正が太宰府に下向して道真の墓に参拝し、贈左大臣正一位の詔を伝え、菅公の御霊代と菅公自筆の自画像を奉じての帰途、この地に達した時に急に牛車が動かなくなった。幹正は、「この地の山上には菅公の祖先である野見宿禰の祖廟がある。牛車が動かないのも理由があることだ。山上に自画像を奉安して祀るのが良い」として道真を祀ったのが当社の始まりとする。元々当地には延喜式神名帳に記載される「野見神社」(現 摂社「野身神社」)があり、後になって道真を祀る天満宮が創建されて、野見神社がそれに吸収されたものと見られる。摂社野身神社は、野見宿禰の墳墓とされる小墳丘の上にある。
永禄11年(1568年)芥川山城の三好討伐の際に織田信長が本陣を構えた。
天正6年(1578年)、高槻城主となったキリシタン大名の高山右近が当社に火を放った。
天正10年(1582年)の山崎の戦いの際、豊臣秀吉は当社の参道である「天神馬場」に本陣を置いた。秀吉は戦勝に感謝し、天正18年(1590年)、社地を寄進し、社殿を修造した。
明治12年(1879年)5月、「野身神社」に改称し、郷社に列格した。第二次世界大戦後、元の上宮天満宮の名に復した。
平成8年(1996年)11月、放火により本殿を焼失した。本殿は平成14年(2002年)、日本初の竹製の本殿として再建された。
○文化財
算額:明治33年(1900年)矢野門人稲葉伊三郎他31名奉納。絵馬堂に掲額。
石造灯篭:(昭和17年5月30日、国の重要美術品に認定) 鎌倉時代の作とされる。旧「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」による認定物件
○所在地
大阪府高槻市天神町1-15-5
○例祭
2月25日-26日(天神祭)
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