大阪府大東市にある高野山真言宗の寺院。
□龍眼寺について
虚空つき 衆生つき 涅槃尽きなば、わが願いもつきなん
□龍の伝説
その昔、天下が大干ばつとなり聖武天皇は行基に雨乞いの祈祷を命じました。 行基が賢明に祈願していると若い龍が現れ「私はあなたの佛恩に報いたいと思います。しかし竜の王は怒って私を殺すに違いありません。そのとき、きっ と雨が降るでしょう。」竜王の怒りにふれた若い龍は体を三つに裂かれてしまいましたが雨は大地を潤しすべての命がよみがえりました。 龍の体は頭、胸、尾に分かれて空から落ちてきました。 天皇は深く感銘しそれぞれに寺を建てたと伝えられます。胸の落ちたところが「竜間」となりました。(大東市の民話より)
□龍眼寺の周辺
当山は生駒山系のほぼ北側に位置し、大阪と奈良をつなぐ重要な道として栄えた竜間の地にあります。 西に東高野街道があり南北朝時代の楠木正行と高師直の四条畷の合戦の地として今も名残をとどめており、多くの史跡に囲まれた地域です。殊に「竜間」の地名にもなっている龍の伝説は大東市の民話として親しまれています。
□龍眼寺の由来
当山の開基、妙久法尼は四国巡錫の砌、虚空蔵菩薩様が現れ、「生駒の山に龍の住む山あり。供養すべし」と霊示をうけ、生駒の山に登りこの竜間の地にたどり 着きました。そこで一心に三七日(二十一日間)護摩供養を修していると不思議に水が湧き出て、光明に包まれた八面六臂の三寳荒神様が現れ、「龍の眼をもっ て世の中を見渡し、衆生の苦悩を救わん」と説かれました。このことより、寺号を龍眼寺と号し、虚空蔵菩薩様をご本尊に、また三寳荒神様を鎮守とするように なりました。 現在では「生駒の荒神さん」として親しまれ、商売繁盛、厄難除に多数のご参詣を得ています。
所在地:大阪府大東市龍間37-3
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