和気山統国寺は釈迦三尊を本尊とする在日コリアンの寺です。境内は、大阪市天王寺区茶臼山史蹟の南部に隣接し難波の百済寺(難波百済古念仏寺)があったといわれている。 茶臼山池(河底池)を望む絶景地で、大阪の名勝としてよく知られている。ここに 聖徳太子が 寺をの創建されました。602年来日し 暦法・天文学・地理学・方術などを伝えた 百済の僧観勒(かんろく)が飛鳥寺で仏法を説き僧正に任ぜられた後 開山住持としてここに招かれ、百済古念仏寺と名づけられ推古天皇の帰依により国家の厚い保護を受けた。元和元年(1615年)の大阪夏の陣で、徳川方に加勢したため 真田幸村軍の攻撃により 全山焼失した。 1689年黄檗宗の法源和尚により再興せられた。宝永6年(1709年)、黄檗四代独湛(どくたん)和尚を招請して黄檗宗に属して寺名を邦福寺と改め、また近くの和気清麻呂が開いた和気堀にちなんで和気山の山号をつけたとされている。その当時の正式名は和気山邦福寺である。門前には 禅の修行僧が食べたといわれる普茶料理をだす坂口楼がある。 昭和44年(1969年)には在日本朝鮮仏教徒協会の傘下に入り、「統国寺」と改名され再復興された。朝鮮仏教儀礼と朝鮮の伝統のある儀式を行い、納骨堂には朝鮮人殉難者達の遺骨が奉安されており、諸精霊の供養を通して世界平和を祈っている。さらに、在日同胞の民族精神を顕揚を確立するために、そして大阪地区の民族精神の象徴的役割を果たすために活動を行っている。統国寺と名前の中に東西に分断された朝鮮民族の国家統一への願いがこめられている。なお山門を入った右手に信者より奉納された東西ドイツ分断の象徴であったがベルリンの壁の一部がある。統国寺という名前も祖国統一を願ってつけられたのあろう。当寺は古くより文化人に愛された名勝で斉藤茂吉のアララギ派大阪歌会もここでしばしばおこなわれた。なお和気山という山号は「続日本書紀」よれば和気清麻呂が延暦七年(788年)荒陵(あらはかー四天王寺の地)の南に運河を造った。 その一部が川底池であり掘った土砂を積み上げたのが茶臼山だと言われているのにちなむと思われる。
住所:〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-31
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