宮古街道は、岩手県の盛岡城下と盛岡藩の外港としての宮古、鍬ヶ崎(くわがさき)を結ぶ盛岡藩領の脇街道。別称 閉伊街道(へいかいどう)
○概要
沿岸の海産物を内陸に運び、帰りの牛馬に米雑穀を積んで運ぶ「五十集(いさば)の道」とも呼ばれる流通ルートでもあった。当初は、盛岡城下から簗川、区界峠を越えて下閉伊郡にはいり、閉伊川水系に沿って門馬、茂市を通り、宮古に至る(南部領道程記 正保4年(1647年)) 街道であり、 起伏の多い山道が街道として使われ、道筋が幾重にも拓かれ、時代によって付け替えや改修が繰り返され、次第に閉伊川川沿いのルートとなっていった。 宝暦5年頃から牧庵鞭牛和尚によって、平津戸~蟇目間が改修整備され、文政6年(1823年)には五戸の豪商藤田武兵衛によって新道が開削改修した。 文化年間(1804-1817年)以降は異国船への海岸防備のため改修工事が行われている。1871年(明治4年)岩手県令島惟精により、道路幅を7.3mに拡張して県道に編入にした。
○宿場・馬継所
盛岡城下(岩手県盛岡市)(岩手郡盛岡)
築川 (岩手県盛岡市)(岩手郡簗川村)
田代 (岩手県宮古市)(閉伊郡田代村)
門馬 ( 〃 〃 )(閉伊郡門馬村)
平津戸 ( 〃 〃 )(閉伊郡平津戸村)
川内 ( 〃 〃 )(閉伊郡川内村)
箱石 ( 〃 〃 )(閉伊郡箱石村)
川井 ( 〃 〃 )(閉伊郡川井村)
古田 ( 〃 〃 )(閉伊郡古田村)
腹帯 ( 〃 〃 )(閉伊郡腹帯(はらたい)村)
茂市 ( 〃 〃 )(閉伊郡茂市(もいち)村)
蟇目 ( 〃 〃 )(閉伊郡蟇目(ひきめ)村)
花原市 ( 〃 〃 )(閉伊郡花原市(けばらいち)村)
根城 ( 〃 〃 )(閉伊郡老木村根城(ねじょう))
田鎖 ( 〃 〃 )(閉伊郡田鎖(たくさり)村)
千徳 ( 〃 〃 )(閉伊郡千徳(せんとく)村)
宮古 (岩手県宮古市)(閉伊郡宮古村)
「邦内貢賦記」 天和年間(1681 ~ 1684年)
○一里塚
高畑
大塚
大倉峠
築川
猿石
○峠
大倉峠:高畑-川目
区界峠築:川-田代
大峠:平津戸-川内
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