御霊林合戦に始まる応仁の乱は、山名宗全・細川勝元の死により、中央での戦乱は終結した。畠山義就は河内に兵を引くが、その後も義就・政長は河内・大和で争う事となる。
1477年(文明9)政長は正覚寺に陣を置き、義就と争ったが、この時以来正覚寺は城郭化されたものとみられている。1493年(明応2)4月、義就の子である義豊率いる大軍に攻められ、25日政長は自害し、正覚寺城は灰燼と化した。1577年(天正5)織田信長が石山本願寺攻めの際、この地に本陣を置いている。
住所:大阪府大阪市平野区加美正覚寺1-17-30(旭神社内)
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