生玉神社は社伝によれば、神武天皇が九州より難波津に上陸した際、現在の大阪城付近(上町台地の北端)に生島大神、足島(たるしま)大神を祀ったのが創祀と伝えられ、後に、大物主大神が相殿神として祀られている。
文献による初見では『日本書紀』孝徳天皇即位前記(7世紀中頃)には難波宮造営の際に『生國魂神社の樹を切りたまふ・・・』と記されており、『延喜式』神名帳では『難波坐生國咲國魂神社(なにわにいますいくくにさきくにたまじんじゃ)』二座と記され、宮中の例祭にあたって神祇官から幣帛が授けられた最高の待遇を受けた神社であった。
中世に入り、1496年(明応5年)、本願寺八世蓮如上人が生國魂神社に接して『石山御坊(後の石山本願寺)』を建立したが、1580年(天正8年)織田信長に屈し灰燼に帰した。1583年(天正11年)豊臣秀吉が大阪城築城のため、社領を寄進し社殿を造営。1585年(天正13年)に現在の鎮座地に遷されたと伝えられている。明治維新の廃仏毀釈によって境内にあった神宮寺が境外へ分散するなど境内は著しく変化したが、1871年(明治4年)官幣大社に加列された。
社殿は(明治45年)『南の大火』、1945年(昭和20年)の戦災による消失、1950年(昭和25年)の『ジェ―ン台風』による倒壊など幾度も被災と造営を繰り返し、現在の社殿は1956年(昭和31年)に建立されたものである。
境内にある井原西鶴像があるそうです。
毎年お祭りと指定化のようなものが開催されているそうです。
生玉夏祭(いくたま夏祭)-7月11日~12日(大阪三大夏祭のひとつとしても知られる)
彦八まつり-毎年9月の第1土曜日、日曜日(上方落語協会主催)
例祭-9月9日
所在地:大阪市天王寺区生玉町13-9
最寄駅:地下鉄谷町線「谷町9丁目」下車、南西へ約400M
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