2012年3月13日火曜日

塚口城跡(塚口御坊跡)

尼崎市塚口に昔塚口城というお城があったことをご存知ですか。
尼崎地方の一向一揆は、塚口御坊が中心であったとしるされています。この御坊は、応永16年(1409)に性雲上人が建てた伝えています。性雲上人が尼崎に来た時病気になり、1ヶ月余り滞在しました。この時入門した祐信が発起人となって、上人の許しを得て堂舎を建てたのが塚口御坊となりました。そののち、細川勝元と山名持豊とが応仁2年(1468)に争った時、広根(川西市)の最徳寺、多田(川西市)の光遍寺、箕輪(豊中市)の超光寺の3ヶ寺が塚口御坊を警護したとも言われます。塚口御坊が川辺郡・豊島郡・能勢郡の末寺や同情などで組織化した一揆の中心になっていたことを物語っています。塚口御坊が方2町(約200m四方)余の境内の周りに土塁を巡らし、さらに濠を巡らして戦国時代の城を構えて備えていました。そのため塚口城ともいわれています。ここが城として用いられたのは織田信長と荒木村重人の戦いのときです。塚口御坊が消滅後は正玄寺がその後を引き継いでいる。
所在地:尼崎市塚口本町1-12


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