帝塚山古墳は、大阪市住吉区帝塚山にある古墳。近隣の帝塚山という地名のルーツ。
現在は、帝塚山古墳は一つだけだが、明治時代までは、俗に「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり、この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていた。大帝塚の方は、現在の大阪市立住吉中学校の敷地となり、小帝塚の方が帝塚山古墳として現存している。前方後円墳。
帝塚山は、元はたんに「塚」または「手塚」「手塚山」と呼ばれていた。阪堺線の塚西駅の名称は、塚の西という意味でその痕跡を伝えていると言えるかもしれない。
明治天皇が大阪に行幸し、かつての南朝の後村上天皇の御所だった住吉行宮に滞在し当地に足を運んだことを機縁に「帝塚山」という名称に改められたとされる。
財団法人住吉村常盤会が管理している。
規模:全長88m、高さ9m
築造年代:4世紀末~5世紀初頭
所在地:大阪市住吉区帝塚山西2丁目8
最寄り駅
南海電鉄高野線帝塚山駅下車、西へ約100m
阪堺電気軌道阪堺線塚西駅下車、南東へ約200m
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。