大塩平八郎父子の逃亡を手助けしたという秋篠昭足(あきしのあきたり)の墓があります。碑文には、「秋篠氏は平八郎の縁者で、天保8年の乱の謀議にも参加し、乱の後、平八郎および其の徒12人と共に河内に逃れ、その後、大塩父子ほか5人は海伝いに天草島に潜伏後、清国に逃れ、大塩父子は更にヨーロッパに渡った。」とあります。大塩生存説の有力な証拠となっています。
所在地:大阪府大阪市天王寺区城南寺町6-32
2015年4月30日木曜日
祇園祭山鉾巡行2015
日本を代表する夏祭り「祇園祭」のハイライトである山鉾巡行が、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に分かれて行われます。豪華絢爛な前祭23基、後祭10基の山鉾が、「コンチキチン」の祇園囃子を奏でながら、途中、「注連縄(しめなわ)切り」「くじ改め」や豪快な辻廻しなどの見せ場を作りつつ、都大路を巡ります。
開催期間:2015年7月17日、24日前祭/17日9:00~13:00頃、後祭/24日9:30~12:00頃
開催場所:四条烏丸~四条河原町~河原町御池~新町御池
交通アクセス:地下鉄烏丸線「四条駅」下車
開催期間:2015年7月17日、24日前祭/17日9:00~13:00頃、後祭/24日9:30~12:00頃
開催場所:四条烏丸~四条河原町~河原町御池~新町御池
交通アクセス:地下鉄烏丸線「四条駅」下車
2015年4月29日水曜日
山田高皇産霊神社
○御鎮座地
当神社は、伊丹市の南西部、尼崎市との境界に隣接した山田地区に鎮座されています。山田という地名の由来は不詳ですが、周辺の土地よりも若干高く、水につかりにくかったことから、山になったところの田で、山田といわれたとも。
○御祭神
高皇産霊尊
○御由緒
当社の創始は不詳ですが、神社誌には、明治維新前は大梵天王と称せしも今はその称を廃す。明治六年八月に村社に列せられる。三十七年八月十三日、社名「高皇産霊神社」を「高皇産霊尊神社」と改称す。と記載されています。社名は、現在「高皇産霊神社」でいつ頃かに元にもどっているようですが?。
○境内社
拝殿右側に、赤い社の「弁財天社」とさらにその右に、祇園社、梵天社、愛宕神社の三社が祀られています。離れて、右側に、稲荷社が祀られています。その他、震災によって崩壊した石鳥居が記念碑と共に保存されています。
所在地伊丹市 山田 4丁目4-3
市バス:山田停留所西300m
当神社は、伊丹市の南西部、尼崎市との境界に隣接した山田地区に鎮座されています。山田という地名の由来は不詳ですが、周辺の土地よりも若干高く、水につかりにくかったことから、山になったところの田で、山田といわれたとも。
○御祭神
高皇産霊尊
○御由緒
当社の創始は不詳ですが、神社誌には、明治維新前は大梵天王と称せしも今はその称を廃す。明治六年八月に村社に列せられる。三十七年八月十三日、社名「高皇産霊神社」を「高皇産霊尊神社」と改称す。と記載されています。社名は、現在「高皇産霊神社」でいつ頃かに元にもどっているようですが?。
○境内社
拝殿右側に、赤い社の「弁財天社」とさらにその右に、祇園社、梵天社、愛宕神社の三社が祀られています。離れて、右側に、稲荷社が祀られています。その他、震災によって崩壊した石鳥居が記念碑と共に保存されています。
所在地伊丹市 山田 4丁目4-3
市バス:山田停留所西300m
西天神社
○御鎮座地
当神社は、伊丹市の中央部から、やや南西の国道171号線沿いの北側に鎮座されております。旧、昆陽村の西の位置になります。東には、「東天神社」があります。周辺は住宅に囲まれてしまいましたが、境内は広く松・クス・樫などの常緑の大樹の社叢は見事なもので、街中の騒々しさから離れ、木陰では涼しさが漂っています。
○御祭神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
○御由緒
当社の創始は不詳ですが、伝承によれば、天平年間(729~749)に行基法師が、昆陽池を開拓されたときにその事業達成を祈願して創建されたともいわれております。
○境内社
拝殿の左側に、三連殿で産霊神社天満社猿田彦神社が祀られています。また、右側には、稲荷社が祀られています。
所在地:伊丹市昆陽北一丁目5-21
当神社は、伊丹市の中央部から、やや南西の国道171号線沿いの北側に鎮座されております。旧、昆陽村の西の位置になります。東には、「東天神社」があります。周辺は住宅に囲まれてしまいましたが、境内は広く松・クス・樫などの常緑の大樹の社叢は見事なもので、街中の騒々しさから離れ、木陰では涼しさが漂っています。
○御祭神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
○御由緒
当社の創始は不詳ですが、伝承によれば、天平年間(729~749)に行基法師が、昆陽池を開拓されたときにその事業達成を祈願して創建されたともいわれております。
○境内社
拝殿の左側に、三連殿で産霊神社天満社猿田彦神社が祀られています。また、右側には、稲荷社が祀られています。
所在地:伊丹市昆陽北一丁目5-21
千僧天神社
○御鎮座地
当神社は、伊丹市の中央部、千僧地区の、旧西国街道沿いに鎮座されています。千僧の地名の由来は、天平勝宝年間(750~756)に集落が出来たとき、千僧供養塔があったからだと云われていますが、行基菩薩が、和銅六年(713)勅願により、この地で千僧供養を修して猪名野権現を祀ったといわれています。
○御祭神
大己貴命(おおなむち の みこと)
熊野皇大神(くまのすめおおみかみ)
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)
豊受姫大神(とようけひめおおかみ)
初めは、大己貴命(おおなむちのみこと)のみを祀っていましたが後に、猪名神社、及び境内の天来神社を合祀したために御祭神が増えております。
○御由緒
神社誌には創立年月不詳とされていますが、「摂陽群談」と当社の由緒書きには、和銅六年(713)行基法師、熊野に詣で一夕神に見ゆ、明旦麗容を彫刻してこの地に帰って猪名権現として祀り、池、田、畑の開拓達成を祈願された。とあります。
○「一の鳥居」と「二の鳥居」
当神社には、「一の鳥居」と「二の鳥居」がありますが「一の鳥居」は、平成7年の大震災にて倒懐しましたが同年に再建されました。新鳥居の近くに、旧鳥居の柱の一部が建てられておりますがそれには、「元禄十七年(1704)三月吉日」の刻銘があります。「二の鳥居」は、明治四十三年(1910)に合祀をした猪名神社(通称:東の宮さん)の鳥居をここに移設されたもので、宝永三年(1706)正月吉日の刻銘があります。猪名神社(東の宮さん)の元の位置はは、北東にある「安楽院」の北に鎮座されていました。大きな墓場でもありましたが、現在は自衛隊の伊丹駐屯地になっています。
所在地:伊丹市千僧2丁目151
当神社は、伊丹市の中央部、千僧地区の、旧西国街道沿いに鎮座されています。千僧の地名の由来は、天平勝宝年間(750~756)に集落が出来たとき、千僧供養塔があったからだと云われていますが、行基菩薩が、和銅六年(713)勅願により、この地で千僧供養を修して猪名野権現を祀ったといわれています。
○御祭神
大己貴命(おおなむち の みこと)
熊野皇大神(くまのすめおおみかみ)
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)
豊受姫大神(とようけひめおおかみ)
初めは、大己貴命(おおなむちのみこと)のみを祀っていましたが後に、猪名神社、及び境内の天来神社を合祀したために御祭神が増えております。
○御由緒
神社誌には創立年月不詳とされていますが、「摂陽群談」と当社の由緒書きには、和銅六年(713)行基法師、熊野に詣で一夕神に見ゆ、明旦麗容を彫刻してこの地に帰って猪名権現として祀り、池、田、畑の開拓達成を祈願された。とあります。
○「一の鳥居」と「二の鳥居」
当神社には、「一の鳥居」と「二の鳥居」がありますが「一の鳥居」は、平成7年の大震災にて倒懐しましたが同年に再建されました。新鳥居の近くに、旧鳥居の柱の一部が建てられておりますがそれには、「元禄十七年(1704)三月吉日」の刻銘があります。「二の鳥居」は、明治四十三年(1910)に合祀をした猪名神社(通称:東の宮さん)の鳥居をここに移設されたもので、宝永三年(1706)正月吉日の刻銘があります。猪名神社(東の宮さん)の元の位置はは、北東にある「安楽院」の北に鎮座されていました。大きな墓場でもありましたが、現在は自衛隊の伊丹駐屯地になっています。
所在地:伊丹市千僧2丁目151
健速神社
○御鎮座地
当神社は、伊丹市の南部の野間地区、尼崎市との境界近くの住宅地の中に鎮座されています。野間は、猪名川と武庫川の中間地で、荒蕪地を開いた所で、野間と言われているそうです。
○御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
○御由緒
神社誌、由緒板、には次のように書かれています。慶雲年間(704~708)、東の森と西の森に、東健速神社と西健速神社の2社があって、各々、東野間村、西野間村の氏神でありましたが、和銅年間(708~714)東野間村を西野間村に合併し、村名を野間村としました。そして、神亀元年(724)九月に、両社も合併して現在の地に遷座しました。
所在地:伊丹市野間5丁目3-17
当神社は、伊丹市の南部の野間地区、尼崎市との境界近くの住宅地の中に鎮座されています。野間は、猪名川と武庫川の中間地で、荒蕪地を開いた所で、野間と言われているそうです。
○御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
○御由緒
神社誌、由緒板、には次のように書かれています。慶雲年間(704~708)、東の森と西の森に、東健速神社と西健速神社の2社があって、各々、東野間村、西野間村の氏神でありましたが、和銅年間(708~714)東野間村を西野間村に合併し、村名を野間村としました。そして、神亀元年(724)九月に、両社も合併して現在の地に遷座しました。
所在地:伊丹市野間5丁目3-17
天神祭奉納花火2015
千余年の歴史を誇り、大阪の夏の風物詩となっている「天神祭」で、奉納花火が行われます。大阪の真ん中を流れる大川で、日本三大祭の一つに数えられる天神祭を祝います。夜空を焦がす4000発の花火を見ようと、約120万人もの人出があります。※7月25日の奉納花火へは、桜ノ宮駅は大変混雑しますので、京橋駅をご利用ください(京橋駅~桜宮橋は徒歩約15分)。
開催期間:2015年7月25日19:30~20:50 ※荒天中止(順延なし)
開催場所:川崎公園大川一帯、桜の宮公園グラウンド
交通アクセス:JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩、またはJR大阪環状線「桜宮駅」下車
主催:大阪天満宮
問合せ先:大阪天満宮06-6353-0025
http://www.tenjinsan.com/tjm.html
開催期間:2015年7月25日19:30~20:50 ※荒天中止(順延なし)
開催場所:川崎公園大川一帯、桜の宮公園グラウンド
交通アクセス:JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩、またはJR大阪環状線「桜宮駅」下車
主催:大阪天満宮
問合せ先:大阪天満宮06-6353-0025
http://www.tenjinsan.com/tjm.html
天神祭2015
日本三大祭の一つに数えられる「天神祭」は千余年の歴史を誇り、大阪の夏の風物詩となっています。25日の本宮で行われる御鳳輦(ごほうれん)船が、100隻もの船を従えて大川を行き交う「船渡御」は圧巻で、祭最大の見どころとなっており、毎年100万人以上の人出で賑わいます。フィナーレの奉納花火(荒天中止)では、都心の夜空を打ち上げ花火が彩ります。※7月25日の奉納花火へは、桜ノ宮駅は大変混雑しますので京橋駅をご利用ください(京橋駅~桜宮橋は徒歩約15分)。
所在地:〒530-0041大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
開催期間:2015年7月24日~25日
開催場所:大阪天満宮・大川周辺
交通アクセス:JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩3分
主催:大阪天満宮
問合せ先:大阪天満宮06-6353-0025
http://www.tenjinsan.com/tjm.html
所在地:〒530-0041大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
開催期間:2015年7月24日~25日
開催場所:大阪天満宮・大川周辺
交通アクセス:JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩3分
主催:大阪天満宮
問合せ先:大阪天満宮06-6353-0025
http://www.tenjinsan.com/tjm.html
大幣神事2015
病魔退散と五穀豊穣を祈願する「大幣神事」が県神社で執り行われます。大幣殿で祝詞が上げられ、長さ6mの大幣が巡行し、この大幣に疫災が移されます。巡行は、猿田彦、裃供奉、カザシ、大幣、子供供奉、神官、杓鉾、馬神人と続きます。馬に乗った神人が、一之板を4往復、馬駆けし、最後に大幣を宇治川に落とし、災いは大幣とともに流されます。
所在地:〒611-0021京都府宇治市宇治蓮華72
開催期間:2015年6月8日10:00~12:00
開催場所:県神社
交通アクセス:JR奈良線「宇治駅」から南東へ徒歩15分
主催:県神社
問合せ先:県神社0774-21-3014
http://www.agatajinjya.com
所在地:〒611-0021京都府宇治市宇治蓮華72
開催期間:2015年6月8日10:00~12:00
開催場所:県神社
交通アクセス:JR奈良線「宇治駅」から南東へ徒歩15分
主催:県神社
問合せ先:県神社0774-21-3014
http://www.agatajinjya.com
星愛七夕まつり2015
大阪天満宮に笹飾りと茅の輪が設置され、参拝者は願い事を書いた短冊を飾ったり、琵琶湖の葦で作った茅の輪をくぐってお祓いができます。境内には音楽が流れ、幻想的な雰囲気に包まれます。天神橋筋商店街の有志による出店もあり賑わいます。
所在地:〒530-0041大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
開催期間:2015年7月7日16:00~20:30
交通アクセス:JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩3分
料金:見物無料
問合せ先:大阪天満宮06-6353-0025
http://www.tenjinsan.com/
所在地:〒530-0041大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
開催期間:2015年7月7日16:00~20:30
交通アクセス:JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩3分
料金:見物無料
問合せ先:大阪天満宮06-6353-0025
http://www.tenjinsan.com/
柳谷観音あじさいまつり2015
柳谷観音(楊谷寺)では、例年6月下旬から7月上旬にアジサイが見頃を迎えます。毎年6月下旬に、2日間にわたって「あじさいまつり」が開催され、お茶席が設けられます。日本古来の和アジサイをはじめ新しい品種も年々増え、あるがままの自然な形で、色とりどりのアジサイが楽しめます。奥ノ院にいたる参道には「あじさいのみち」が整備され、27種4500株のアジサイで彩られます。※JR長岡京駅前から山門までシャトルバス運行(有料)
所在地:〒617-0855京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2
開催期間:2015年6月27日~28日10:00~15:30
開催場所:柳谷観音(楊谷寺)
交通アクセス:JR京都線「長岡京駅」から車約15分
料金:入山無料
問合せ先:長岡京市観光協会075-951-4500
http://yanagidani.jp/
所在地:〒617-0855京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2
開催期間:2015年6月27日~28日10:00~15:30
開催場所:柳谷観音(楊谷寺)
交通アクセス:JR京都線「長岡京駅」から車約15分
料金:入山無料
問合せ先:長岡京市観光協会075-951-4500
http://yanagidani.jp/
小浜宿
小浜宿は、有馬街道の宿場の一つ。江戸時代の摂津国川辺郡小浜町、現在の兵庫県宝塚市小浜にあった。 京伏見街道、西宮街道も通り、交通の要衝であった。
○沿革
小浜は伊丹台地の西端に位置し、平安時代に周辺が陸化するまで瀬戸内海が深く入り込む浜であった。9世紀に国府が置かれ、総社・売布神社が創設される。15世紀末、覚如の末裔である一向宗(浄土真宗)の善秀が小浜庄を開き毫摂寺を建立。 その際、周囲三方を大堀川が迂回する地形を利用して小浜を城塞化、寺内町として一向宗勢力の拠点となり、戦国大名や織田信長の一向一揆弾圧に備えた。 信長が、荒木村重を伊丹城に攻めた(有岡城の戦い)際には、信長方に付いて難を逃れている。その後、有馬などの街道が通る交通の要衝としての地位を確立する。 豊臣秀吉や秀次も有馬湯治の際に立ち寄ったが、秀次が毫摂寺の娘を側室にしたことから、秀次失脚の折、焼き打ちにあってしまう。復興した小浜は、その後江戸幕府からも重視され、小浜宿が成立して発展。脇本陣や旅篭、木賃宿、商家、馬借が林立した。 また、名水「玉の井」を使用した酒造「小浜流」が発達。灘五郷に先立つ大酒造業地となるが、18世紀から次第に灘五郷へ譲渡されてほぼ消滅する。 1723年には大工の集団「小浜組」が結成、大工の町としても知られるようになる。
○寺内町
小浜は、南西北の三方を迂回する大堀川に加えて東側に溜池を掘り、周囲に土塁を廻らして防御性を高めた城塞寺内町であった。 街道ごとの三方には門を構え、東門は京伏見街道、北門は有馬街道、南門は西宮街道に通じていた。 南北750m・東西400mの総構えで、小浜城とも呼ばれる。
○旧街道
有馬街道大阪-伊丹-小浜-生瀬-有馬京伏見街道京・伏見-山崎-郡山-瀬川-加茂-口谷-小浜西宮街道(馬街道)西宮-伊孑志-小浜
○旧跡・みどころ
・毫摂寺
「小浜御坊」と呼ばれた、小浜の中核寺院。
・宝塚市立小浜宿資料館
名水「玉の井」が残る旧山中家住宅が阪神淡路大震災で半壊、1999年資料館として復旧される。
・宝塚市立小浜工房館(とんかち館)
大工の町・小浜の紹介施設。井川家住宅江戸時代初期から残る、清酒「菊仁」の造酒屋。
・小浜皇大神社
小浜の産土神。祭事にだんじり祭と小浜戎。2006年本殿は兵庫県登録有形文化財に第一号登録される。
・いわし坂
北門を有馬街道へ出た道。現在は国府橋がある。瀬戸内海の浜であった時代、鰯を荷揚げしたと伝えられる。
・和田家住宅
いわし坂の北にある、宝塚市最古の住宅。宝塚市指定文化財。
・首地蔵
南門を西宮街道へ出た道にある、首だけの大地蔵。由来は諸説ある。1975年に新しい首地蔵も安置された。
・小浜宿まつり
毎年4月第一土曜日・日曜日に開催。
・代官所跡
小浜宿にあった代官所の跡である。今は小浜会館という公民館になっている。
・北門
小浜宿にある門のうち一番北にある門である。
・東門
小浜宿にある門のうち一番東にある門である。
・南門
小浜宿にある門のうち一番南にある門である。
○沿革
小浜は伊丹台地の西端に位置し、平安時代に周辺が陸化するまで瀬戸内海が深く入り込む浜であった。9世紀に国府が置かれ、総社・売布神社が創設される。15世紀末、覚如の末裔である一向宗(浄土真宗)の善秀が小浜庄を開き毫摂寺を建立。 その際、周囲三方を大堀川が迂回する地形を利用して小浜を城塞化、寺内町として一向宗勢力の拠点となり、戦国大名や織田信長の一向一揆弾圧に備えた。 信長が、荒木村重を伊丹城に攻めた(有岡城の戦い)際には、信長方に付いて難を逃れている。その後、有馬などの街道が通る交通の要衝としての地位を確立する。 豊臣秀吉や秀次も有馬湯治の際に立ち寄ったが、秀次が毫摂寺の娘を側室にしたことから、秀次失脚の折、焼き打ちにあってしまう。復興した小浜は、その後江戸幕府からも重視され、小浜宿が成立して発展。脇本陣や旅篭、木賃宿、商家、馬借が林立した。 また、名水「玉の井」を使用した酒造「小浜流」が発達。灘五郷に先立つ大酒造業地となるが、18世紀から次第に灘五郷へ譲渡されてほぼ消滅する。 1723年には大工の集団「小浜組」が結成、大工の町としても知られるようになる。
○寺内町
小浜は、南西北の三方を迂回する大堀川に加えて東側に溜池を掘り、周囲に土塁を廻らして防御性を高めた城塞寺内町であった。 街道ごとの三方には門を構え、東門は京伏見街道、北門は有馬街道、南門は西宮街道に通じていた。 南北750m・東西400mの総構えで、小浜城とも呼ばれる。
○旧街道
有馬街道大阪-伊丹-小浜-生瀬-有馬京伏見街道京・伏見-山崎-郡山-瀬川-加茂-口谷-小浜西宮街道(馬街道)西宮-伊孑志-小浜
○旧跡・みどころ
・毫摂寺
「小浜御坊」と呼ばれた、小浜の中核寺院。
・宝塚市立小浜宿資料館
名水「玉の井」が残る旧山中家住宅が阪神淡路大震災で半壊、1999年資料館として復旧される。
・宝塚市立小浜工房館(とんかち館)
大工の町・小浜の紹介施設。井川家住宅江戸時代初期から残る、清酒「菊仁」の造酒屋。
・小浜皇大神社
小浜の産土神。祭事にだんじり祭と小浜戎。2006年本殿は兵庫県登録有形文化財に第一号登録される。
・いわし坂
北門を有馬街道へ出た道。現在は国府橋がある。瀬戸内海の浜であった時代、鰯を荷揚げしたと伝えられる。
・和田家住宅
いわし坂の北にある、宝塚市最古の住宅。宝塚市指定文化財。
・首地蔵
南門を西宮街道へ出た道にある、首だけの大地蔵。由来は諸説ある。1975年に新しい首地蔵も安置された。
・小浜宿まつり
毎年4月第一土曜日・日曜日に開催。
・代官所跡
小浜宿にあった代官所の跡である。今は小浜会館という公民館になっている。
・北門
小浜宿にある門のうち一番北にある門である。
・東門
小浜宿にある門のうち一番東にある門である。
・南門
小浜宿にある門のうち一番南にある門である。