2015年1月24日土曜日
辯天宗冥應寺の桜2015
通称「弁天さん」の名前で親しまれる辯天宗冥應寺で、桜が見頃を迎えます。広い境内にはソメイヨシノやシダレザクラが約500本植えられており、参道から境内へと続く桜のトンネルが見どころとなっています。
所在地:〒567-0073大阪府茨木市西穂積町7-41
開催期間:2015年3月下旬~4月上旬
交通アクセス:JR京都線「茨木駅」から「茨木弁天行」の近鉄バス約10分「茨木弁天」すぐ
問合せ先:辯天宗宗務庁072-622-6861(代表)
http://www.bentenshu.or.jp/
所在地:〒567-0073大阪府茨木市西穂積町7-41
開催期間:2015年3月下旬~4月上旬
交通アクセス:JR京都線「茨木駅」から「茨木弁天行」の近鉄バス約10分「茨木弁天」すぐ
問合せ先:辯天宗宗務庁072-622-6861(代表)
http://www.bentenshu.or.jp/
道明寺天満宮の桜2015
菅原道真公、天穂日命、覚寿尼公を御祭神とし、学問の神として深く信仰を集める古社、道明寺天満宮で、例年3月下旬から4月上旬に桜が見頃を迎えます。ウコンザクラ、ソメイヨシノなど約20種200本の桜が咲き誇り、境内を彩ります。梅の名所としても知られます。
所在地:〒583-0012大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
開催期間:2015年3月下旬~4月上旬9:00~17:00
交通アクセス:近鉄道明寺線「道明寺駅」から徒歩3分
料金:無料
問合せ先:道明寺天満宮072-953-2525
http://www.domyojitenmangu.com/
所在地:〒583-0012大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
開催期間:2015年3月下旬~4月上旬9:00~17:00
交通アクセス:近鉄道明寺線「道明寺駅」から徒歩3分
料金:無料
問合せ先:道明寺天満宮072-953-2525
http://www.domyojitenmangu.com/
大阪天満宮お針まつり2015
針に感謝し労をねぎらう「お針まつり」が大阪天満宮で行われます。境内の吉備社での神事のあと、参拝客が大きなこんにゃくに折れた針や古くなった針を刺します(参加無料)。物品の販売や、ぜんざいなどのふるまい(なくなり次第終了・志納金必要)なども催されます。
所在地:〒530-0041大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
開催期間:2015年2月8日神事/10:00~10:30頃、催し物/10:30~12:00頃
交通アクセス:JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩3分
主催:大阪和服裁縫協同組合
問合せ先:大阪天満宮06-6353-0025、大阪和服裁縫協同組合06-6648-6888
http://www.tenjinsan.com/
所在地:〒530-0041大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
開催期間:2015年2月8日神事/10:00~10:30頃、催し物/10:30~12:00頃
交通アクセス:JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩3分
主催:大阪和服裁縫協同組合
問合せ先:大阪天満宮06-6353-0025、大阪和服裁縫協同組合06-6648-6888
http://www.tenjinsan.com/
2015年1月15日木曜日
呉春酒造
呉春は大阪府北部にある池田市に残る最後の自醸醸造元です。創業は江戸中期。江戸時代には38軒の造り酒屋が軒を並べたほど盛んだった様ですが近年は呉春だけになってしまいました。大阪のベットタウンである池田市は北摂山地と大阪平野の境目にあります。昔は伊丹と並ぶ銘醸地として知られています。池田は豊かな水源に恵まれ酒蔵の北側にある五月山から流れる地下水脈の伏流水を汲み上げて仕込み水として使っています。その伏流水が飲み飽きしないスッキリした味に大変貢献しています。酒造の歴史は古く室町時代までさかのぼり 池田の酒は「下り酒」として江戸時代に重宝されました。酒銘の呉春とは、呉服の里という池田の古い雅称と、中国唐代の通語で酒を意味する春からとって、池田の酒を意味しています。あまからず辛からずを信条に酒造りを行っています。
所在地:大阪府池田市綾羽1-2-2
所在地:大阪府池田市綾羽1-2-2
昆陽宿
江戸時代の昆陽村は西国街道の宿駅でした。村内は、東町・中町・大工町・市場町・辻町・佐藤町・小井之内の7町からなり、人馬継問屋には、御用通行の役人や旅人の荷物の継立てを行う人馬が用意されていました。天保14(1843)年の資料には、家数174軒・人口913人・本陣1軒(佐藤町)・旅籠7軒・人馬継問屋1ヶ所(市場町)であったことが記されています。当時、宿駅の人足や馬を利用する場合、旅行者は各宿駅で荷物の積み替えを行い、これを「継ぎ立て」と称しました。人馬継問屋には、御用通行の旅人のために、25人の人足と25匹の馬が備えられ、西は西宮宿まで、東は瀬川半町宿までの継ぎ立てを行いました。西宮宿までの賃銭は、御用通行の場合、御定め賃銭といって、馬1匹分の荷物の駄賃が86文、人足1人分の駄賃が43文、瀬川宿までは馬80文、人足39文と定められていましたが、商人や一般の旅人の賃銭は、馬方と利用者の相互で取り決められ、御用通行の場合よりも高額でした。宿駅の人々の負担によって成り立っていたこの様な交通制度は、住民に大きな経済的負担を強いることが多かったため、幕府の許可の下に、年限を限って御定め賃銭の割り増しが行われることもありました。長い年月にわたり、御用継ぎ立てを担ってきた昆陽宿は、明治5(1872)年8月、江戸時代の宿駅制度が廃止されるとともにその任務を終えました。
所在地:兵庫県伊丹市昆陽8丁目4番地
所在地:兵庫県伊丹市昆陽8丁目4番地
辻の碑
ここは西国街道と多田街道とが交差する、いわゆる「辻」といわれた場所で、そこに置かれた道標が辻の碑です。碑は自然石に銘文を刻んだ物で、高さ92㎝、幅76㎝、鋭角な部分を上にして据えられています。現在では表面の下部が大きく剥がれ落ちていますが、上部に1行「従東寺拾里」(拾里は約40km)の5文字が残っています。江戸時代の文献「摂津名所図解」(1798年刊行)には、この辻が摂津国東端の関戸、西端の須磨、北端の天王、南端の大小路からそれぞれ7里(約28㎞)の距離にあることが刻まれていたとあり、この地が摂津国の中央に位置していたことが分かります。碑が建てられた年代は明らかでありませんが、当時既に下方の文字が読み取ることが出来なかったと記されています。
所在地:兵庫県伊丹市北伊丹1丁目89番地
所在地:兵庫県伊丹市北伊丹1丁目89番地
須磨離宮公園の桜2015
須磨離宮公園では、3月上旬になると早咲きのカンヒザクラが咲きはじめます。4月上旬にはシダレザクラ、4月中旬に見頃を迎えるサトザクラまで、約2か月にわたって、10種類約150本のさまざまな種類のサクラが楽しめます。
所在地:〒654-0018兵庫県神戸市須磨区東須磨1-1
開催期間:2015年3月上旬~4月下旬9:00~17:00(入園は16:30まで)※休園日は毎週木曜(祝休日の場合は開園、翌日休園)
交通アクセス:JR神戸線「須磨駅」から75系統「妙法寺駅行」の市バス「離宮公園前」すぐ、またはJR神戸線「須磨海浜公園駅」から徒歩20分、または第二神明道路「須磨IC」から車すぐ(姫路方面)、または阪神高速「月見山IC」から車約3分(大阪方面)
主催:(公財)神戸市公園緑化協会・神戸市造園協力会グループ
料金:観覧無料※入園料が必要/大人(15歳以上/中学生を除く)400円、中小生200円
問合せ先:神戸市立須磨離宮公園078-732-6688
http://www.kobe-park.or.jp/rikyu/
所在地:〒654-0018兵庫県神戸市須磨区東須磨1-1
開催期間:2015年3月上旬~4月下旬9:00~17:00(入園は16:30まで)※休園日は毎週木曜(祝休日の場合は開園、翌日休園)
交通アクセス:JR神戸線「須磨駅」から75系統「妙法寺駅行」の市バス「離宮公園前」すぐ、またはJR神戸線「須磨海浜公園駅」から徒歩20分、または第二神明道路「須磨IC」から車すぐ(姫路方面)、または阪神高速「月見山IC」から車約3分(大阪方面)
主催:(公財)神戸市公園緑化協会・神戸市造園協力会グループ
料金:観覧無料※入園料が必要/大人(15歳以上/中学生を除く)400円、中小生200円
問合せ先:神戸市立須磨離宮公園078-732-6688
http://www.kobe-park.or.jp/rikyu/
2015年1月9日金曜日
楠木大明神
谷町7丁目交差点を東に入ると、道路のど真ん中に木立が茂っている。茂みの中に注連縄が張られた枯れた切り株がある。この枯れた切り株を神木として、地元では「谷町のクスノキさん」、「楠玉社」等と呼ばれ、祀られている。神木はもともと、この場所にあった「クスノキ寺」とも呼ばれていた本照寺の境内に植えられていた。昭和12(1937)年の道路の拡張工事の祭、本照寺は移転したが、クスノキには繁栄をもたらす蛇、巳さんが住んでいるので「切るとタタリが起こる」と畏れられていたことから、道の真ん中にその姿を残すことになった。残念ながらクスノキは数十年前に枯れてしまったが、今でも信仰の対象として大切にされている。又、木立のある道筋は「楠木筋」と名付けられ、地域のシンボルとなっている。
所在地:大阪府大阪市中央区谷町7丁目
最寄駅:地下鉄谷町線/長堀鶴見緑地線谷町6丁目駅
所在地:大阪府大阪市中央区谷町7丁目
最寄駅:地下鉄谷町線/長堀鶴見緑地線谷町6丁目駅
北野家住宅
北野家住宅は昭和3(1928)年、青果商だった北野栄太郎が建設。間口3間、木造3階建ての町屋。切妻造。店舗を兼ねた1階は土間であったが、現在は床が張られている。住居部分の2階、使用人の部屋であった3階は、建築当時の姿のままである。昭和20年3月の大阪大空襲で、周囲の家は全焼。しかし、この建物1軒だけが奇跡的に残った。窓枠や各階につけられた庇の出桁まわりを銅板で覆い、建物の両側にうだつを設けていることなどが、高い防火性を発揮したと思われる。建築当時は高価だった波型のガラス窓もそのまま。また、2階の押入れには、不発の焼夷弾に削られた、大きな穴の開いた内壁を補修した跡が残っている。戦災と再開発で様変わりした市の中心部で、大阪商人の暮らしぶりを今に伝える貴重な建物である。
所在地:大阪府大阪市中央区平野町4-2-6
最寄駅:地下鉄御堂筋線淀屋橋、御堂筋線/四つ橋線/中央線本町駅、京阪電鉄淀屋橋駅
所在地:大阪府大阪市中央区平野町4-2-6
最寄駅:地下鉄御堂筋線淀屋橋、御堂筋線/四つ橋線/中央線本町駅、京阪電鉄淀屋橋駅
里程元票跡
里程とは道のりのこと。当時、高麗橋付近は大商人達が商いを行い、近畿圏の経済の中心となっていた。道路の基点は高麗橋からとし、道のり計算のスタート地点は橋の東詰にあり、京街道、中国街道、紀州街道など諸国への距離を測る時や車馬賃を算定する時の起点となった。明治9(1876)年、道路制度交付により、引き続き道のり計算の起点となった。里程元票の碑は橋の南東の角に建てられ、「東京日本橋まで1413里20丁、京都三条大橋まで13里12丁、神戸元町まで9里35丁」と刻まれている。
所在地:大阪府大阪市中央区東高麗橋6
最寄駅:地下鉄堺筋線北浜駅、京阪電鉄北浜駅
所在地:大阪府大阪市中央区東高麗橋6
最寄駅:地下鉄堺筋線北浜駅、京阪電鉄北浜駅
2015年1月8日木曜日
辰馬考古資料館
公益財団法人辰馬考古資料館は、兵庫県西宮市にある人文科学系で兵庫県の登録博物館。
○概要
日本の考古資料の保全を目的に、辰馬本家の分家である北辰馬家当主、辰馬悦蔵が1976年(昭和51年)に設立した。銅鐸・銅鏡・土偶・縄文土器・玉など国の重要文化財21件を含む500件余りを所蔵する。特に銅鐸のコレクションは日本屈指であると評価されている。また日本画家富岡鉄斎の家蔵品コレクションでも知られ、畢生の大作『阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図』屏風一双(国の重要文化財)を含む名品150点を所蔵している。
○所蔵重要文化財一覧
・考古資料(縄文土器・土偶)
人面装飾付注口土器(茨城県稲敷市(旧東村)福田出土)
注口土器(茨城県稲敷市(旧高田村)椎塚貝塚出土)
注口土器(青森県つがる市(旧木造町)亀ヶ岡遺跡出土)
土偶(千葉県銚子市余山貝塚出土)
・考古資料(銅鐸)
横帯文銅鐸(伝伯耆国出土)
袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸(大阪府南河内郡太子町山田出土)
袈裟襷文銅鐸(岡山県井原市木之子町猿森出土)
袈裟襷文銅鐸(出土地不詳)(1963年指定)
袈裟襷文銅鐸(出土地不詳)(1984年指定)
袈裟襷文銅鐸(出土地不詳)(1984年指定)
袈裟襷文有鐶銅鐸(出土地不詳)(1984年指定)
突線袈裟襷文銅鐸(名古屋市瑞穂区軍水町出土)
突線袈裟襷文銅鐸 2口(滋賀県野洲市小篠原大岩山出土)
流水文銅鐸(福井県坂井市(旧大石村)春江町井向出土)
流水文銅鐸(出土地不詳)(1960年指定)
流水文銅鐸(出土地不詳)(1985年指定)
流水文銅鐸(出土地不詳)(1985年指定)
流水文銅鐸(出土地不詳)(1985年指定)
・考古資料(その他)
変形方格渦文鏡
長門国鋳銭遺物(山口県下関市長府町豊浦村出土)(和同開珎銭笵残欠 12箇、坩堝残欠 2箇、鞴口残欠 2箇)
・絵画
絹本著色『安倍仲麻呂明州望月円通大師呉門隠棲図』富岡鉄斎筆。「大正三年五月」の年記がある 六曲屏風。
○開館情報
休館日-月曜(祝日の場合は翌日)
開館時期-春季・夏季・秋季
開館時間-10:00~16:30 ※最終入館時間は16:00
所在地-〒662-0962西宮市松下町2-28
ひょうごっ子ココロンカードの対象施設になっている。
○交通アクセス
阪神香櫨園駅徒歩2分
阪急神戸線夙川駅徒歩10分
http://www.hakutaka.jp/tatsuuma/index.html
○概要
日本の考古資料の保全を目的に、辰馬本家の分家である北辰馬家当主、辰馬悦蔵が1976年(昭和51年)に設立した。銅鐸・銅鏡・土偶・縄文土器・玉など国の重要文化財21件を含む500件余りを所蔵する。特に銅鐸のコレクションは日本屈指であると評価されている。また日本画家富岡鉄斎の家蔵品コレクションでも知られ、畢生の大作『阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図』屏風一双(国の重要文化財)を含む名品150点を所蔵している。
○所蔵重要文化財一覧
・考古資料(縄文土器・土偶)
人面装飾付注口土器(茨城県稲敷市(旧東村)福田出土)
注口土器(茨城県稲敷市(旧高田村)椎塚貝塚出土)
注口土器(青森県つがる市(旧木造町)亀ヶ岡遺跡出土)
土偶(千葉県銚子市余山貝塚出土)
・考古資料(銅鐸)
横帯文銅鐸(伝伯耆国出土)
袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸(大阪府南河内郡太子町山田出土)
袈裟襷文銅鐸(岡山県井原市木之子町猿森出土)
袈裟襷文銅鐸(出土地不詳)(1963年指定)
袈裟襷文銅鐸(出土地不詳)(1984年指定)
袈裟襷文銅鐸(出土地不詳)(1984年指定)
袈裟襷文有鐶銅鐸(出土地不詳)(1984年指定)
突線袈裟襷文銅鐸(名古屋市瑞穂区軍水町出土)
突線袈裟襷文銅鐸 2口(滋賀県野洲市小篠原大岩山出土)
流水文銅鐸(福井県坂井市(旧大石村)春江町井向出土)
流水文銅鐸(出土地不詳)(1960年指定)
流水文銅鐸(出土地不詳)(1985年指定)
流水文銅鐸(出土地不詳)(1985年指定)
流水文銅鐸(出土地不詳)(1985年指定)
・考古資料(その他)
変形方格渦文鏡
長門国鋳銭遺物(山口県下関市長府町豊浦村出土)(和同開珎銭笵残欠 12箇、坩堝残欠 2箇、鞴口残欠 2箇)
・絵画
絹本著色『安倍仲麻呂明州望月円通大師呉門隠棲図』富岡鉄斎筆。「大正三年五月」の年記がある 六曲屏風。
○開館情報
休館日-月曜(祝日の場合は翌日)
開館時期-春季・夏季・秋季
開館時間-10:00~16:30 ※最終入館時間は16:00
所在地-〒662-0962西宮市松下町2-28
ひょうごっ子ココロンカードの対象施設になっている。
○交通アクセス
阪神香櫨園駅徒歩2分
阪急神戸線夙川駅徒歩10分
http://www.hakutaka.jp/tatsuuma/index.html
西宮神社
西宮神社は、兵庫県西宮市にある神社である。日本に約3500社ある、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)である。地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれる。なお、戎信仰については、えびすを蛭子と同一視する説の他にもいくつかの説が存在する。
○祭神
えびす大神(西宮大神・蛭児命) - 第一殿・主祭神。
天照大御神-第二殿
大国主大神-第二殿
須佐之男大神-第三殿
祭神の蛭児命は伊弉諾岐命と伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。ここまでは記紀神話に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。当社の社伝では、蛭児命は西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたという。
○歴史
・起源
創建時期は不明だが、延喜式内社の「大国主西神社」に同定する説がある。現在、境内末社の大国主西神社が式内社とされているが、後述のように西宮神社自体を本来の式内大国主西神社とする説もある。だが延喜式神名帳では菟原郡となっており、西宮神社がある武庫郡ではなく、西宮神社にせよ現在の大国主西神社にせよ、式内社とするには一致しない。ただし武庫郡と菟原郡の境界は西宮神社の約200m西側を流れる夙川でありこの河道の変遷により古代は菟原郡に所属したとする説もある。式内大国主西神社との関係がいずれとしても、平安時代には廣田神社の境外摂社であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。廣田神社と神祇伯の白川伯王家との関係から頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っている。平安時代末期、廣田神社の摂社として「夷」の名が初めて文献にあらわれるようになる。そのためこの頃から戎信仰が興ったとの説がある(同時期の梁塵秘抄にも、諏訪大社、南宮大社、敢国神社と共に、廣田神社の末社が南宮とされている)。この南宮が現在の西宮神社のことであり、廣田神社の境外摂社である「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内にあるのはその名残りである。
・名称
「西宮」という名称の起源について以下のように諸説ある。
1.えびす神を最初に祀ったと伝わる鳴尾や古代の先進地域である津門から見て「西の方の宮」という説
2.京都から見て貴族の崇敬篤き廣田神社を含む神社群を指して「西宮」と称していたが、戎信仰の隆盛と共に戎社を「西宮」と限定して呼ぶに至ったという説
3.「西宮」とは上述の延喜式内社の大国主西神社の事を指すとの説
・中世・近世
神人として人形繰りの芸能集団「傀儡師」が境内の北隣に居住しており、全国を巡回し、えびす神の人形繰りを行って神徳を説いたことにより、えびす信仰が全国に広まった。境内に祀られる百太夫神は傀儡師の神である。中世に商業機構が発展すると、海・漁業の神としてだけでなく、商売の神としても信仰されるようになった。江戸時代には、徳川家綱により本殿が再建され、また、全国に頒布していたえびす神の神像札の版権を幕府から得て、隆盛した。
・近代以降
明治3年、西宮神社は『摂津志』などの記載により「大国主西神社」と改称した(現在のえびす神は大国主であるとする説も古代からあった)。明治7年6月、大国主西神社(現・西宮神社は)県社に列格した。この頃、境内末社の大己貴社を大国主西神社であるとする説が挙がり、教部省は同年8月に大国主西神社(現・西宮神社)の県社指定を取り消した上で、同年11月、大国主西神社を西宮神社に、大己貴社を大国主西神社に改称して、共に県社に指定した。西宮神社からは大己貴社は元々不動堂であって本来の式内社・大国主西神社ではなく今回の改称は誤った説に基づくものと上申したが教部省からは(本来の大国主西神社の所在が判明するまでという条件付きではあったが)上申は拒否された。戦後も改称問題は放置され、そのまま現在に至っている。
・十日えびす
毎年1月10日前後の3日間で行われる十日えびす(戎)では、開門神事福男選び、大マグロの奉納、有馬温泉献湯式などの行事とともに、800軒を越える屋台が軒を連ね、開催三日間で百万人を超える参拝者で賑わう。
日程
1月9日-宵えびす有馬温泉献湯式 宵宮祭
1月10日-本えびす十日えびす大祭開門神事福男選び
1月11日-残り福
○交通
阪神電気鉄道本線西宮駅より南西方向徒歩約5分
西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線(JR神戸線)さくら夙川駅より南東方向徒歩約8分
なお、十日えびすの時期には、阪急電鉄伊丹線伊丹駅・JR神戸線西宮駅・阪急神戸線西宮北口駅から臨時バスが運行される。
○所在地
兵庫県西宮市社家町1番17号
○例祭
9月22日
○主な神事
十日戎
おこしや祭
誓文祭
http://nishinomiya-ebisu.com/index.html
○祭神
えびす大神(西宮大神・蛭児命) - 第一殿・主祭神。
天照大御神-第二殿
大国主大神-第二殿
須佐之男大神-第三殿
祭神の蛭児命は伊弉諾岐命と伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。ここまでは記紀神話に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。当社の社伝では、蛭児命は西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたという。
○歴史
・起源
創建時期は不明だが、延喜式内社の「大国主西神社」に同定する説がある。現在、境内末社の大国主西神社が式内社とされているが、後述のように西宮神社自体を本来の式内大国主西神社とする説もある。だが延喜式神名帳では菟原郡となっており、西宮神社がある武庫郡ではなく、西宮神社にせよ現在の大国主西神社にせよ、式内社とするには一致しない。ただし武庫郡と菟原郡の境界は西宮神社の約200m西側を流れる夙川でありこの河道の変遷により古代は菟原郡に所属したとする説もある。式内大国主西神社との関係がいずれとしても、平安時代には廣田神社の境外摂社であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。廣田神社と神祇伯の白川伯王家との関係から頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っている。平安時代末期、廣田神社の摂社として「夷」の名が初めて文献にあらわれるようになる。そのためこの頃から戎信仰が興ったとの説がある(同時期の梁塵秘抄にも、諏訪大社、南宮大社、敢国神社と共に、廣田神社の末社が南宮とされている)。この南宮が現在の西宮神社のことであり、廣田神社の境外摂社である「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内にあるのはその名残りである。
・名称
「西宮」という名称の起源について以下のように諸説ある。
1.えびす神を最初に祀ったと伝わる鳴尾や古代の先進地域である津門から見て「西の方の宮」という説
2.京都から見て貴族の崇敬篤き廣田神社を含む神社群を指して「西宮」と称していたが、戎信仰の隆盛と共に戎社を「西宮」と限定して呼ぶに至ったという説
3.「西宮」とは上述の延喜式内社の大国主西神社の事を指すとの説
・中世・近世
神人として人形繰りの芸能集団「傀儡師」が境内の北隣に居住しており、全国を巡回し、えびす神の人形繰りを行って神徳を説いたことにより、えびす信仰が全国に広まった。境内に祀られる百太夫神は傀儡師の神である。中世に商業機構が発展すると、海・漁業の神としてだけでなく、商売の神としても信仰されるようになった。江戸時代には、徳川家綱により本殿が再建され、また、全国に頒布していたえびす神の神像札の版権を幕府から得て、隆盛した。
・近代以降
明治3年、西宮神社は『摂津志』などの記載により「大国主西神社」と改称した(現在のえびす神は大国主であるとする説も古代からあった)。明治7年6月、大国主西神社(現・西宮神社は)県社に列格した。この頃、境内末社の大己貴社を大国主西神社であるとする説が挙がり、教部省は同年8月に大国主西神社(現・西宮神社)の県社指定を取り消した上で、同年11月、大国主西神社を西宮神社に、大己貴社を大国主西神社に改称して、共に県社に指定した。西宮神社からは大己貴社は元々不動堂であって本来の式内社・大国主西神社ではなく今回の改称は誤った説に基づくものと上申したが教部省からは(本来の大国主西神社の所在が判明するまでという条件付きではあったが)上申は拒否された。戦後も改称問題は放置され、そのまま現在に至っている。
・十日えびす
毎年1月10日前後の3日間で行われる十日えびす(戎)では、開門神事福男選び、大マグロの奉納、有馬温泉献湯式などの行事とともに、800軒を越える屋台が軒を連ね、開催三日間で百万人を超える参拝者で賑わう。
日程
1月9日-宵えびす有馬温泉献湯式 宵宮祭
1月10日-本えびす十日えびす大祭開門神事福男選び
1月11日-残り福
○交通
阪神電気鉄道本線西宮駅より南西方向徒歩約5分
西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線(JR神戸線)さくら夙川駅より南東方向徒歩約8分
なお、十日えびすの時期には、阪急電鉄伊丹線伊丹駅・JR神戸線西宮駅・阪急神戸線西宮北口駅から臨時バスが運行される。
○所在地
兵庫県西宮市社家町1番17号
○例祭
9月22日
○主な神事
十日戎
おこしや祭
誓文祭
http://nishinomiya-ebisu.com/index.html
越木岩神社
越木岩神社とは、兵庫県西宮市甑岩町に鎮座する神社。前身は延喜式神名帳に載る大国主西神社であるとされる。子宝・安産・商売繁盛のご利益があるという。
○概要
祭神は明暦2年(1656年)円満寺の僧 教順が西宮神社から勧請した、蛭児大神(ひるこおおかみ、戎神)である。しかし、元々は当地にある甑岩等の磐座を祀ったもの。甑(こしき:セイロ)に似ていることから甑岩と呼ばれる。甑岩は岩社として祀られている。また、厳島神社の分霊も、いつの頃からか祀られている。当地は、積み出し港の名を取った御影石(花崗岩)の産地としても有名で、徳川氏の大阪城修築(元和6年?寛永5年:1620年?1628年)の際、甑岩を石工が割ろうとしたが、割れ目から鶏鳴が湧き上がり、白煙が立ったため、作業を断念した、との伝説がある。池田備中守長幸(備中松山城主)の家紋が刻まれた当時の石の破片が付近に残っている。境内は約7700m2あり、その森は、兵庫県天然記念物である「越木岩神社社叢林」として保護されている。
○祭神
蛭子大神(本殿)
○境内社
六甲山神社 祭神 菊理姫 六甲山神社(石の宝殿)の里宮
貴船神社 六甲山大権現 六甲山神社祭神
地主社
水神社 ミズハノメノカミ
不動明王
伊勢遥拝社 天照大神
稲荷社
○巨石
甑岩は高さ約10m・周囲約40mで、上部が中央から2つに割れて、その頂上から樹木が生えている。これを陰石(女性器石)とみたのが、厳島神社が祀られている理由らしい。甑岩から北へ約50m登ると、第二の巨石(周囲約80m)がある。さらに北へ約30m登ると第三の巨石がある。それぞれ、南座・中座・北座と呼ばれる磐座があり、北座は生田神社と同じ稚日女尊(わかひるめのみこと)の磐座とも呼ばれる。また、見た目で、南座・中座・北座を、陰石・陰石・陽石とする説もある。さらに北の延長線上に標高約200mの北山があり、山中に巨石群がある。これら磐座を三輪山中の磐座と比較し、似ているとする説もある。
○概要
祭神は明暦2年(1656年)円満寺の僧 教順が西宮神社から勧請した、蛭児大神(ひるこおおかみ、戎神)である。しかし、元々は当地にある甑岩等の磐座を祀ったもの。甑(こしき:セイロ)に似ていることから甑岩と呼ばれる。甑岩は岩社として祀られている。また、厳島神社の分霊も、いつの頃からか祀られている。当地は、積み出し港の名を取った御影石(花崗岩)の産地としても有名で、徳川氏の大阪城修築(元和6年?寛永5年:1620年?1628年)の際、甑岩を石工が割ろうとしたが、割れ目から鶏鳴が湧き上がり、白煙が立ったため、作業を断念した、との伝説がある。池田備中守長幸(備中松山城主)の家紋が刻まれた当時の石の破片が付近に残っている。境内は約7700m2あり、その森は、兵庫県天然記念物である「越木岩神社社叢林」として保護されている。
○祭神
蛭子大神(本殿)
○境内社
六甲山神社 祭神 菊理姫 六甲山神社(石の宝殿)の里宮
貴船神社 六甲山大権現 六甲山神社祭神
地主社
水神社 ミズハノメノカミ
不動明王
伊勢遥拝社 天照大神
稲荷社
○巨石
甑岩は高さ約10m・周囲約40mで、上部が中央から2つに割れて、その頂上から樹木が生えている。これを陰石(女性器石)とみたのが、厳島神社が祀られている理由らしい。甑岩から北へ約50m登ると、第二の巨石(周囲約80m)がある。さらに北へ約30m登ると第三の巨石がある。それぞれ、南座・中座・北座と呼ばれる磐座があり、北座は生田神社と同じ稚日女尊(わかひるめのみこと)の磐座とも呼ばれる。また、見た目で、南座・中座・北座を、陰石・陰石・陽石とする説もある。さらに北の延長線上に標高約200mの北山があり、山中に巨石群がある。これら磐座を三輪山中の磐座と比較し、似ているとする説もある。