今日はめちゃくちゃ暑いな。
2012年6月29日金曜日
天神祭
天神祭は、全国の天満宮(天神社)で催される祭り。祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日で、25日前後に行われる。一年のうち1月の初天神祭など、ある月に盛大に行われることがある。各神社で行われる天神祭の中では、大阪天満宮を中心として大阪市で行われる天神祭が有名である。以下より大阪天神祭のことについて記述する。日本三大祭(他は、京都の祇園祭、東京の神田祭)の一つ。また、四天王寺別院の勝鬘院愛染堂の愛染祭(神式では愛染祭に替えて生国魂神社の生玉夏祭)、住吉大社の住吉祭と共に大阪三大夏祭りの一つ。期間は6月下旬吉日 - 7月25日の約1ヶ月間に渡り諸行事が行われる。特に、25日の本宮の夜は、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御(ふなとぎょ)が行われ、奉納花火があがる。大川に映る篝火や提灯灯り、花火などの華麗な姿より火と水の祭典とも呼ばれている。他に鉾流神事、陸渡御などの神事が行われる。24日宵宮、25日本宮。
○歴史
天神祭は大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より始まったとされている。この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというものであった。これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられている。天神祭は続いてきたが、日本三大祭の一つと呼ばれるようになるのは江戸時代からである。安土桃山時代に豊臣秀吉より催太鼓を拝領する。寛永末期に祭場(御旅所)を雑喉場(ざこば)に定めたため鉾流神事が取りやめられる。このころ陸渡御の起源となる地車が登場する。慶安2年にでたお触書によると、多くの地車が争って宮入しようとするため順番を決めさせたとある。寛文末期に御旅所が戎島に移転。元禄時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになる。またこの頃より講が形成され日本三大祭りとして呼ばれるようになる。この頃の天神祭の壮大さは『東海道中膝栗毛』や『世間胸算用』の中に見ることが出来る。慶応元年、将軍徳川家茂が長州征伐のため大阪城に入城したため、天神祭は中止される。この年以降、維新の騒乱により明治4年に復活するまで中止された。明治7年に船渡御が中止され、本社営繕やコレラの流行のため明治14年に復活するまで再び中止された(陸渡御のみ行っていた年もある)。それ以外でも明治天皇の崩御や大川の水位が上昇したためなど度々中止されることもあった。昭和5年に食満南北の提言により鉾流神事が復活。昭和13年から昭和23年まで日中戦争、第二次世界大戦の影響により船渡御や祭事そのものが中止された。昭和24年に船渡御が復活するが地盤沈下の影響で船が橋の下をくぐり御旅所に到着することが困難になったため再び中止され、昭和28年に上流に遡る形になる。昭和49年オイルショックの影響で船渡御が中止される。昭和56年にギャルみこしが誕生。平成3年より水都祭と天神祭奉納花火が合同で行われる。平成6年にブリスベンで天神祭斎行される。平成17年、ギャルみこし誕生25周年イベントが行われた。平成9年は台風の影響で、本宮が縮小され、平成12年は7月25日が香淳皇后の斂葬の儀の為、本宮が休みとなり翌日の7月26日に振り替えで本宮が開催された。
○日程
6月下旬吉日:装束賜式(天神祭神事始め)
6月下旬:船割り、浴衣販売
7月7日:天満天神七夕祭(天神祭前儀)
7月11日:船渡御事始式
7月15日:葦奉納式
7月18日前後:台搦み
7月21日前後:本社神輿蔵出し
7月22日:伏見三十石船献酒祭
7月23日:宵々宮(俗称)、御羽車巡幸、庖丁式
7月24日:宵宮、鉾流神事、催太鼓宮入、獅子舞宮入
7月25日:本宮、夏大祭神事、神霊移御祭、陸渡御、船渡御、還御祭
○各種行事
時間、祭事、催事は平成18年の行程を参考。
・装束賜式 (6月下旬吉日)
天神祭の神事始めの行事で、この装束賜式より天神祭の諸行事が始められる。 平成18年度諸役(神童、随身、牛曳童児、猿田彦)の装束賜式{しょうぞくたばりしき}(任命式)が、6月25日11時45分より行われた。 まず、宮司より辞令が渡され、諸役を務める心構えなどが話される。 この日より、諸役は斎戒と言って祭りまで慎むことやしてはならないことがお宮から言い渡される。 例えば、一、葬儀に参列すること。一、喧嘩、もめ事などの争いごと。一、その他不浄に関与すること、等がある。その後、諸役の衣装をつけ、本殿で報告祭を執り行う。
・宵宮(7月24日)
4:00 - 打ち出し
催太鼓の一番太鼓と、続いてだんじり囃子の一番鉦が祭の開始を告げる。大門開門。
7:45 - 宵宮祭
本殿において人々の無病息災と鉾流神事の無事が祈願される。
8:50 - 鉾流神事
神鉾講より推挙された大阪市立西天満小学校の6年生の男子の神童によって鉾流橋の水上より鉾を流す。元々は上記のように鉾が流れ着いた場所を御旅所と定めて祭礼を行ったが、御旅所が固定されてからはその役目は担っていない。
鉾流神事が終わると氏地巡行まで正式な祭事はないが、各場所でいろいろな催事が執り行われている。下記に記述。
16:00 - 氏地巡行
まず、催太鼓による「からうす」がおこなわれ、その後催し太鼓と獅子舞が氏地を巡行する。
・本宮(7月25日)
13:30 - 夏大祭
氏地、氏子の平安を祈り、神霊移御祭で御霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す。
15:30 - 陸渡御(りくとぎょ)
祭のメインイベントの一つ。船渡御の乗船場までの約4キロを約3000人が渡御する。行列は先頭が催し太鼓で、続いて猿田彦や采女(うねめ)、花傘、猩々の人形を乗せた山車、牛曳童児などの第一陣、御羽車や神霊を移した御鳳輦のある第二陣、玉神輿と鳳神輿の第三陣によって構成される。 陸渡御の順番は、太鼓中、神鉾講、地車講、天満ライオンズ奉仕講、天神講、釆女、稚児、敬神婦人会、大阪書林御文庫講、福梅講(牛曳童児)、御旗講、花傘講、総奉行、大阪府知事、大阪市長、榊講(大真榊)、御羽車講、丑日講、御錦蓋講、御菅蓋講、御鳳輦講、氏子総代、協賛会委員、玉神輿、鳳神輿、菅公会(祭り囃子)の順である。
18:00 - 船渡御
陸渡御につづいてメインイベントの一つ。船は4種類に分けれられ、御神霊をのせた御鳳輦奉安船、催太鼓船や地車囃子船など神に仕える講社の供奉船、神をお迎えする風流人形を飾った御迎船、協賛団体や市民船などの奉拝船、その他どんどこ船や落語船など祭を盛り上げるため自由に航行できる列外船がある。奉安船や供奉船が天神橋のたもとから出航して大川を遡り、反転して下る。協賛団体による奉拝船は飛翔橋より下り、天神橋で反転し遡る。船同士が行き交う時には大阪締めが交換されるが、御鳳輦奉安船が通過するときは沈黙するのがならわしである。他に舞台船や篝船などもあるが、渡御せずに定着して神楽等を奉納する。御神霊を乗せた御鳳輦奉安船を見下ろすことがないように、御鳳輦奉安船の通過する橋の中央には正中の覆いがされる。渡御の渡中、御鳳輦船では水上祭が斎行される。定着している舞台船や供奉船から神楽や囃子が奉納される。この頃から花火講によって奉納花火が打ち上げられて祭は最大に盛り上がる。(1999年より花火講は消滅し、天神祭花火実行委員会によって、川崎公園・桜ノ宮公園の2箇所で奉納花火が実施されている。また2002年より川崎公園の打上現場は大阪日日新聞主催の水都祭として花火が打ち上げられている。)
22:00 - 宮入り・還御祭
渡御が終わった一団が天満宮に戻り、催太鼓と共に大阪締めを行う。獅子舞が四方清めと本殿へ走りこみ、その後還御祭が本殿で斎行されて祭りは終わる。
神事として祭のスケジュールには含まれていないが境内では地車囃子や龍踊りが奉納されたり、お迎え人形が展示されたりしている。境外でも下記のような催事が執り行われている。
・ギャルみこし
7月23日にオーディションで選ばれた女性が担ぐ神輿巡行。主催は天神橋筋商店会。選考がユニークで米俵を持ち上げる選考とかくし芸などのPR選考によって選出される。 ギャルみこしは、祭の渡御列(本隊)には参加しない。
・自動車渡御
宵宮の10:00頃から市内をトラックによってパレードを行う。トラックには子供神輿や地車囃子などが乗り込む。
・町内神輿宮入り
氏地の各町内の神輿が境内に宮入を行う。
・ドラゴンボート国際選手権
昭和63年から奉納イベントの一環として行われているドラゴンボートレース。 サンケイスポーツ主催。
・テレビ中継
本宮の日はテレビ大阪にて生放送される(19:00~20:54、関西ローカル)。なお、当日放送されるテレビ東京発の番組は、直近の土曜スペシャル枠で振替放送される[1]。但し土曜日の開催の場合はこの枠にて放送するため、振替放送はない。
○天神祭に参加するには
天神祭に参加するためには基本的に講に所属しなければならない。天神祭はあくまで大阪天満宮の氏子による祭事であるためである。しかしながら、講の条件は厳しくなく、大阪天満ライオンズクラブ奉仕講など新しい講も認められている。また、講の人員不足のためアルバイトやボランティアといった形で参加することもできる。他には市民奉拝船が公募に応募したり、帝国ホテルの奉拝船のチケットを購入して船渡御に参加する手段もある。 天神祭清掃ボランティア天神祭美化委員会(ダストバスターズ)に参加する。
○歴史
天神祭は大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より始まったとされている。この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというものであった。これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられている。天神祭は続いてきたが、日本三大祭の一つと呼ばれるようになるのは江戸時代からである。安土桃山時代に豊臣秀吉より催太鼓を拝領する。寛永末期に祭場(御旅所)を雑喉場(ざこば)に定めたため鉾流神事が取りやめられる。このころ陸渡御の起源となる地車が登場する。慶安2年にでたお触書によると、多くの地車が争って宮入しようとするため順番を決めさせたとある。寛文末期に御旅所が戎島に移転。元禄時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになる。またこの頃より講が形成され日本三大祭りとして呼ばれるようになる。この頃の天神祭の壮大さは『東海道中膝栗毛』や『世間胸算用』の中に見ることが出来る。慶応元年、将軍徳川家茂が長州征伐のため大阪城に入城したため、天神祭は中止される。この年以降、維新の騒乱により明治4年に復活するまで中止された。明治7年に船渡御が中止され、本社営繕やコレラの流行のため明治14年に復活するまで再び中止された(陸渡御のみ行っていた年もある)。それ以外でも明治天皇の崩御や大川の水位が上昇したためなど度々中止されることもあった。昭和5年に食満南北の提言により鉾流神事が復活。昭和13年から昭和23年まで日中戦争、第二次世界大戦の影響により船渡御や祭事そのものが中止された。昭和24年に船渡御が復活するが地盤沈下の影響で船が橋の下をくぐり御旅所に到着することが困難になったため再び中止され、昭和28年に上流に遡る形になる。昭和49年オイルショックの影響で船渡御が中止される。昭和56年にギャルみこしが誕生。平成3年より水都祭と天神祭奉納花火が合同で行われる。平成6年にブリスベンで天神祭斎行される。平成17年、ギャルみこし誕生25周年イベントが行われた。平成9年は台風の影響で、本宮が縮小され、平成12年は7月25日が香淳皇后の斂葬の儀の為、本宮が休みとなり翌日の7月26日に振り替えで本宮が開催された。
○日程
6月下旬吉日:装束賜式(天神祭神事始め)
6月下旬:船割り、浴衣販売
7月7日:天満天神七夕祭(天神祭前儀)
7月11日:船渡御事始式
7月15日:葦奉納式
7月18日前後:台搦み
7月21日前後:本社神輿蔵出し
7月22日:伏見三十石船献酒祭
7月23日:宵々宮(俗称)、御羽車巡幸、庖丁式
7月24日:宵宮、鉾流神事、催太鼓宮入、獅子舞宮入
7月25日:本宮、夏大祭神事、神霊移御祭、陸渡御、船渡御、還御祭
○各種行事
時間、祭事、催事は平成18年の行程を参考。
・装束賜式 (6月下旬吉日)
天神祭の神事始めの行事で、この装束賜式より天神祭の諸行事が始められる。 平成18年度諸役(神童、随身、牛曳童児、猿田彦)の装束賜式{しょうぞくたばりしき}(任命式)が、6月25日11時45分より行われた。 まず、宮司より辞令が渡され、諸役を務める心構えなどが話される。 この日より、諸役は斎戒と言って祭りまで慎むことやしてはならないことがお宮から言い渡される。 例えば、一、葬儀に参列すること。一、喧嘩、もめ事などの争いごと。一、その他不浄に関与すること、等がある。その後、諸役の衣装をつけ、本殿で報告祭を執り行う。
・宵宮(7月24日)
4:00 - 打ち出し
催太鼓の一番太鼓と、続いてだんじり囃子の一番鉦が祭の開始を告げる。大門開門。
7:45 - 宵宮祭
本殿において人々の無病息災と鉾流神事の無事が祈願される。
8:50 - 鉾流神事
神鉾講より推挙された大阪市立西天満小学校の6年生の男子の神童によって鉾流橋の水上より鉾を流す。元々は上記のように鉾が流れ着いた場所を御旅所と定めて祭礼を行ったが、御旅所が固定されてからはその役目は担っていない。
鉾流神事が終わると氏地巡行まで正式な祭事はないが、各場所でいろいろな催事が執り行われている。下記に記述。
16:00 - 氏地巡行
まず、催太鼓による「からうす」がおこなわれ、その後催し太鼓と獅子舞が氏地を巡行する。
・本宮(7月25日)
13:30 - 夏大祭
氏地、氏子の平安を祈り、神霊移御祭で御霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す。
15:30 - 陸渡御(りくとぎょ)
祭のメインイベントの一つ。船渡御の乗船場までの約4キロを約3000人が渡御する。行列は先頭が催し太鼓で、続いて猿田彦や采女(うねめ)、花傘、猩々の人形を乗せた山車、牛曳童児などの第一陣、御羽車や神霊を移した御鳳輦のある第二陣、玉神輿と鳳神輿の第三陣によって構成される。 陸渡御の順番は、太鼓中、神鉾講、地車講、天満ライオンズ奉仕講、天神講、釆女、稚児、敬神婦人会、大阪書林御文庫講、福梅講(牛曳童児)、御旗講、花傘講、総奉行、大阪府知事、大阪市長、榊講(大真榊)、御羽車講、丑日講、御錦蓋講、御菅蓋講、御鳳輦講、氏子総代、協賛会委員、玉神輿、鳳神輿、菅公会(祭り囃子)の順である。
18:00 - 船渡御
陸渡御につづいてメインイベントの一つ。船は4種類に分けれられ、御神霊をのせた御鳳輦奉安船、催太鼓船や地車囃子船など神に仕える講社の供奉船、神をお迎えする風流人形を飾った御迎船、協賛団体や市民船などの奉拝船、その他どんどこ船や落語船など祭を盛り上げるため自由に航行できる列外船がある。奉安船や供奉船が天神橋のたもとから出航して大川を遡り、反転して下る。協賛団体による奉拝船は飛翔橋より下り、天神橋で反転し遡る。船同士が行き交う時には大阪締めが交換されるが、御鳳輦奉安船が通過するときは沈黙するのがならわしである。他に舞台船や篝船などもあるが、渡御せずに定着して神楽等を奉納する。御神霊を乗せた御鳳輦奉安船を見下ろすことがないように、御鳳輦奉安船の通過する橋の中央には正中の覆いがされる。渡御の渡中、御鳳輦船では水上祭が斎行される。定着している舞台船や供奉船から神楽や囃子が奉納される。この頃から花火講によって奉納花火が打ち上げられて祭は最大に盛り上がる。(1999年より花火講は消滅し、天神祭花火実行委員会によって、川崎公園・桜ノ宮公園の2箇所で奉納花火が実施されている。また2002年より川崎公園の打上現場は大阪日日新聞主催の水都祭として花火が打ち上げられている。)
22:00 - 宮入り・還御祭
渡御が終わった一団が天満宮に戻り、催太鼓と共に大阪締めを行う。獅子舞が四方清めと本殿へ走りこみ、その後還御祭が本殿で斎行されて祭りは終わる。
神事として祭のスケジュールには含まれていないが境内では地車囃子や龍踊りが奉納されたり、お迎え人形が展示されたりしている。境外でも下記のような催事が執り行われている。
・ギャルみこし
7月23日にオーディションで選ばれた女性が担ぐ神輿巡行。主催は天神橋筋商店会。選考がユニークで米俵を持ち上げる選考とかくし芸などのPR選考によって選出される。 ギャルみこしは、祭の渡御列(本隊)には参加しない。
・自動車渡御
宵宮の10:00頃から市内をトラックによってパレードを行う。トラックには子供神輿や地車囃子などが乗り込む。
・町内神輿宮入り
氏地の各町内の神輿が境内に宮入を行う。
・ドラゴンボート国際選手権
昭和63年から奉納イベントの一環として行われているドラゴンボートレース。 サンケイスポーツ主催。
・テレビ中継
本宮の日はテレビ大阪にて生放送される(19:00~20:54、関西ローカル)。なお、当日放送されるテレビ東京発の番組は、直近の土曜スペシャル枠で振替放送される[1]。但し土曜日の開催の場合はこの枠にて放送するため、振替放送はない。
○天神祭に参加するには
天神祭に参加するためには基本的に講に所属しなければならない。天神祭はあくまで大阪天満宮の氏子による祭事であるためである。しかしながら、講の条件は厳しくなく、大阪天満ライオンズクラブ奉仕講など新しい講も認められている。また、講の人員不足のためアルバイトやボランティアといった形で参加することもできる。他には市民奉拝船が公募に応募したり、帝国ホテルの奉拝船のチケットを購入して船渡御に参加する手段もある。 天神祭清掃ボランティア天神祭美化委員会(ダストバスターズ)に参加する。
住吉祭
住吉祭は、7月31日に大阪市の住吉大社で行われる例大祭を中心とした祭礼。天神祭、愛染祭(生玉夏祭)と共に大阪三大夏祭りの一つ。
○概要
住吉祭は、7月31日に大阪市の住吉大社で行われる例大祭を中心とした祭礼。 おはらいと呼ばれる、住吉大社の夏祭りの一部、あるいは夏祭りそのものを指している。狭義では、住吉大社の夏祭りのうち、7月30日に行われる宵宮祭、7月31日に行われる夏越祓神事、例大祭を指す。 広義では、7月の海の日から8月1日まで行われる住吉大社の夏祭り、そのものを指している。 土地の者たち(地元庶民)が、住吉祭と言った場合、7月31日と8月1日の住吉大社の夏祭り(夏越祓神事、例大祭、神輿渡御祭)を指す。 (住吉大社HPでは、狭義の意味で説明しています)住吉大社神代記によれば、住吉大社の夏祭り(別名:おはらい)は、奈良時代には、六月の御解除(みはらえ、別名:南祭)として恒例的に行なわれていました。現在の住吉大社の夏祭りは、7月の海の日に、住吉公園で神輿洗神事が行われ、始まります。7月31日には、夏越祓神事(無計文化財)や、第一本宮で祭典(例大祭)が行なわれ、熊野舞や住吉踊りが披露されます。8月1日には神輿渡御祭が行われます。2005年から徒歩でのお渡りが復活しました。
○概要
住吉祭は、7月31日に大阪市の住吉大社で行われる例大祭を中心とした祭礼。 おはらいと呼ばれる、住吉大社の夏祭りの一部、あるいは夏祭りそのものを指している。狭義では、住吉大社の夏祭りのうち、7月30日に行われる宵宮祭、7月31日に行われる夏越祓神事、例大祭を指す。 広義では、7月の海の日から8月1日まで行われる住吉大社の夏祭り、そのものを指している。 土地の者たち(地元庶民)が、住吉祭と言った場合、7月31日と8月1日の住吉大社の夏祭り(夏越祓神事、例大祭、神輿渡御祭)を指す。 (住吉大社HPでは、狭義の意味で説明しています)住吉大社神代記によれば、住吉大社の夏祭り(別名:おはらい)は、奈良時代には、六月の御解除(みはらえ、別名:南祭)として恒例的に行なわれていました。現在の住吉大社の夏祭りは、7月の海の日に、住吉公園で神輿洗神事が行われ、始まります。7月31日には、夏越祓神事(無計文化財)や、第一本宮で祭典(例大祭)が行なわれ、熊野舞や住吉踊りが披露されます。8月1日には神輿渡御祭が行われます。2005年から徒歩でのお渡りが復活しました。
愛染まつり
愛染まつりは、大阪府大阪市天王寺区に位置する和宗総本山四天王寺の別院・愛染堂勝鬘院、通称「愛染さん」で催される祭りを指し、天神祭、住吉祭に並ぶ大阪三大夏祭りの一つ。仏教寺院が主催する夏祭り。 どれも、愛染さん、天神さん、住吉さんと愛称で呼ばれることが多いことから、「大阪の夏祭りは愛染さんで始まって住吉さんで終る」といわれることから、「あい(=愛)すみ(=住)ません」という言葉の語源となったという説や、「あい(=愛)すみ(=住)ません(=天)」と、大阪三大夏祭りの3つの覚え方として知られる。
○期間
毎年6月30日から7月2日。
○概要
愛染まつりは、聖徳太子の「苦しみ、悲しみを抱く人々を救済したい」という大乗仏教のご意向を直々に受け継ぎ、1400年の間続いている行事。聖徳太子ゆかりの勝鬘院(豊臣秀吉による再築。重要文化財)。金堂の御本尊が愛染明王であるため、「愛染さん」の愛称で親しまれている。愛染明王の御誓願を頼って開催される祭りに、色町の芸妓衆が駕籠に乗って参詣したのが「宝恵駕籠(ほえかご)」の始まりとなり、現在も浴衣娘が大勢参加する「女の祭り」。祭り期間中は、良縁成就・縁結び・夫婦和合に商売繁盛といったご利益がある愛染明王と、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に奉安したとされる大日大勝金剛尊が特別に無料開帳される。また、6月30日にはキャンペーンガールの愛染娘12人(平成19年度は11人)を紅白の布と愛染かつらの花で飾られた7台の「宝恵駕籠(ほえかご)」に乗せて「愛染さんじゃ、宝恵かご!」とJR天王寺駅前から勝鬘院までを練り歩くパレードで、最終目的地の愛染堂に到着した「宝恵駕籠(ほえかご)」は、本堂の前で高々と「かご上げ」され、一層の盛り上がりを見せる。参拝者は商売繁盛・愛嬌開運・恋愛成就を願って愛染娘さんたちから「花守り」と「笑顔」を受け取る。大阪市内最古の建築物である多宝塔(国の重要文化財)にて総本山四天王寺の管長および高僧が集結して厄除け祈願法要が行われる。7月1日には、愛染娘たちが各自の隠し芸や一発芸(書道・カラオケ・チアダンス・手品など)を舞台上で披露し、ミス愛染娘を決定する愛嬌コンテストで盛り上がる。300余の露店も出て、大変な賑わいを見せている。また、関西で夏祭りとされる初日(6月30日)ということで、浴衣を着て訪れる参詣者が多く、浪速の「いとさん」、「こいさん」たちがこの時期から浴衣を着始めることから別名、浴衣まつりとも呼ばれている。夕方に浴衣で愛染まつりに出掛けると、先着順に愛染娘から「ラブブレス」なる愛のブレスレットを無料で配っている(手を握って腕に巻いてくれる)サービスがある。6月30日の宵宮、7月1日の本祭、7月2日の残り福の3日間の間に、一度は小雨が降る。俗に言う愛染パラパラ。愛染さんへおまいりして、その行き帰りの途中で、この愛染パラパラに出あうと、その二人は結ばれるとか。また、愛染まいりの帰りに芝居を見るとゲンが良いとされる。正式名称は愛染まつり。しかし主催の勝鬘院が発行するポスターやホームページ上でも愛染祭、愛染祭り、愛染詣で、勝鬘愛染会と表記がバラバラで、特に拘りはないようである。
○愛染娘
愛染まつり期間中に、マスコミ表敬訪問や境内にて愛染まつりをPRする為に結成される浴衣娘。現在は毎年約300人~400人の一般公募による募集が行われ、一次審査(書類審査)と二次審査(面接)を経て10人の愛染娘が選ばれる。審査基準はルックス重視という訳では無く、「元気で愛嬌があり、伝統あるお祭り参加したいという意気込み」と「3日間とPR活動日に参加できる人」とされる。一般公募の愛染娘10人に、大阪市阿倍野区の清風情報工科学院で独自にオーディションで勝ち抜いた留学生2名が加わり、計12人の愛染娘として活動をする。年齢制限は18歳から35歳前後。愛染娘の服装は京都小泉(株)協賛の浴衣に、愛染かつらの造花を頭に挿し「愛染娘・愛染まつり」の襷をしている。募集は毎年4月頃から公式ホームページ、町のフリーペーパー、新聞記事などで募集要項が発表される。歴代愛染娘を経験後、タレントとして活動する人も多く、近年では藤原宏美(松竹芸能)、木島さやか(吉本興業)、桜・稲垣早希、増田倫子(吉本興業)、高津奈央(ジャパネットたかた)などがいる。平成22年度から、愛染まつり初日に行われる宝恵駕籠パレードの宝恵駕籠には乗らずに、駕籠を引きながらPRするギャルとして「愛染女組」の別途10人の娘が加わり、PR活動は22人体制で行われている。年齢制限は20歳から35歳前後。愛染女組の服装はサラシをまいて鶯色のハッピという、清楚な愛染娘というイメージではなく、元気な祭娘がテーマとなっている。募集は愛染娘と同様、毎年4月頃から募集要項が発表される。愛染まつり2日目の夜に10人の愛染娘の中から1名のミス愛染娘を決める演芸大会「ミス愛染娘(愛嬌)コンテスト」が舞台で開催され、その年のミス愛染が選ばれ前年度のミスからティアラが手渡される。主に次年度の愛染娘が決定するまでの間の広報活動を担当する。愛染まつり3日目の夜には愛染女組による組長を決定する「愛染堂から愛を叫ぶ!」が舞台で開催。 関ジャニの好きやねん大阪を愛染まつりVer.で歌って踊り観客を大いに喜ばせた。天王寺警察署からの依頼で「交通安全週間」の簡易ポスターのモデルも毎年恒例となっている。
○期間
毎年6月30日から7月2日。
○概要
愛染まつりは、聖徳太子の「苦しみ、悲しみを抱く人々を救済したい」という大乗仏教のご意向を直々に受け継ぎ、1400年の間続いている行事。聖徳太子ゆかりの勝鬘院(豊臣秀吉による再築。重要文化財)。金堂の御本尊が愛染明王であるため、「愛染さん」の愛称で親しまれている。愛染明王の御誓願を頼って開催される祭りに、色町の芸妓衆が駕籠に乗って参詣したのが「宝恵駕籠(ほえかご)」の始まりとなり、現在も浴衣娘が大勢参加する「女の祭り」。祭り期間中は、良縁成就・縁結び・夫婦和合に商売繁盛といったご利益がある愛染明王と、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に奉安したとされる大日大勝金剛尊が特別に無料開帳される。また、6月30日にはキャンペーンガールの愛染娘12人(平成19年度は11人)を紅白の布と愛染かつらの花で飾られた7台の「宝恵駕籠(ほえかご)」に乗せて「愛染さんじゃ、宝恵かご!」とJR天王寺駅前から勝鬘院までを練り歩くパレードで、最終目的地の愛染堂に到着した「宝恵駕籠(ほえかご)」は、本堂の前で高々と「かご上げ」され、一層の盛り上がりを見せる。参拝者は商売繁盛・愛嬌開運・恋愛成就を願って愛染娘さんたちから「花守り」と「笑顔」を受け取る。大阪市内最古の建築物である多宝塔(国の重要文化財)にて総本山四天王寺の管長および高僧が集結して厄除け祈願法要が行われる。7月1日には、愛染娘たちが各自の隠し芸や一発芸(書道・カラオケ・チアダンス・手品など)を舞台上で披露し、ミス愛染娘を決定する愛嬌コンテストで盛り上がる。300余の露店も出て、大変な賑わいを見せている。また、関西で夏祭りとされる初日(6月30日)ということで、浴衣を着て訪れる参詣者が多く、浪速の「いとさん」、「こいさん」たちがこの時期から浴衣を着始めることから別名、浴衣まつりとも呼ばれている。夕方に浴衣で愛染まつりに出掛けると、先着順に愛染娘から「ラブブレス」なる愛のブレスレットを無料で配っている(手を握って腕に巻いてくれる)サービスがある。6月30日の宵宮、7月1日の本祭、7月2日の残り福の3日間の間に、一度は小雨が降る。俗に言う愛染パラパラ。愛染さんへおまいりして、その行き帰りの途中で、この愛染パラパラに出あうと、その二人は結ばれるとか。また、愛染まいりの帰りに芝居を見るとゲンが良いとされる。正式名称は愛染まつり。しかし主催の勝鬘院が発行するポスターやホームページ上でも愛染祭、愛染祭り、愛染詣で、勝鬘愛染会と表記がバラバラで、特に拘りはないようである。
○愛染娘
愛染まつり期間中に、マスコミ表敬訪問や境内にて愛染まつりをPRする為に結成される浴衣娘。現在は毎年約300人~400人の一般公募による募集が行われ、一次審査(書類審査)と二次審査(面接)を経て10人の愛染娘が選ばれる。審査基準はルックス重視という訳では無く、「元気で愛嬌があり、伝統あるお祭り参加したいという意気込み」と「3日間とPR活動日に参加できる人」とされる。一般公募の愛染娘10人に、大阪市阿倍野区の清風情報工科学院で独自にオーディションで勝ち抜いた留学生2名が加わり、計12人の愛染娘として活動をする。年齢制限は18歳から35歳前後。愛染娘の服装は京都小泉(株)協賛の浴衣に、愛染かつらの造花を頭に挿し「愛染娘・愛染まつり」の襷をしている。募集は毎年4月頃から公式ホームページ、町のフリーペーパー、新聞記事などで募集要項が発表される。歴代愛染娘を経験後、タレントとして活動する人も多く、近年では藤原宏美(松竹芸能)、木島さやか(吉本興業)、桜・稲垣早希、増田倫子(吉本興業)、高津奈央(ジャパネットたかた)などがいる。平成22年度から、愛染まつり初日に行われる宝恵駕籠パレードの宝恵駕籠には乗らずに、駕籠を引きながらPRするギャルとして「愛染女組」の別途10人の娘が加わり、PR活動は22人体制で行われている。年齢制限は20歳から35歳前後。愛染女組の服装はサラシをまいて鶯色のハッピという、清楚な愛染娘というイメージではなく、元気な祭娘がテーマとなっている。募集は愛染娘と同様、毎年4月頃から募集要項が発表される。愛染まつり2日目の夜に10人の愛染娘の中から1名のミス愛染娘を決める演芸大会「ミス愛染娘(愛嬌)コンテスト」が舞台で開催され、その年のミス愛染が選ばれ前年度のミスからティアラが手渡される。主に次年度の愛染娘が決定するまでの間の広報活動を担当する。愛染まつり3日目の夜には愛染女組による組長を決定する「愛染堂から愛を叫ぶ!」が舞台で開催。 関ジャニの好きやねん大阪を愛染まつりVer.で歌って踊り観客を大いに喜ばせた。天王寺警察署からの依頼で「交通安全週間」の簡易ポスターのモデルも毎年恒例となっている。
大阪三大夏祭り
大阪三大夏祭りは、大阪府大阪市で開催される天神祭、愛染祭、住吉祭の3つの夏祭りを合わせた呼び方のこと。
○概要
大阪市天王寺区の四天王寺支院・愛染堂 勝鬘院の愛染まつり、大阪市北区の大阪天満宮の天神祭、大阪市住吉区にある住吉大社の住吉祭が大阪三大夏祭りとされる。毎年6月30日、日本中で一斉に夏越しの大祓えが行われるので、その日からの祭りを夏祭りと定義すると、関西では愛染まつりを皮切りに数々の夏祭りが開催され、天神祭でピークを迎え、住吉祭でしめくくるとされる。「あい(=愛)すみ(=住)ません(=天)」という言葉の語源となったという説が、大阪三大夏祭りの3つの覚え方として知られる。大阪は特に夏祭りが多く、この1ヶ月の間に大小かかわらず幾つもの祭事が行われるが、地域的な氏子組織が主催している夏祭りではなく、特にマスコミ、全国紙などメディアで積極的に紹介されたりニュース記事として取り上げられ、各方面からの参詣者が集まるこの3つの祭りが大阪三大夏祭り、浪花三大夏祭りと呼ばれる。6月下旬吉日~25日の約1ヶ月間の長きに渡って諸行事が行われる天神祭は日本三大祭りの一つにもあげられる程有名である。また愛染まつりのみ寺院による夏祭り(夏越し大祓え)を行うのは、明治政府による神仏分離令によって神社と仏閣が明確に色分けされる以前(神仏習合時代)の流れを汲むものとされ、特に神社の夏祭りと内容は相違なく同格、もしくは聖徳太子の誓願によって始められたという四天王寺僧侶が行う夏越の大祓え(厄除け祈願大法要)は歴史的財産として、民俗学の面からも貴重な伝統行事として扱われている。
愛染祭(6月30日~7月2日)
天神祭(6月下旬吉日~7月25日・中心は7月24・25日)
住吉祭(7月20日~8月1日・中心は7月30日~8月1日)
○概要
大阪市天王寺区の四天王寺支院・愛染堂 勝鬘院の愛染まつり、大阪市北区の大阪天満宮の天神祭、大阪市住吉区にある住吉大社の住吉祭が大阪三大夏祭りとされる。毎年6月30日、日本中で一斉に夏越しの大祓えが行われるので、その日からの祭りを夏祭りと定義すると、関西では愛染まつりを皮切りに数々の夏祭りが開催され、天神祭でピークを迎え、住吉祭でしめくくるとされる。「あい(=愛)すみ(=住)ません(=天)」という言葉の語源となったという説が、大阪三大夏祭りの3つの覚え方として知られる。大阪は特に夏祭りが多く、この1ヶ月の間に大小かかわらず幾つもの祭事が行われるが、地域的な氏子組織が主催している夏祭りではなく、特にマスコミ、全国紙などメディアで積極的に紹介されたりニュース記事として取り上げられ、各方面からの参詣者が集まるこの3つの祭りが大阪三大夏祭り、浪花三大夏祭りと呼ばれる。6月下旬吉日~25日の約1ヶ月間の長きに渡って諸行事が行われる天神祭は日本三大祭りの一つにもあげられる程有名である。また愛染まつりのみ寺院による夏祭り(夏越し大祓え)を行うのは、明治政府による神仏分離令によって神社と仏閣が明確に色分けされる以前(神仏習合時代)の流れを汲むものとされ、特に神社の夏祭りと内容は相違なく同格、もしくは聖徳太子の誓願によって始められたという四天王寺僧侶が行う夏越の大祓え(厄除け祈願大法要)は歴史的財産として、民俗学の面からも貴重な伝統行事として扱われている。
愛染祭(6月30日~7月2日)
天神祭(6月下旬吉日~7月25日・中心は7月24・25日)
住吉祭(7月20日~8月1日・中心は7月30日~8月1日)
2012年6月25日月曜日
先日の新聞に書いてあったこと
先日の新聞に書いてあったことですが、一部の高校の名簿が俺俺詐欺(振り込め詐欺の1種)のグループに流れているらしい。僕の出身高校の名簿もその手のグループに流れているらしい。僕のところにはまだその手の電話は掛かっていないが、皆さん気をつけようね。
そういえば大学の卒業生の名簿を作るので返事を書いてくれといった内容の手紙(往復葉書)が着ていたことがあったと記憶している。当然大学とは全く無関係だそうだ(大学のホームページに書かれていた)。最近は個人情報に関する色々な問題が出てきているので気をつけようね。
そういえば大学の卒業生の名簿を作るので返事を書いてくれといった内容の手紙(往復葉書)が着ていたことがあったと記憶している。当然大学とは全く無関係だそうだ(大学のホームページに書かれていた)。最近は個人情報に関する色々な問題が出てきているので気をつけようね。
2012年6月19日火曜日
箕面まつり2012
箕面まつりは、大阪府箕面市で行われる祭。市制施行30周年のプレイベントとして実施された1986年(昭和61年)から毎年開催されている。年によって前後することもあるが、概ね7月の最終土曜日から日曜日にかけて行われる。同市の芦原公園内ときめき広場に設置する屋外ステージでのイベントをはじめ、その周辺の公共施設などでの屋内外の各種イベント、出店、市役所から箕面駅前までのパレードなどが行われている。また、7~8月に開催される地域のイベントを「関連イベント」として箕面まつり推進協議会が支援している。
○ポスター
箕面まつりの宣伝に使われるポスターは、毎年箕面まつり推進協議会が公募している。
2012年の開催日程は7月28日(土)・29日(日)
○ポスター
箕面まつりの宣伝に使われるポスターは、毎年箕面まつり推進協議会が公募している。
2012年の開催日程は7月28日(土)・29日(日)
2012年6月17日日曜日
2012年6月10日日曜日
豊島河原合戦
豊島河原合戦は、建武3年(1336年)に行われた新田義貞・北畠顕家を総大将とする後醍醐天皇軍と足利尊氏を総大将とする反乱軍の戦い。豊島河原の戦いとも言う。
○合戦経緯
元弘3年/正慶2年(1333年)、鎌倉幕府が滅びた後、足利尊氏は後醍醐天皇に突如反旗を翻した。尊氏は建武2年(1335年)箱根・竹ノ下の戦いで新田義貞軍を破ると、京都へ進軍を始めた。尊氏は建武3年(1336年)1月11日に京都へ到着するが、京都へ駆け付けた北畠顕家軍に攻め入られ、同月27日に丹波国に引き返す事となる。
○開戦
丹波国に引き返した足利尊氏は勢力を盛り返し、再度京都に攻め入る為に、同年2月3日に摂津国猪名川付近へ到着する。これに対して後醍醐天皇側の新田義貞・北畠顕家勢は軍を率いて尊氏が陣を張る摂津へ向かう。
○梅松論の記述
『梅松論』によると、足利尊氏側に味方した山陽周防国(現:山口県東南)・長門国(現:山口県西)の守護大名が瀬戸内海を渡り、約500の軍艦を率いて摂津国神戸港に入港した。尊氏側は2月10日に摂津を出て、援軍に合流しようとするが、周防・長門の援軍が待ち構えていた楠木正成に破られる。そこで尊氏は翌日、援軍と合流して新田義貞・北畠顕家両軍と豊島河原(瀬川)で合戦を繰り広げた。その結果尊氏側は新田・北畠軍に破れ去り、同月12日に兵庫へ退陣した。その後尊氏は周防・長門の援軍と共に九州へ落ち延びて行ったと書かれている。
○太平記の記述
『太平記』(巻第十五)によると、丹波国に落ち延びた足利尊氏は、2月3日に足利直義に約16万の軍勢を与えて京都へ攻め上らせ、一方約10万騎の新田義貞・北畠顕家率いる後醍醐天皇軍が摂津国豊島河原(瀬川宿)で合戦を行った。結果は両軍共に勝敗が付かず、猪名川両岸で睨み合いが続いた後、後醍醐側として参戦した楠木正成が西宮へ赴き背後から直義・尊氏軍を襲い、西宮に合戦地が移ったとされる。その後、周防国・長門国の守護大名が神戸港に到着し、後醍醐天皇側軍も四国の伊予国から援軍が到着した。そこで両軍は湊川で合戦を行った。しかし、足利尊氏は自らの敗戦を見切って、周防・長門の援軍と共に九州へ落ち延びて行ったと書かれている。
○合戦場
「豊島河原」とされている場所は不明であるが、『梅松論』には「新田義貞は摂津国瀬川の河原にて合戦を行った」と記述があり、「瀬川の河原」と伝わるのは、箕面川の下流で箕面市と池田市の境界を接する河原であると見られている。
箕面市瀬川2丁目にある今井橋(箕面川に掛かっている橋)辺りらしい。
○合戦経緯
元弘3年/正慶2年(1333年)、鎌倉幕府が滅びた後、足利尊氏は後醍醐天皇に突如反旗を翻した。尊氏は建武2年(1335年)箱根・竹ノ下の戦いで新田義貞軍を破ると、京都へ進軍を始めた。尊氏は建武3年(1336年)1月11日に京都へ到着するが、京都へ駆け付けた北畠顕家軍に攻め入られ、同月27日に丹波国に引き返す事となる。
○開戦
丹波国に引き返した足利尊氏は勢力を盛り返し、再度京都に攻め入る為に、同年2月3日に摂津国猪名川付近へ到着する。これに対して後醍醐天皇側の新田義貞・北畠顕家勢は軍を率いて尊氏が陣を張る摂津へ向かう。
○梅松論の記述
『梅松論』によると、足利尊氏側に味方した山陽周防国(現:山口県東南)・長門国(現:山口県西)の守護大名が瀬戸内海を渡り、約500の軍艦を率いて摂津国神戸港に入港した。尊氏側は2月10日に摂津を出て、援軍に合流しようとするが、周防・長門の援軍が待ち構えていた楠木正成に破られる。そこで尊氏は翌日、援軍と合流して新田義貞・北畠顕家両軍と豊島河原(瀬川)で合戦を繰り広げた。その結果尊氏側は新田・北畠軍に破れ去り、同月12日に兵庫へ退陣した。その後尊氏は周防・長門の援軍と共に九州へ落ち延びて行ったと書かれている。
○太平記の記述
『太平記』(巻第十五)によると、丹波国に落ち延びた足利尊氏は、2月3日に足利直義に約16万の軍勢を与えて京都へ攻め上らせ、一方約10万騎の新田義貞・北畠顕家率いる後醍醐天皇軍が摂津国豊島河原(瀬川宿)で合戦を行った。結果は両軍共に勝敗が付かず、猪名川両岸で睨み合いが続いた後、後醍醐側として参戦した楠木正成が西宮へ赴き背後から直義・尊氏軍を襲い、西宮に合戦地が移ったとされる。その後、周防国・長門国の守護大名が神戸港に到着し、後醍醐天皇側軍も四国の伊予国から援軍が到着した。そこで両軍は湊川で合戦を行った。しかし、足利尊氏は自らの敗戦を見切って、周防・長門の援軍と共に九州へ落ち延びて行ったと書かれている。
○合戦場
「豊島河原」とされている場所は不明であるが、『梅松論』には「新田義貞は摂津国瀬川の河原にて合戦を行った」と記述があり、「瀬川の河原」と伝わるのは、箕面川の下流で箕面市と池田市の境界を接する河原であると見られている。
箕面市瀬川2丁目にある今井橋(箕面川に掛かっている橋)辺りらしい。
天王寺の戦い
天王寺の戦いは、石山合戦の一環として天正4年(1576年)に行なわれた織田信長と一向一揆との戦いである。天王寺砦の戦いともいう。
○発端
足利義昭を擁立し上洛を果たした織田信長は、上洛早々堺と石山本願寺に法外な矢銭を要求するなど、畿内の支配基盤の確立に努めていた。堺は信長と三好氏と結んだものの敗れ、服従を余儀なくされる。信長は敵対する三好氏を討つため、石山本願寺のある摂津国に軍を進めたため、堺の二の舞となることを恐れた本願寺は危機感を強め、元亀元年(1570年)9月、顕如は織田信長との対決を決意した。これが石山合戦の始まりである。本願寺軍と織田軍は一進一退を繰り返したが、顕如の義兄武田信玄の病死や浅井長政・朝倉義景・長島一向一揆滅亡などで次第に追いつめられていった。そんな中、天正4年(1576年)2月、足利義昭の呼びかけに応じて毛利輝元が信長包囲網の一翼に参加し、本願寺に兵糧援助を始めた。これが顕如を強気にして、畿内の信徒に動員令を出して5万の兵力をかき集めた。このため、諸々の事情から停滞していた本願寺と織田家の戦闘が再燃することとなった。
○戦況
信長は本願寺の挙兵に危機感を強め、佐久間信盛・明智光秀・原田直政・細川藤孝・筒井順慶・中川清秀・高山右近・荒木村重らを摂津方面に出兵させた。このとき、信長が光秀・藤孝宛てに送った書状が現存している。
其表(大坂表=石山本願寺)の麦悉く薙捨て候哉。猶以て油断無く申付くべき事専一に候。然して隙を明け候はば、大坂籠城候男女の事は相免ずべき候間、早々罷出ずべきの旨、口々に立札然るべく候。坊主以下用にも立ち候者をば、赦免すべからず候。其意をなすべく候也。
(本願寺周辺の麦を薙ぎ捨てて兵糧攻めに追い込み、助命を条件に信徒の内部分裂を策し、坊主は赦免せずに殺せとのこと)
4月14日、信長は、荒木村重には尼崎から海上を通って北野田に3箇所、明智光秀・細川藤孝らは南東の守口・森河内の2箇所に、塙直政は天王寺に1箇所それぞれ砦を築かせ、本願寺の包囲を強めようとした。一方、本願寺側は楼の岸・木津の2箇所に砦があり、難波方面への水路を確保していた。信長はこれを断つため木津砦を攻撃する事を決め、天王寺砦に佐久間信栄・明智光秀を入れ置いた。5月3日早朝、織田軍は木津に攻撃をかける。陣立ては先陣が三好康長・根来衆・和泉衆、2番手が塙直政・大和衆・山城衆である。しかし、楼の岸砦から本願寺清勢・約1万が討って出てきて、織田軍を包囲しつつ数千丁の鉄砲で銃撃を加えた(精強鉄砲隊の雑賀衆が味方していた)。塙直政の軍勢がこの攻撃を引き受けて数刻の間戦ったが、敵に囲まれ、一族の塙喜三郎・塙小七郎や蓑浦無右衛門・丹羽小四郎らとともに討ち死にした。本願寺勢は勢いに乗じて天王寺砦を包囲し、攻撃した。窮地に陥った光秀は、京都に滞在していた信長に援軍を要請した。
これを聞いた信長は諸国に動員令を出し、5月5日に100人の兵を率いて河内若江城に入った。しかし突然の命令だったため、兵力が集まらなかった。このときのことを、『信長公記』では次のように記している。
(信長は)五月五日、後詰として御馬を出だされ、明衣の仕立、僅か百騎ばかりにて若江に至つて御参陣。次日御逗留あつて、先手の様子をもきかせられ、御人数を揃へられ候といへども、俄懸の事に候間、相調はず、下々の者、人足以下中々相続かず、首々ばかり着陣候
? 『信長公記』
5月6日、信長は軍勢の到着を待ったが、なにぶん突然の出陣だったため、あまり兵力が集まらなかった。天王寺砦からは「あと3、5日さえ持ちこたえるのは難しい」とたびたび知らせてきたため、信長はこのまま眼前で味方を攻め殺させて面目を失っては無念と考え、わずかな手勢で本願寺勢を強襲することを決める。5月7日、信長は3000ほどの兵で本願寺勢1万5千に突撃した。陣立ては3段。先陣は佐久間信盛・松永久秀・細川藤孝・若江衆、2番手は滝川一益・蜂屋頼隆・羽柴秀吉・丹羽長秀・稲葉一鉄ら、3番手は信長の馬廻りで、信長自身は先手の足軽に混じって指揮を取った。本願寺勢は多数の鉄砲で防戦したが、織田軍はこれに突っ込んで敵陣を切り崩し、天王寺砦の守備隊と合流した。この際、信長は敵の鉄砲を足に受けて軽傷を負った。合流されたとはいえ、本願寺勢は退却せず、陣形を立て直しつつあった。信長はそこへ再度攻撃かける事を決める。家老たちは多勢に無勢であるとして止めたが、信長は「今度間近く寄り合ひ侯事、天の与ふる所の由(いま敵が間近にいるのは天の与えた好機である)」と言い放ち、陣形を2段に立て直して突撃。本願寺勢を撃破し、更にこれを石山本願寺の木戸口まで追撃し、2700余りの敵を討ち取った。こうして織田軍の大勝で天王寺砦の戦いは幕を閉じた。信長は大坂の10箇所に付城を作るよう命じ、佐久間信盛・松永久秀らを入れると、6月5日に若江城に帰還した。
○影響と戦略
この戦いで大勝した織田軍は、摂津方面での陸戦での優位を確立した。以後、本願寺軍は討って出ようとはせず、徹底した籠城戦に持ち込んだのである。一時は第一次木津川口の戦いで毛利水軍が織田水軍に大勝して戦況が逆転しかけたこともあったが、天王寺砦の戦いで大損害を受けた本願寺軍は2度と陸戦に出ようとはせず、毛利水軍もやがて第二次木津川口の戦いで織田水軍に敗れて壊滅し、本願寺勢力の孤立化が決定的となることになる。織田信長は、常に敵勢力の内部分裂を策し、謀略が完成したところで敵を圧倒する軍事力で戦うということが通説となっている。しかし信長は弘治2年(1556年)の稲生の戦い、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い、そしてこの天王寺砦の戦いの3度だけは敵に劣る兵力で戦い、いずれも勝利している。しかもこの3度は、いずれも信長自らが陣頭に立って戦っているのである。
○発端
足利義昭を擁立し上洛を果たした織田信長は、上洛早々堺と石山本願寺に法外な矢銭を要求するなど、畿内の支配基盤の確立に努めていた。堺は信長と三好氏と結んだものの敗れ、服従を余儀なくされる。信長は敵対する三好氏を討つため、石山本願寺のある摂津国に軍を進めたため、堺の二の舞となることを恐れた本願寺は危機感を強め、元亀元年(1570年)9月、顕如は織田信長との対決を決意した。これが石山合戦の始まりである。本願寺軍と織田軍は一進一退を繰り返したが、顕如の義兄武田信玄の病死や浅井長政・朝倉義景・長島一向一揆滅亡などで次第に追いつめられていった。そんな中、天正4年(1576年)2月、足利義昭の呼びかけに応じて毛利輝元が信長包囲網の一翼に参加し、本願寺に兵糧援助を始めた。これが顕如を強気にして、畿内の信徒に動員令を出して5万の兵力をかき集めた。このため、諸々の事情から停滞していた本願寺と織田家の戦闘が再燃することとなった。
○戦況
信長は本願寺の挙兵に危機感を強め、佐久間信盛・明智光秀・原田直政・細川藤孝・筒井順慶・中川清秀・高山右近・荒木村重らを摂津方面に出兵させた。このとき、信長が光秀・藤孝宛てに送った書状が現存している。
其表(大坂表=石山本願寺)の麦悉く薙捨て候哉。猶以て油断無く申付くべき事専一に候。然して隙を明け候はば、大坂籠城候男女の事は相免ずべき候間、早々罷出ずべきの旨、口々に立札然るべく候。坊主以下用にも立ち候者をば、赦免すべからず候。其意をなすべく候也。
(本願寺周辺の麦を薙ぎ捨てて兵糧攻めに追い込み、助命を条件に信徒の内部分裂を策し、坊主は赦免せずに殺せとのこと)
4月14日、信長は、荒木村重には尼崎から海上を通って北野田に3箇所、明智光秀・細川藤孝らは南東の守口・森河内の2箇所に、塙直政は天王寺に1箇所それぞれ砦を築かせ、本願寺の包囲を強めようとした。一方、本願寺側は楼の岸・木津の2箇所に砦があり、難波方面への水路を確保していた。信長はこれを断つため木津砦を攻撃する事を決め、天王寺砦に佐久間信栄・明智光秀を入れ置いた。5月3日早朝、織田軍は木津に攻撃をかける。陣立ては先陣が三好康長・根来衆・和泉衆、2番手が塙直政・大和衆・山城衆である。しかし、楼の岸砦から本願寺清勢・約1万が討って出てきて、織田軍を包囲しつつ数千丁の鉄砲で銃撃を加えた(精強鉄砲隊の雑賀衆が味方していた)。塙直政の軍勢がこの攻撃を引き受けて数刻の間戦ったが、敵に囲まれ、一族の塙喜三郎・塙小七郎や蓑浦無右衛門・丹羽小四郎らとともに討ち死にした。本願寺勢は勢いに乗じて天王寺砦を包囲し、攻撃した。窮地に陥った光秀は、京都に滞在していた信長に援軍を要請した。
これを聞いた信長は諸国に動員令を出し、5月5日に100人の兵を率いて河内若江城に入った。しかし突然の命令だったため、兵力が集まらなかった。このときのことを、『信長公記』では次のように記している。
(信長は)五月五日、後詰として御馬を出だされ、明衣の仕立、僅か百騎ばかりにて若江に至つて御参陣。次日御逗留あつて、先手の様子をもきかせられ、御人数を揃へられ候といへども、俄懸の事に候間、相調はず、下々の者、人足以下中々相続かず、首々ばかり着陣候
? 『信長公記』
5月6日、信長は軍勢の到着を待ったが、なにぶん突然の出陣だったため、あまり兵力が集まらなかった。天王寺砦からは「あと3、5日さえ持ちこたえるのは難しい」とたびたび知らせてきたため、信長はこのまま眼前で味方を攻め殺させて面目を失っては無念と考え、わずかな手勢で本願寺勢を強襲することを決める。5月7日、信長は3000ほどの兵で本願寺勢1万5千に突撃した。陣立ては3段。先陣は佐久間信盛・松永久秀・細川藤孝・若江衆、2番手は滝川一益・蜂屋頼隆・羽柴秀吉・丹羽長秀・稲葉一鉄ら、3番手は信長の馬廻りで、信長自身は先手の足軽に混じって指揮を取った。本願寺勢は多数の鉄砲で防戦したが、織田軍はこれに突っ込んで敵陣を切り崩し、天王寺砦の守備隊と合流した。この際、信長は敵の鉄砲を足に受けて軽傷を負った。合流されたとはいえ、本願寺勢は退却せず、陣形を立て直しつつあった。信長はそこへ再度攻撃かける事を決める。家老たちは多勢に無勢であるとして止めたが、信長は「今度間近く寄り合ひ侯事、天の与ふる所の由(いま敵が間近にいるのは天の与えた好機である)」と言い放ち、陣形を2段に立て直して突撃。本願寺勢を撃破し、更にこれを石山本願寺の木戸口まで追撃し、2700余りの敵を討ち取った。こうして織田軍の大勝で天王寺砦の戦いは幕を閉じた。信長は大坂の10箇所に付城を作るよう命じ、佐久間信盛・松永久秀らを入れると、6月5日に若江城に帰還した。
○影響と戦略
この戦いで大勝した織田軍は、摂津方面での陸戦での優位を確立した。以後、本願寺軍は討って出ようとはせず、徹底した籠城戦に持ち込んだのである。一時は第一次木津川口の戦いで毛利水軍が織田水軍に大勝して戦況が逆転しかけたこともあったが、天王寺砦の戦いで大損害を受けた本願寺軍は2度と陸戦に出ようとはせず、毛利水軍もやがて第二次木津川口の戦いで織田水軍に敗れて壊滅し、本願寺勢力の孤立化が決定的となることになる。織田信長は、常に敵勢力の内部分裂を策し、謀略が完成したところで敵を圧倒する軍事力で戦うということが通説となっている。しかし信長は弘治2年(1556年)の稲生の戦い、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い、そしてこの天王寺砦の戦いの3度だけは敵に劣る兵力で戦い、いずれも勝利している。しかもこの3度は、いずれも信長自らが陣頭に立って戦っているのである。
瀬川合戦
瀬川合戦は、元弘3年(1333年)に行われた赤松則村(円心)を総大将とする後醍醐天皇軍と鎌倉幕府六波羅探題軍との戦い。
○開戦経緯
元弘元年(1331年)に後醍醐天皇が起こした元弘の乱以後、鎌倉幕府倒幕運動が盛んになり、護良親王の令旨を受けて播磨国で赤松則村が挙兵した。赤松則村は挙兵後、六波羅探題側の武将を次々と破り、元弘3年(1333年)に摂津国摩耶山に城を築城した。同年六波羅探題側の軍勢は2月11日に赤松軍を討伐するため、摩耶山麓に陣を構えるが赤松勢に破られた。28日、六波羅側は摩耶山麓に再度陣を構えるが、猪名川付近まで赤松方が攻め入り、赤松方は猪名川付近に停滞して六波羅方を待ち構えた。同年3月10日になると、六波羅方も猪名川付近に布陣し、両軍の睨み合いが続いたが、10日夜になると尼崎から上陸した四国の小笠原勢が赤松方に攻め入り、赤松方は敗走する事になる。
○開戦
『太平記』によると、赤松則村は四国の小笠原勢に敗走するが、赤松則祐の進言により、約3000騎の兵を率いて瀬川宿(現:大阪府箕面市)に陣を構えていた約23万騎の六波羅探題に夜襲をかけ、六波羅方を打ち破ったと書かれている。これを機に、赤松則村は赤松則祐の六波羅探題追撃の進言を聞き入れ、3月12日には山城国山崎に侵攻し、その後赤松方は六波羅方を攻め続け、同年に六波羅は鎌倉に敗走して元弘の乱は終結している。
○開戦経緯
元弘元年(1331年)に後醍醐天皇が起こした元弘の乱以後、鎌倉幕府倒幕運動が盛んになり、護良親王の令旨を受けて播磨国で赤松則村が挙兵した。赤松則村は挙兵後、六波羅探題側の武将を次々と破り、元弘3年(1333年)に摂津国摩耶山に城を築城した。同年六波羅探題側の軍勢は2月11日に赤松軍を討伐するため、摩耶山麓に陣を構えるが赤松勢に破られた。28日、六波羅側は摩耶山麓に再度陣を構えるが、猪名川付近まで赤松方が攻め入り、赤松方は猪名川付近に停滞して六波羅方を待ち構えた。同年3月10日になると、六波羅方も猪名川付近に布陣し、両軍の睨み合いが続いたが、10日夜になると尼崎から上陸した四国の小笠原勢が赤松方に攻め入り、赤松方は敗走する事になる。
○開戦
『太平記』によると、赤松則村は四国の小笠原勢に敗走するが、赤松則祐の進言により、約3000騎の兵を率いて瀬川宿(現:大阪府箕面市)に陣を構えていた約23万騎の六波羅探題に夜襲をかけ、六波羅方を打ち破ったと書かれている。これを機に、赤松則村は赤松則祐の六波羅探題追撃の進言を聞き入れ、3月12日には山城国山崎に侵攻し、その後赤松方は六波羅方を攻め続け、同年に六波羅は鎌倉に敗走して元弘の乱は終結している。
桜ヶ丘古墳群
箕面市内に桜ヶ丘古墳群という古墳群があったことをご存知だろうか。新稲から桜ヶ丘あたりにかけてはいくつかの小規模な後期古墳(6世紀頃)で横穴式石室の円墳があって桜ヶ丘古墳群とか新稲古墳群とか、あるいは奈伊良野古墳群といわれていたらしい。明治初期に英国人のゴーランドと云う人が調査しているらしい。埋葬者については詳しく分からないが、6世紀にこの辺り(池田市から箕面市)に大きな勢力を持っていた秦氏(朝鮮半島からの渡来人の一族)の一族の関係者ではないかといわれている(現実に「池田市に畑(新稲のすぐ隣)という地名がある」「池田市内にある古墳で同時期に作られた古墳は秦氏を初めとする渡来人の関係者の墓ではないかといわれている」)。池田市・豊中市にある古墳は結構知られているようだがこの古墳群については余り知られていないようである。僕の親戚等に聞いてみてもあまりこの古墳群について知らなかったようである(僕が教えてはじめて知ったくらいだから)。現実に看板もなく、本で読んではじめて知ったくらいです
・桜古墳
箕面市桜ヶ丘2丁目
消滅
・中尾塚古墳○
箕面市桜ケ丘3-1-10
中尾塚古墳が立地する桜ヶ丘地域は古くから住宅地として開発されていましたが、古墳が所在する場所は林として残されてきました。ところが昭和45年(1970年)にこの地が住宅として開発されることになり発掘調査が行われました。調査により両袖式の横穴式古墳を主体部とする後期古墳であることが判明したそうです。残念ながら墳丘と石室の大部分が既に失われていましたが、須恵器の壷や杯、耳環等の遺物が出土したそうです。出土した須恵器からこの古墳は、6世紀後半に築造され、7世紀代まで何度か追葬他ものと考えられている。今現在は石が数個あるのみである。
・稲荷社古墳○
箕面市桜2丁目10
円墳、横穴式石室、石室は正丸稲荷神社の神殿となっている。
・髪切塚一号墳
箕面市新稲6丁目
消滅
・髪切塚二号墳
箕面市新稲6丁目
消滅、髪切塚遊園と云う小公園になっている
・新稲古墳○
所在地:箕面市新稲2丁目(栄松寺からスカイアリーナに上る道の横にある林の中に古墳がある)
>阪急バス新稲バス停すぐ
円墳、横穴式石室、盗掘あり、石室上部が露出している
・山口一号墳
箕面市新稲2丁目
消滅
・山口二号墳
箕面市新稲2丁目
半町池付近にあったらしい。消滅
・若宮一号墳
箕面市新稲3丁目
第1中学家庭科室下にあったらしい。消滅
・大谷塚古墳
箕面市箕面7丁目?
消滅
○のある古墳は現存。その他は消滅しているらしい。
・桜古墳
箕面市桜ヶ丘2丁目
消滅
・中尾塚古墳○
箕面市桜ケ丘3-1-10
中尾塚古墳が立地する桜ヶ丘地域は古くから住宅地として開発されていましたが、古墳が所在する場所は林として残されてきました。ところが昭和45年(1970年)にこの地が住宅として開発されることになり発掘調査が行われました。調査により両袖式の横穴式古墳を主体部とする後期古墳であることが判明したそうです。残念ながら墳丘と石室の大部分が既に失われていましたが、須恵器の壷や杯、耳環等の遺物が出土したそうです。出土した須恵器からこの古墳は、6世紀後半に築造され、7世紀代まで何度か追葬他ものと考えられている。今現在は石が数個あるのみである。
・稲荷社古墳○
箕面市桜2丁目10
円墳、横穴式石室、石室は正丸稲荷神社の神殿となっている。
・髪切塚一号墳
箕面市新稲6丁目
消滅
・髪切塚二号墳
箕面市新稲6丁目
消滅、髪切塚遊園と云う小公園になっている
・新稲古墳○
所在地:箕面市新稲2丁目(栄松寺からスカイアリーナに上る道の横にある林の中に古墳がある)
>阪急バス新稲バス停すぐ
円墳、横穴式石室、盗掘あり、石室上部が露出している
・山口一号墳
箕面市新稲2丁目
消滅
・山口二号墳
箕面市新稲2丁目
半町池付近にあったらしい。消滅
・若宮一号墳
箕面市新稲3丁目
第1中学家庭科室下にあったらしい。消滅
・大谷塚古墳
箕面市箕面7丁目?
消滅
○のある古墳は現存。その他は消滅しているらしい。
2012年6月6日水曜日
サマーフェスタ箕面公園-火と水と光の祭典-
明治の森箕面国定公園にある箕面大滝と、滝道沿道各所が夕刻よりライトアップされます。7月29日には箕面温泉スパーガーデン大駐車場で様々なイベントが行われるほか、箕面大滝周辺をはじめ瀧安寺周辺や、駅前から一の橋までに4500本以上のろうそくが灯される「みのおキャンドルロード」が行われます。
開催場所:明治の森箕面国定公園
所在地〒562-0002大阪府箕面市箕面公園
交通:アクセス阪急「箕面駅」から徒歩40分(箕面大滝まで)
開催期間:2012年7月14日~9月2日
主催サマーフェスタ箕面公園実行委員会(箕面市観光協会、箕面商工会議所)
問合せ先:箕面交通・観光案内所072-723-1885
開催場所:明治の森箕面国定公園
所在地〒562-0002大阪府箕面市箕面公園
交通:アクセス阪急「箕面駅」から徒歩40分(箕面大滝まで)
開催期間:2012年7月14日~9月2日
主催サマーフェスタ箕面公園実行委員会(箕面市観光協会、箕面商工会議所)
問合せ先:箕面交通・観光案内所072-723-1885
道明寺天満宮天神まつり
道明寺天満宮で、毎年7月25日に無病息災や五穀豊穣、家業繁栄を祈願して「天神まつり」が斎行されます。祭の当日は鳳輦や子供みこし、花車が巡行します。また、前日の24日が宵宮で、両日ともに夜は奉納河内音頭で賑わいます。
開催場所:道明寺天満宮
所在地:〒583-0012大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
交通アクセス:近鉄道明寺線「道明寺駅」から徒歩3分
開催期間:2012年7月24日~25日【24日】宵宮/民謡おどり19:00~22:00【25日】本祭/みこし・花車巡行14:00~16:30、民謡おどり19:00~22:00
問合せ先道明寺天満宮 072-953-2525
開催場所:道明寺天満宮
所在地:〒583-0012大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
交通アクセス:近鉄道明寺線「道明寺駅」から徒歩3分
開催期間:2012年7月24日~25日【24日】宵宮/民謡おどり19:00~22:00【25日】本祭/みこし・花車巡行14:00~16:30、民謡おどり19:00~22:00
問合せ先道明寺天満宮 072-953-2525
露天神社(お初天神) 例大祭(夏祭)
宵宮は拝殿横の特設舞台で地車囃子が、境内では舞獅子、傘踊りが入り、役太鼓の宵宮打ちが披露されます。本宮は神事の後、役太鼓、舞獅子、地車囃子が御祓いを受け宮出します。その後、大阪駅周辺のディアモール、ハービス大阪、ヒルトンプラザなども含め、午後9時頃まで梅田・曽根崎各地を巡行します。9時半頃には、舞獅子と傘踊りが宮入し、お囃子隊の笛、地車囃子の鉦・太鼓、囃し唄が一つに溶け合ってお祭りは最高潮に達します。
所在地:〒530-0057大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
交通アクセス:JR東西線「北新地駅」から徒歩5分、またはJR「大阪駅」から徒歩8分
開催期間:2012年7月20日~21日宵宮/19:00頃、本宮/10:30~神事、12:00~宮出し(役太鼓・舞獅子・地車囃子)
主催:露天神社、露天神社奉賛会
問合せ先露天神社 06-6311-0895
所在地:〒530-0057大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
交通アクセス:JR東西線「北新地駅」から徒歩5分、またはJR「大阪駅」から徒歩8分
開催期間:2012年7月20日~21日宵宮/19:00頃、本宮/10:30~神事、12:00~宮出し(役太鼓・舞獅子・地車囃子)
主催:露天神社、露天神社奉賛会
問合せ先露天神社 06-6311-0895
高津宮夏祭
もっとも荘厳でかつ賑わいがあり、浪速の夏の風物詩となっている夏祭が高津宮で斎行されます。古伝に基づき、神饌には境内地に自生する「ごさいば」と「氷室」が供えられます。この両日のみ夏の邪気をはらう獅子頭のついた笹が授与されます。黒門市場より「子供御輿」が渡御されるほか、境内の仮設舞台ではさまざまな演芸が奉納され、絵馬殿では「だんじり囃子」にあわせて龍おどりが行われます。両日とも夜10時までたくさんの露店が軒を連ね、多くの人々で賑わいます。
所在地:〒542-0072大阪府大阪市中央区高津1-1-29
交通:アクセス地下鉄「谷町九丁目駅」から徒歩5分
開催期間:2012年7月17日~18日【17日】宵宮【18日】本宮
所在地:〒542-0072大阪府大阪市中央区高津1-1-29
交通:アクセス地下鉄「谷町九丁目駅」から徒歩5分
開催期間:2012年7月17日~18日【17日】宵宮【18日】本宮
四條畷の戦い
四條畷の戦いは、南北朝時代の1348年(正平3年/貞和4年)1月5日、河内国北條(大阪府四條畷市・大東市)における、南朝方の楠木正行と足利尊氏の家臣高師直との間の戦い。また、四條縄手という地名や、味方であった水走氏が東大阪市五条町に館があったことなどから、大阪府東大阪市の四条(縄手)付近で戦いがあったという説もある。
○背景
1336年(延元元年/建武3年)、楠木正成が湊川の戦いで敗死してから、楠木氏はしばらくの間鳴りを潜めていた。正成の子楠木正行が成長すると、本拠地である河内国南部で次第に力を蓄え、摂津国南部の住吉・天王寺周辺までゲリラ的に出没し、足利方を脅かすようになった。1347年(正平2年/貞和3年)9月、楠木軍は藤井寺近辺で細川顕氏を破り、11月には住吉付近で山名時氏を破った。
○経過
足利方は本格的な南朝攻撃を決意し、ついに1348年1月に高師直を大将とする大軍を編成して、北上する楠木軍と四條畷に対峙した。楠木軍は足利方の圧倒的な兵力の前に敗れ、正行は弟の正時と刺し違えて自決した。勢いに乗った高師直は、南朝の本拠吉野(奈良県吉野郡吉野町)に攻め入り陥落させ、後村上天皇はじめ南朝は賀名生(同県五條市)に逃れた。戦後、楠木氏は楠木正儀が後を継ぐ。『太平記』では、楠木軍が少数の兵で突撃し、あと一歩で師直の首を取るところまで迫ったように描かれているが、実際には兵力の差は歴然で、楠木軍の惨敗だったようである。
○背景
1336年(延元元年/建武3年)、楠木正成が湊川の戦いで敗死してから、楠木氏はしばらくの間鳴りを潜めていた。正成の子楠木正行が成長すると、本拠地である河内国南部で次第に力を蓄え、摂津国南部の住吉・天王寺周辺までゲリラ的に出没し、足利方を脅かすようになった。1347年(正平2年/貞和3年)9月、楠木軍は藤井寺近辺で細川顕氏を破り、11月には住吉付近で山名時氏を破った。
○経過
足利方は本格的な南朝攻撃を決意し、ついに1348年1月に高師直を大将とする大軍を編成して、北上する楠木軍と四條畷に対峙した。楠木軍は足利方の圧倒的な兵力の前に敗れ、正行は弟の正時と刺し違えて自決した。勢いに乗った高師直は、南朝の本拠吉野(奈良県吉野郡吉野町)に攻め入り陥落させ、後村上天皇はじめ南朝は賀名生(同県五條市)に逃れた。戦後、楠木氏は楠木正儀が後を継ぐ。『太平記』では、楠木軍が少数の兵で突撃し、あと一歩で師直の首を取るところまで迫ったように描かれているが、実際には兵力の差は歴然で、楠木軍の惨敗だったようである。
祇園祭
日本三大祭りに数えられる、豪華絢爛な八坂神社の祭礼です。1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1カ月にわたって各種の神事・行事が催されます。特に、各山鉾町で山鉾が飾られ、祇園囃子が奏でられる「宵山」や、32基の山と鉾が京都の町を巡行する「山鉾巡行」には大勢の見物客が訪れます。
開催場所:八坂神社、各山鉾町
所在地:〒605-0073京都府京都市
交通アクセス:八坂神社まで/京阪「祇園四条駅」または阪急「河原町駅」下車、各山鉾町まで/地下鉄烏丸線「四条駅」または阪急「河原町」または「烏丸駅」下車
開催期間:2012年7月1日~31日宵山/14日~16日、山鉾巡行/17日
開催場所:八坂神社、各山鉾町
所在地:〒605-0073京都府京都市
交通アクセス:八坂神社まで/京阪「祇園四条駅」または阪急「河原町駅」下車、各山鉾町まで/地下鉄烏丸線「四条駅」または阪急「河原町」または「烏丸駅」下車
開催期間:2012年7月1日~31日宵山/14日~16日、山鉾巡行/17日
関西のアジサイの見所
○大阪
・大阪府民の森ぬかた園地「あじさいまつり」
生駒山頂近くにある大阪府民の森のぬかた園地で、「あじさいまつり」が開催されます。府内随一の規模を誇る園内には1500mの遊歩道があり、30種2万5000株以上のアジサイが植えられています。見頃にあわせあじさいハイキングが行われるほか、森のオープンカフェも登場します。
催場所:大阪府民の森ぬかた園地
所在地〒579-8022大阪府東大阪市山手町
交通アクセス:近鉄奈良線「生駒駅」から近鉄生駒ケーブル「鳥居前駅」~「生駒山上駅」~ハイキングコース徒歩20分、または近鉄奈良線「額田駅」からハイキングコース徒歩80分
開催期間:2012年6月23日~7月8日
あじさいハイキング/7月1日(1か月前より申込受付)、森のオープンカフェ/6月24日、7月1日、8日 .イベント料金あじさいハイキング/500円 .問合せ先一般財団法人 大阪府みどり公社 06-6266-1038(平日9:00~17:00)
http://osaka-midori.jp/mori/
・長居植物園アジサイ
長居植物園には、面積3800平方mの山奥の谷をイメージした両斜面渓流のアジサイ園があります。アジサイは約30種類、6200株の青白色から薄紅、濃紫、藍色と各種あり、梅雨時に大型の花を咲かせます。
開催場所:大阪市立長居植物園
所在地〒546-0034大阪府大阪市東住吉区長居公園1-23
交通アクセス地下鉄御堂筋線「長居駅」3号出口から東へ徒歩10分
開催期間2012年5月下旬~6月下旬9:30~17:00(入園は16:30まで)※休園日は毎週月曜(休日の場合は翌日)
イベント料金入園料が必要/大人200円、中学生以下・65歳以上(大阪市在住の方・証明書提示)・障害者の方は無料(証明書提示)
問合せ先大阪市立長居植物園06-6696-7117、長居パークセンター 06-6694-9007
http://www.nagai-park.jp/n-syoku/
・万博公園あじさい祭
自然文化園・あじさいの森、桜の流れでは星型のガクが特徴の「シチダンカ」、花色が次第に白から紅へと染まる「ベニガク」、その他「セイヨウアジサイ」、「ガクアジサイ」、「アマチャ」など約30品種約4500株が色とりどりに咲きほこります。9日から17日(予定)まで、あじさいを題材にした俳句が募集され、入選句は22日から「あじさいの森」「桜の流れ」にて紹介される予定です。
開催場所:万博記念公園自然文化園あじさいの森、桜の流れ
所在地:〒565-0826大阪府吹田市千里万博公園
交通アクセス:大阪モノレール「万博記念公園駅」からすぐ、またはJR京都線「茨木駅」からバス「日本庭園前」すぐ .開催期間2012年6月9日~7月1日
9:30~17:00(入園は閉園30分前まで)※休園日は毎週水曜
イベント料金入園料が必要/大人250円、中小生70円 .主催独立行政法人 日本万国博覧会記念機構
問合せ先:万博公園総合案内所06-6877-7387
http://www.expo70.or.jp/
○京都府
・柳谷観音あじさいまつり
柳谷観音(楊谷寺)では、6月下旬から7月上旬にあじさいが見頃を迎えます。毎年6月下旬に、2日間にわたって「あじさいまつり」が開催され、お茶席が設けられます。日本古来の和あじさいをはじめ新しい品種も年々増え、あるがままの自然な形で、色とりどりのあじさいが楽しめます。また、奥ノ院にいたる参道には「あじさいのみち」が整備され、27種4500株のあじさいで彩られます。※JR長岡京駅前から山門までシャトルバス運行(片道200円)
所在地:〒617-0855京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2
交通アクセス:JR京都線「長岡京駅」からタクシー約15分
開催期間:2012年6月23日~24日10:00~15:30
イベント料金:入山無料
問合せ先:長岡京市観光協会075-951-4500
http://yanagidani.jp/
・三千院あじさい祭
三千院のアジサイが見頃を迎え、ホシアジサイやヤマアジサイをはじめ様々な種類約3000株以上があじさい苑を華やかに彩ります。「あじさい祭」の初日には、午前11時より金色不動堂において降魔折伏の大般若転読会法要が、午後1時30分より金色不動堂前広場において炎と煙による息災祈願の採灯大護摩供法要が執り行われます。
開催場所:三千院門跡金色不動堂
所在地:〒601-1242京都府京都市左京区大原来迎院町540
交通アクセス:地下鉄烏丸線「国際会館駅」から京都バス「大原」~徒歩10分、またはJR「京都駅」から京都バス「大原」~徒歩10分
開催期間:2012年6月10日~7月9日【6月10日】大般若転読会法要/11:00、採灯大護摩供法要/13:30
イベント料金:拝観有料
問合せ先:三千院075-744-2531
http://www.sanzenin.or.jp/guide/guide_05.html
・松尾大社
松尾大社の後方山手にある磐座(いわくら)へと続く坂に「あじさい苑」がある。山の冷気を纏(まと)い、斜面を覆うように咲く約1,000株のアジサイは、どこか神秘的な美しさ。
庭園拝観料:大人500円、中高大生400円、
小人300円/9:00~16:00/無休
075・871・5016
※阪急松尾駅下車すぐ
○兵庫県
・神戸市立森林植物園
国内でも有数の名所と称賛されるだけあって、幻の花と呼ばれる「シチダンカ」や、華やかなてまり咲きの「西洋アジサイ」など約5万株ものアジサイが楽しめる。また、こうした数多くの品種の中でも、六甲山の酸性土が育むヒメアジサイは"六甲ブルー"と呼ばれ名高い。6月16日からの「森の中のあじさい散策」ではフリーハイキングや自然観察といった多彩なイベントが開催されるので、参加してみよう。
大人300円、小中生150円/
9:00~17:00 (6月16日~7月15日は8:00~、土・日曜は8:00~18:00。入園は閉園の30分前まで)/
水曜休(祝日の場合は開園、翌日休。6月16日~7月15日は無休)
078・591・0253
※神戸高速線・新開地駅から神戸電鉄のりかえ北鈴蘭台駅下車後、無料送迎バスあり、または阪急三宮駅から市バスのりかえ森林植物園前停下車すぐ
◎無料送迎バスは本数が少ないのでご注意ください。
◎市バスの運行は土・日曜・祝日のみ。
詳しくは神戸市バス(078・321・0484)へ お問い合わせください。
◆「森の中のあじさい散策」
6月16日~7月15日
・頼光寺
住職たちが手塩にかけて育てた、約500株ものアジサイが境内を包む。雨に濡れて輝く葉と濃淡のアジサイの花が、まるで水彩画のような景色を作り出す。
境内自由(夜間は照明がなく観賞不可)/無休
072・794・1165
※阪急川西能勢口駅から能勢電鉄のりかえ畦野駅下車 北西へ500m
・大阪府民の森ぬかた園地「あじさいまつり」
生駒山頂近くにある大阪府民の森のぬかた園地で、「あじさいまつり」が開催されます。府内随一の規模を誇る園内には1500mの遊歩道があり、30種2万5000株以上のアジサイが植えられています。見頃にあわせあじさいハイキングが行われるほか、森のオープンカフェも登場します。
催場所:大阪府民の森ぬかた園地
所在地〒579-8022大阪府東大阪市山手町
交通アクセス:近鉄奈良線「生駒駅」から近鉄生駒ケーブル「鳥居前駅」~「生駒山上駅」~ハイキングコース徒歩20分、または近鉄奈良線「額田駅」からハイキングコース徒歩80分
開催期間:2012年6月23日~7月8日
あじさいハイキング/7月1日(1か月前より申込受付)、森のオープンカフェ/6月24日、7月1日、8日 .イベント料金あじさいハイキング/500円 .問合せ先一般財団法人 大阪府みどり公社 06-6266-1038(平日9:00~17:00)
http://osaka-midori.jp/mori/
・長居植物園アジサイ
長居植物園には、面積3800平方mの山奥の谷をイメージした両斜面渓流のアジサイ園があります。アジサイは約30種類、6200株の青白色から薄紅、濃紫、藍色と各種あり、梅雨時に大型の花を咲かせます。
開催場所:大阪市立長居植物園
所在地〒546-0034大阪府大阪市東住吉区長居公園1-23
交通アクセス地下鉄御堂筋線「長居駅」3号出口から東へ徒歩10分
開催期間2012年5月下旬~6月下旬9:30~17:00(入園は16:30まで)※休園日は毎週月曜(休日の場合は翌日)
イベント料金入園料が必要/大人200円、中学生以下・65歳以上(大阪市在住の方・証明書提示)・障害者の方は無料(証明書提示)
問合せ先大阪市立長居植物園06-6696-7117、長居パークセンター 06-6694-9007
http://www.nagai-park.jp/n-syoku/
・万博公園あじさい祭
自然文化園・あじさいの森、桜の流れでは星型のガクが特徴の「シチダンカ」、花色が次第に白から紅へと染まる「ベニガク」、その他「セイヨウアジサイ」、「ガクアジサイ」、「アマチャ」など約30品種約4500株が色とりどりに咲きほこります。9日から17日(予定)まで、あじさいを題材にした俳句が募集され、入選句は22日から「あじさいの森」「桜の流れ」にて紹介される予定です。
開催場所:万博記念公園自然文化園あじさいの森、桜の流れ
所在地:〒565-0826大阪府吹田市千里万博公園
交通アクセス:大阪モノレール「万博記念公園駅」からすぐ、またはJR京都線「茨木駅」からバス「日本庭園前」すぐ .開催期間2012年6月9日~7月1日
9:30~17:00(入園は閉園30分前まで)※休園日は毎週水曜
イベント料金入園料が必要/大人250円、中小生70円 .主催独立行政法人 日本万国博覧会記念機構
問合せ先:万博公園総合案内所06-6877-7387
http://www.expo70.or.jp/
○京都府
・柳谷観音あじさいまつり
柳谷観音(楊谷寺)では、6月下旬から7月上旬にあじさいが見頃を迎えます。毎年6月下旬に、2日間にわたって「あじさいまつり」が開催され、お茶席が設けられます。日本古来の和あじさいをはじめ新しい品種も年々増え、あるがままの自然な形で、色とりどりのあじさいが楽しめます。また、奥ノ院にいたる参道には「あじさいのみち」が整備され、27種4500株のあじさいで彩られます。※JR長岡京駅前から山門までシャトルバス運行(片道200円)
所在地:〒617-0855京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2
交通アクセス:JR京都線「長岡京駅」からタクシー約15分
開催期間:2012年6月23日~24日10:00~15:30
イベント料金:入山無料
問合せ先:長岡京市観光協会075-951-4500
http://yanagidani.jp/
・三千院あじさい祭
三千院のアジサイが見頃を迎え、ホシアジサイやヤマアジサイをはじめ様々な種類約3000株以上があじさい苑を華やかに彩ります。「あじさい祭」の初日には、午前11時より金色不動堂において降魔折伏の大般若転読会法要が、午後1時30分より金色不動堂前広場において炎と煙による息災祈願の採灯大護摩供法要が執り行われます。
開催場所:三千院門跡金色不動堂
所在地:〒601-1242京都府京都市左京区大原来迎院町540
交通アクセス:地下鉄烏丸線「国際会館駅」から京都バス「大原」~徒歩10分、またはJR「京都駅」から京都バス「大原」~徒歩10分
開催期間:2012年6月10日~7月9日【6月10日】大般若転読会法要/11:00、採灯大護摩供法要/13:30
イベント料金:拝観有料
問合せ先:三千院075-744-2531
http://www.sanzenin.or.jp/guide/guide_05.html
・松尾大社
松尾大社の後方山手にある磐座(いわくら)へと続く坂に「あじさい苑」がある。山の冷気を纏(まと)い、斜面を覆うように咲く約1,000株のアジサイは、どこか神秘的な美しさ。
庭園拝観料:大人500円、中高大生400円、
小人300円/9:00~16:00/無休
075・871・5016
※阪急松尾駅下車すぐ
○兵庫県
・神戸市立森林植物園
国内でも有数の名所と称賛されるだけあって、幻の花と呼ばれる「シチダンカ」や、華やかなてまり咲きの「西洋アジサイ」など約5万株ものアジサイが楽しめる。また、こうした数多くの品種の中でも、六甲山の酸性土が育むヒメアジサイは"六甲ブルー"と呼ばれ名高い。6月16日からの「森の中のあじさい散策」ではフリーハイキングや自然観察といった多彩なイベントが開催されるので、参加してみよう。
大人300円、小中生150円/
9:00~17:00 (6月16日~7月15日は8:00~、土・日曜は8:00~18:00。入園は閉園の30分前まで)/
水曜休(祝日の場合は開園、翌日休。6月16日~7月15日は無休)
078・591・0253
※神戸高速線・新開地駅から神戸電鉄のりかえ北鈴蘭台駅下車後、無料送迎バスあり、または阪急三宮駅から市バスのりかえ森林植物園前停下車すぐ
◎無料送迎バスは本数が少ないのでご注意ください。
◎市バスの運行は土・日曜・祝日のみ。
詳しくは神戸市バス(078・321・0484)へ お問い合わせください。
◆「森の中のあじさい散策」
6月16日~7月15日
・頼光寺
住職たちが手塩にかけて育てた、約500株ものアジサイが境内を包む。雨に濡れて輝く葉と濃淡のアジサイの花が、まるで水彩画のような景色を作り出す。
境内自由(夜間は照明がなく観賞不可)/無休
072・794・1165
※阪急川西能勢口駅から能勢電鉄のりかえ畦野駅下車 北西へ500m
2012年6月3日日曜日
関西の花火大会2012
○大阪府
・天神祭奉納花火
開催日:2012年7月25日(水)
場所:大阪市北区天満橋
今年の天神祭の日程を書き込みます。日本三大祭の一つに数えられる「天神祭」は千余年の歴史を誇る大阪の夏の風物詩です。25日の本宮で行われる御鳳輦(ごほうれん)船が100隻もの船を従えて大川を行き交う「船渡御」は圧巻で、祭最大の見どころとなっており、毎年100万人以上の人出で賑わいます。フィナーレの奉納花火(荒天中止)では、都心の夜空を打ち上げ花火が彩ります。
※7月25日の奉納花火へは、桜ノ宮駅は大変混雑しますので京橋駅をご利用ください(京橋駅~桜宮橋は徒歩約15分)。
いつもどおりですが、7月24日宵宮、25日本宮です。
開催場所: 大阪市川崎公園大川一帯、桜の宮公園グラウンド
・第57回辯天宗夏祭奉納花火大会
開催日:2012年8月8日(水)
場所:〒567-0073大阪府茨木市西穂積町7-41(飛龍山冥應寺(辯天宗本部))
・第64回猪名川花火大会
開催日:2012年8月18日(土)
場所:猪名川河川敷(大阪府池田市桃園1丁目・2丁目、兵庫県川西市小花2丁目・下加茂1丁目)
最寄駅:JR福知山線川西池田駅から徒歩10分、阪急宝塚本線池田駅から徒歩約10分
・第64回猪名川花火大会開催日:2012年8月18日(土) 19時20分~20時20分
場所:猪名川河川敷(大阪府池田市桃園1丁目・2丁目、兵庫県川西市小花2丁目・下加茂1丁目)
最寄駅:JR福知山線川西池田駅から徒歩10分、阪急宝塚本線池田駅から徒歩約10分
川西市・池田市両市で約10万人の人出が予想され、計約4000発を打ち上げる。事前の場所取りは禁止されている。
・なにわ淀川花火大会
開催日:2012年8月4日(土)PM7:50~PM8:40(予定)※雨天決行、荒天の時は翌日に順延
場所:〒532-0025大阪府大阪市淀川区新北野(淀川河川敷(国道2号線から新御堂筋淀川鉄橋間))
毎年約50万人以上もの人が訪れる花火大会で、淀川を舞台に迫力のある花火が打ち上げられます。2012年は「打ち上げよう 日本の元気は大阪から!」をメインテーマとした構成で、大玉100連発を含んだ大スターマインが打ち上げられます。ラストを飾る「空中ナイアガラ」も圧巻です。
・PL花火大会
開催日:2012年8月1日(水)
場所:〒584-0025
大阪府富田林市若松町西1丁目1900番地
世界の人々の平和と安寧を祈念する花火芸術。打ち上げ総数は2万5000発と、関西最大級の規模を誇る。花火の種類や演出も実に多彩。色鮮やかなスターマインが空を照らし、華やかな光の芸術が繰り広げられる。関西の大会では数少ない尺玉が複数の場所から同時に打ち出される様は圧巻だ。8000発もの花火が一気に打ち上げられるというラストは、まばゆい光が轟音とともに出現! あたりを真昼のごとく輝かせ、壮大な物語は終わりを告げる─。
・岸和田港まつり花火大会
日時:2012年7月28日(土曜日)(※荒天時は中止)午後8時から9時
場所:大阪府岸和田市地蔵浜町
問い合わせ先:岸和田港湾振興協会 072-423-9618、大会当日(市役所代表) 072-423-2121
主催者:岸和田港振興協会、岸和田市
アクセス:南海「岸和田駅」から徒歩30分
岸和田港周辺の地蔵浜町で開催される花火大会。直径280mもの「千輪菊」や10分間に250連発されるスターマインなど約1500発の花火が楽しめます(花火の内容については予定です)。
○兵庫県
・第34回姫路みなと祭海上花火大会
開催日:2012年7月28日(土)
場所:姫路市
観覧場所(席なし)からわずか300mの台船から打上げられる花火は迫力満点。種類豊富に趣向を凝らした花火が豪快に炸裂する様は圧巻。他ではなかなか見られない尺玉(10号玉)も打ち上げられる予定。会場周辺は全面駐車禁止のため、公共交通機関の利用を。
・宝塚観光花火大会~99年目の夏“輝き”~
開催日:2012年8月3日(金)・4日(土)予定
場所:宝塚市(武庫川観光ダム付近一帯)
全体にテーマをもたせ、オリジナルイメージ音楽による完璧なシンクロ演出で夏の夜を彩る。2012年は1913年(大正2年)の第1回から99年目にあたり、テーマを「心に咲く花火の競演”いのちの輝き”~えがお・なみだ・きぼう・きずな~」と題して花火と音楽の競演を展開する。また今年も福島県須賀川市の花火大会支援を行う。
・第42回みなとこうべ海上花火大会
開催日:2012年8月4日(土)
場所:兵庫県神戸市中央区波止場町
神戸港の夜景とともに楽しみたい。異国情緒と合わせて毎夏、繰り広げられる手の込んだ演出に酔いしれたい。打ち上げ場所が目の前に広がるサポーター協賛席も開設。
・第65回淡路島まつり花火大会
開催日:2012年8月5日(日) (※荒天時は翌日順延)
場所:洲本港、大浜海岸周辺
・絆つながれ! 第41回加古川まつり花火大会
開催日:2012年8月5日(日)
場所:兵庫県加古川市加古川町河原加古川河川敷緑地
河川の中央から花火を打ち上げるため、周囲にさえぎるものがほとんどなく、360度どの角度からも見物できる。
・第34回芦屋サマーカーニバル2012 Ashiya Dancing Fireworks Show
開催日:2012年7月21日(土)※縁日は13時~
場所:芦屋市総合公園 潮芦屋ビーチ
2012年で第34回を迎える芦屋の夏の風物詩。日中から打ち上げ直前まで、市民・ラジオ関西によるステージやイベント、約130店舗の縁日で楽しむことができる。フィナーレを飾る花火ショーは「縁結び」をテーマに、世界一の花火アーティストが最先端のシステムを駆使し、ボーカル音楽に合わせてロマンティックな恋模様を描く、一夜限りのエンターテインメントショー。大切な人への思いを伝えるメッセージ花火も募集している。ビーチ打上げならではの、至近距離の花火は迫力満点だ。
・第32回いたみ花火大会-「彩色の華美賛歌」-
開催日:2012年8月25日(土)
場所:兵庫県伊丹市口酒井(猪名川神津大橋南側河川敷(伊丹市口酒井字蔵ケ淵地先))
日本復活の願いをこめて、日本の国旗をイメージした花火『紅芯銀菊』を打ち上げ、ワシントンD.Cの桜(伊丹産)の寄贈から100周年を迎えた今年にちなんだ花火『桜』や『ピンクと白の千輪』で満開の桜の大木を表現。また、「希望の花・・・未来に向かって」では、明日に向かって『鳳凰』が飛び立ち、『舞の扇』、『蝶』がたわむれる。エンディングは音楽連動花火にはじまり、ラストは恒例、伊丹名物『黄金しだれ柳の重ね咲き』が楽しめる。
○京都府
・あやべ水無月まつり
開催日:2012年7月28日(土)
場所:綾部市川糸町由良川周辺(JR綾部駅から徒歩10分)
100年に及ぶ古都の夏祭り。川の中州から打ち上げられる4000発の花火は、すぐ目の前に打ち上げられ迫力満点。花火開始直前には、1万個の灯篭流し”万灯流し”が風情を醸し出す。高知よさこいと、350年の歴史をもつ綾部踊りをミックスした音楽で、自由に華やかに踊る”あやべ良さ来い”で、まつりはさらに大盛り上がりだ。
・第61回亀岡平和祭保津川花火大会
開催日:2012年8月7日(火)
場所:亀岡市
・第71回ドッコイセ福知山花火大会
開催日:2012年8月15日(水)
場所:福知山市
・第52回宇治川花火大会開催日:2012年8/10(金)19:45~20:45(予定)
場所:京都府宇治市(府立宇治公園中の島宇治川畔一帯、京阪宇治線宇治駅よりすぐ、JR奈良線宇治駅より徒歩10分)
宇治川を舞台に繰り広げられる「源氏ろまん」をテーマとした宇治ならではの花火大会。紫式部にちなんだ紫色のスターマインや、光源氏をイメージした黄金のスターマインなど、平安朝の雅な風情が上空に描かれる。フィナーレには1500発ものスターマインが乱舞し、優美な平安王朝の世界を演出する。
・天神祭奉納花火
開催日:2012年7月25日(水)
場所:大阪市北区天満橋
今年の天神祭の日程を書き込みます。日本三大祭の一つに数えられる「天神祭」は千余年の歴史を誇る大阪の夏の風物詩です。25日の本宮で行われる御鳳輦(ごほうれん)船が100隻もの船を従えて大川を行き交う「船渡御」は圧巻で、祭最大の見どころとなっており、毎年100万人以上の人出で賑わいます。フィナーレの奉納花火(荒天中止)では、都心の夜空を打ち上げ花火が彩ります。
※7月25日の奉納花火へは、桜ノ宮駅は大変混雑しますので京橋駅をご利用ください(京橋駅~桜宮橋は徒歩約15分)。
いつもどおりですが、7月24日宵宮、25日本宮です。
開催場所: 大阪市川崎公園大川一帯、桜の宮公園グラウンド
・第57回辯天宗夏祭奉納花火大会
開催日:2012年8月8日(水)
場所:〒567-0073大阪府茨木市西穂積町7-41(飛龍山冥應寺(辯天宗本部))
・第64回猪名川花火大会
開催日:2012年8月18日(土)
場所:猪名川河川敷(大阪府池田市桃園1丁目・2丁目、兵庫県川西市小花2丁目・下加茂1丁目)
最寄駅:JR福知山線川西池田駅から徒歩10分、阪急宝塚本線池田駅から徒歩約10分
・第64回猪名川花火大会開催日:2012年8月18日(土) 19時20分~20時20分
場所:猪名川河川敷(大阪府池田市桃園1丁目・2丁目、兵庫県川西市小花2丁目・下加茂1丁目)
最寄駅:JR福知山線川西池田駅から徒歩10分、阪急宝塚本線池田駅から徒歩約10分
川西市・池田市両市で約10万人の人出が予想され、計約4000発を打ち上げる。事前の場所取りは禁止されている。
・なにわ淀川花火大会
開催日:2012年8月4日(土)PM7:50~PM8:40(予定)※雨天決行、荒天の時は翌日に順延
場所:〒532-0025大阪府大阪市淀川区新北野(淀川河川敷(国道2号線から新御堂筋淀川鉄橋間))
毎年約50万人以上もの人が訪れる花火大会で、淀川を舞台に迫力のある花火が打ち上げられます。2012年は「打ち上げよう 日本の元気は大阪から!」をメインテーマとした構成で、大玉100連発を含んだ大スターマインが打ち上げられます。ラストを飾る「空中ナイアガラ」も圧巻です。
・PL花火大会
開催日:2012年8月1日(水)
場所:〒584-0025
大阪府富田林市若松町西1丁目1900番地
世界の人々の平和と安寧を祈念する花火芸術。打ち上げ総数は2万5000発と、関西最大級の規模を誇る。花火の種類や演出も実に多彩。色鮮やかなスターマインが空を照らし、華やかな光の芸術が繰り広げられる。関西の大会では数少ない尺玉が複数の場所から同時に打ち出される様は圧巻だ。8000発もの花火が一気に打ち上げられるというラストは、まばゆい光が轟音とともに出現! あたりを真昼のごとく輝かせ、壮大な物語は終わりを告げる─。
・岸和田港まつり花火大会
日時:2012年7月28日(土曜日)(※荒天時は中止)午後8時から9時
場所:大阪府岸和田市地蔵浜町
問い合わせ先:岸和田港湾振興協会 072-423-9618、大会当日(市役所代表) 072-423-2121
主催者:岸和田港振興協会、岸和田市
アクセス:南海「岸和田駅」から徒歩30分
岸和田港周辺の地蔵浜町で開催される花火大会。直径280mもの「千輪菊」や10分間に250連発されるスターマインなど約1500発の花火が楽しめます(花火の内容については予定です)。
○兵庫県
・第34回姫路みなと祭海上花火大会
開催日:2012年7月28日(土)
場所:姫路市
観覧場所(席なし)からわずか300mの台船から打上げられる花火は迫力満点。種類豊富に趣向を凝らした花火が豪快に炸裂する様は圧巻。他ではなかなか見られない尺玉(10号玉)も打ち上げられる予定。会場周辺は全面駐車禁止のため、公共交通機関の利用を。
・宝塚観光花火大会~99年目の夏“輝き”~
開催日:2012年8月3日(金)・4日(土)予定
場所:宝塚市(武庫川観光ダム付近一帯)
全体にテーマをもたせ、オリジナルイメージ音楽による完璧なシンクロ演出で夏の夜を彩る。2012年は1913年(大正2年)の第1回から99年目にあたり、テーマを「心に咲く花火の競演”いのちの輝き”~えがお・なみだ・きぼう・きずな~」と題して花火と音楽の競演を展開する。また今年も福島県須賀川市の花火大会支援を行う。
・第42回みなとこうべ海上花火大会
開催日:2012年8月4日(土)
場所:兵庫県神戸市中央区波止場町
神戸港の夜景とともに楽しみたい。異国情緒と合わせて毎夏、繰り広げられる手の込んだ演出に酔いしれたい。打ち上げ場所が目の前に広がるサポーター協賛席も開設。
・第65回淡路島まつり花火大会
開催日:2012年8月5日(日) (※荒天時は翌日順延)
場所:洲本港、大浜海岸周辺
・絆つながれ! 第41回加古川まつり花火大会
開催日:2012年8月5日(日)
場所:兵庫県加古川市加古川町河原加古川河川敷緑地
河川の中央から花火を打ち上げるため、周囲にさえぎるものがほとんどなく、360度どの角度からも見物できる。
・第34回芦屋サマーカーニバル2012 Ashiya Dancing Fireworks Show
開催日:2012年7月21日(土)※縁日は13時~
場所:芦屋市総合公園 潮芦屋ビーチ
2012年で第34回を迎える芦屋の夏の風物詩。日中から打ち上げ直前まで、市民・ラジオ関西によるステージやイベント、約130店舗の縁日で楽しむことができる。フィナーレを飾る花火ショーは「縁結び」をテーマに、世界一の花火アーティストが最先端のシステムを駆使し、ボーカル音楽に合わせてロマンティックな恋模様を描く、一夜限りのエンターテインメントショー。大切な人への思いを伝えるメッセージ花火も募集している。ビーチ打上げならではの、至近距離の花火は迫力満点だ。
・第32回いたみ花火大会-「彩色の華美賛歌」-
開催日:2012年8月25日(土)
場所:兵庫県伊丹市口酒井(猪名川神津大橋南側河川敷(伊丹市口酒井字蔵ケ淵地先))
日本復活の願いをこめて、日本の国旗をイメージした花火『紅芯銀菊』を打ち上げ、ワシントンD.Cの桜(伊丹産)の寄贈から100周年を迎えた今年にちなんだ花火『桜』や『ピンクと白の千輪』で満開の桜の大木を表現。また、「希望の花・・・未来に向かって」では、明日に向かって『鳳凰』が飛び立ち、『舞の扇』、『蝶』がたわむれる。エンディングは音楽連動花火にはじまり、ラストは恒例、伊丹名物『黄金しだれ柳の重ね咲き』が楽しめる。
○京都府
・あやべ水無月まつり
開催日:2012年7月28日(土)
場所:綾部市川糸町由良川周辺(JR綾部駅から徒歩10分)
100年に及ぶ古都の夏祭り。川の中州から打ち上げられる4000発の花火は、すぐ目の前に打ち上げられ迫力満点。花火開始直前には、1万個の灯篭流し”万灯流し”が風情を醸し出す。高知よさこいと、350年の歴史をもつ綾部踊りをミックスした音楽で、自由に華やかに踊る”あやべ良さ来い”で、まつりはさらに大盛り上がりだ。
・第61回亀岡平和祭保津川花火大会
開催日:2012年8月7日(火)
場所:亀岡市
・第71回ドッコイセ福知山花火大会
開催日:2012年8月15日(水)
場所:福知山市
・第52回宇治川花火大会開催日:2012年8/10(金)19:45~20:45(予定)
場所:京都府宇治市(府立宇治公園中の島宇治川畔一帯、京阪宇治線宇治駅よりすぐ、JR奈良線宇治駅より徒歩10分)
宇治川を舞台に繰り広げられる「源氏ろまん」をテーマとした宇治ならではの花火大会。紫式部にちなんだ紫色のスターマインや、光源氏をイメージした黄金のスターマインなど、平安朝の雅な風情が上空に描かれる。フィナーレには1500発ものスターマインが乱舞し、優美な平安王朝の世界を演出する。
西河原公園のホタル
西河原公園において平成24年度のホタル鑑賞会を、下記のとおり開催します。
日時平成24年6月8日(金)から6月10日(日)時間:午後7時30分から午後9時まで(雨天の場合は中止します。)
開催場所:西河原公園(国道171号より南側の園内水路沿い)
内容:開催場所の公園灯を消して足下照明を設置し、水路沿いに生息するゲンジボタルを鑑賞します。
日時平成24年6月8日(金)から6月10日(日)時間:午後7時30分から午後9時まで(雨天の場合は中止します。)
開催場所:西河原公園(国道171号より南側の園内水路沿い)
内容:開催場所の公園灯を消して足下照明を設置し、水路沿いに生息するゲンジボタルを鑑賞します。