今年1年ありがとうございます。
写真の整理がうまく言ってない関係であまり投稿できませんでしたが来年もよろしくお願いします。
2011年12月31日土曜日
2011年12月7日水曜日
靱公園
靱公園は、大阪府大阪市西区靱本町にある公園。四つ橋筋からなにわ筋を越えてあみだ池筋に至るまでの東西に細長い敷地を持つ。
○概要
面積: 9.7ha
開園: 1955年10月21日
かつての大坂随一の魚市場、雑喉場魚市場(ざこばうおいちば)および靱塩干魚市場の跡地にあたる。雑喉場魚市場は大阪湾などからの鮮魚を一手に扱い繁盛し、海部堀川(第二次大戦後埋め立て)沿いの靱塩干魚市場は干物や肥料にする干鰯などの海産物を全国から集めていたが、1931年の大阪市中央卸売市場の開場後に両方とも閉鎖され、大阪大空襲で廃墟となった。戦後、約3万坪が占領軍に接収され、占領軍の常用飛行場、靱飛行場となった。1952年の講和条約発効をもって大阪市に返還され、靱公園として整備された。東西に細長い形をしているのは滑走路跡地であることによる。大きな木が多数植わっており、都会のオアシスである。また、公園西側の大部分を占める靱テニスセンターでは、世界スーパージュニアテニス選手権大会など国際的な大会も行われている。かつては靱蹴球場というサッカー専用グラウンドがあったが、テニスコートの拡大に伴い、現在は閉鎖されている。公園周辺は、1990年代後半から衣料店やカフェ、レストラン、パン屋や洋菓子店などが目立つようになり、ファッショナブルな街へと変貌する途上にある。公園東部では、公園が街路ではなく直接京町堀通り南側ビル群の裏側に接しているため公園に直接面したカフェやバーが出店したり、ばら園では屋外結婚式が行われるなど、大都会ならではの雰囲気となっている。靱公園の中央、なにわ筋沿いに楠永神社があり、大きなクスノキが目立つ。ここは古くからの神社でかつて海部堀川が横を流れており、靱市場の数少ない名残である。クスノキは戦後、飛行場建設の際に伐採されようとしたが、けが人やブルドーザーの故障が相次いだ。お祓いの際に神社の建物から白い蛇が出てきたことから「この木は神木なので切ってはいけない」という話になり今に残っている。2007年頃までは公園内にホームレスがブルーシート等を資材としてテント・小屋掛けをしていたり、公園東部の林の中では若者や家族連れがバーベキューをしたりしていたが、公園管理者による管理徹底によりこれらの行為は最近ではあまり見られない。
○主要な施設
大阪科学技術センター(隣接)
大阪科学技術館
靱テニスセンター
ハードコート(公園西部)
センターコート1面(観客席5000人)
サブ センターコート1面(観客席500人)
一般コート14面
アンツーカコート(公園東部の科学技術館横)
4面
靱卓球場
バラ園
結婚式場・レストラン(靱テニスセンターB1F)
○定例イベント
靱公園バラ祭(5月中旬)
バラ園中央で屋外コンサートなどが行われる
花と彫刻展(10月中旬~下旬)
バラ園、ケヤキ並木沿いに彫刻が展示される
植木市(随時)
四つ橋筋側の出口付近など
○アクセス
大阪市営地下鉄四つ橋線 本町駅
大阪市営地下鉄中央線・大阪市営地下鉄千日前線 阿波座駅
○概要
面積: 9.7ha
開園: 1955年10月21日
かつての大坂随一の魚市場、雑喉場魚市場(ざこばうおいちば)および靱塩干魚市場の跡地にあたる。雑喉場魚市場は大阪湾などからの鮮魚を一手に扱い繁盛し、海部堀川(第二次大戦後埋め立て)沿いの靱塩干魚市場は干物や肥料にする干鰯などの海産物を全国から集めていたが、1931年の大阪市中央卸売市場の開場後に両方とも閉鎖され、大阪大空襲で廃墟となった。戦後、約3万坪が占領軍に接収され、占領軍の常用飛行場、靱飛行場となった。1952年の講和条約発効をもって大阪市に返還され、靱公園として整備された。東西に細長い形をしているのは滑走路跡地であることによる。大きな木が多数植わっており、都会のオアシスである。また、公園西側の大部分を占める靱テニスセンターでは、世界スーパージュニアテニス選手権大会など国際的な大会も行われている。かつては靱蹴球場というサッカー専用グラウンドがあったが、テニスコートの拡大に伴い、現在は閉鎖されている。公園周辺は、1990年代後半から衣料店やカフェ、レストラン、パン屋や洋菓子店などが目立つようになり、ファッショナブルな街へと変貌する途上にある。公園東部では、公園が街路ではなく直接京町堀通り南側ビル群の裏側に接しているため公園に直接面したカフェやバーが出店したり、ばら園では屋外結婚式が行われるなど、大都会ならではの雰囲気となっている。靱公園の中央、なにわ筋沿いに楠永神社があり、大きなクスノキが目立つ。ここは古くからの神社でかつて海部堀川が横を流れており、靱市場の数少ない名残である。クスノキは戦後、飛行場建設の際に伐採されようとしたが、けが人やブルドーザーの故障が相次いだ。お祓いの際に神社の建物から白い蛇が出てきたことから「この木は神木なので切ってはいけない」という話になり今に残っている。2007年頃までは公園内にホームレスがブルーシート等を資材としてテント・小屋掛けをしていたり、公園東部の林の中では若者や家族連れがバーベキューをしたりしていたが、公園管理者による管理徹底によりこれらの行為は最近ではあまり見られない。
○主要な施設
大阪科学技術センター(隣接)
大阪科学技術館
靱テニスセンター
ハードコート(公園西部)
センターコート1面(観客席5000人)
サブ センターコート1面(観客席500人)
一般コート14面
アンツーカコート(公園東部の科学技術館横)
4面
靱卓球場
バラ園
結婚式場・レストラン(靱テニスセンターB1F)
○定例イベント
靱公園バラ祭(5月中旬)
バラ園中央で屋外コンサートなどが行われる
花と彫刻展(10月中旬~下旬)
バラ園、ケヤキ並木沿いに彫刻が展示される
植木市(随時)
四つ橋筋側の出口付近など
○アクセス
大阪市営地下鉄四つ橋線 本町駅
大阪市営地下鉄中央線・大阪市営地下鉄千日前線 阿波座駅
もみじの足湯
「もみじの足湯」は、2011年3月27日(日)、阪急箕面駅にオープン(運営:阪急電鉄株式会社)。滝道散策の帰り道や駅前周辺での買い物途中など、誰でも気軽に利用できます。 1回の入浴は、特製のオリジナルタオル付きで150円。売り上げの一部は、箕面のもみじ保全のために寄付され、観光・地域振興及び社会貢献に役立てられます。また、大分県の由布院駅、京都府の嵐山駅と足湯三姉妹提携が締結されます。箕面の交通と観光の中心地である阪急箕面駅で、足の疲れを癒しながら、一緒に入浴した人と会話を楽しんだり、市内を巡る計画を立てたりと、ぜひご利用ください。
場所:箕面市箕面1-1-1(阪急箕面駅前)
場所:箕面市箕面1-1-1(阪急箕面駅前)
長居公園
長居公園は、大阪市東住吉区にある総合公園である。ここは1928年に一旦公園として整備されることが計画されていたが、太平洋戦争の影響で整備が一旦中断した。その後競馬場、競輪場が設置されたが、廃止された1959年から本格的な都市公園として整備されるようになり、スポーツと自然が共有する総合公園としてリニューアルされた。1997年に国民体育大会(なみはや国体)が開催された。
○競馬場、競輪場について
長居公園が整備される以前の戦後初期、当地には競馬場と競輪場が設置されていた。競馬場は別称を「大阪競馬場」といい、1948年に大阪府と大阪市などの市町村が中心となって設立した「大阪府都市競馬組合」が交互に主催して、戦災復興を目指して競馬(現在の地方競馬相当)の競走を開催していた。また競輪場は別称を「大阪中央競輪場」といい、1950年に大阪市営でオープンし、特別競輪などのビッグレースも開催し、売り上げ・入場者数ともに関西地区の競輪場のトップを記録するなど、大阪住之江競輪場や、岸和田競輪場と並ぶ、大阪府の競輪の主要会場として長らく使われた。しかし、競馬については競輪に客足を奪われた事による売り上げ低下によって1959年に廃止され、一方の競輪についても、盛況を保ちながらも当地を都市公園として整備していく再開発が決定したことから、1962年をもって廃止された。
○施設紹介
陸上競技場(長居スタジアム)、第2陸上競技場(共に日本陸連第1種公認)
キンチョウスタジアム(長居球技場)
長居庭球場
相撲場
障害者スポーツセンター
軟式野球場
長距離走路
自然史博物館
長居植物園
郷土の森
大阪市立長居ユースホステル(陸上競技場内)
長居プール(屋内・屋外)※屋外は夏季のみ営業
○駐車場・駐輪場
長居公園地下駐車場
長居公園中央駐車場(大型バス・身体障害者専用 12月29日~1月3日は休業)
長居公園南駐車場(土・日・祝とサッカー開催日のみ営業)
長居公園北西駐車場(Jリーグなどのイベント開催時のみ営業)
大阪市長居駅地下自転車駐車場
大阪市立駐輪場長居駅東有料自転車駐車場(大阪市長居自転車保管所)
○最寄の鉄道駅
鶴ケ丘駅(阪和線)
長居駅(阪和線・大阪市営地下鉄御堂筋線)
セレッソ大阪の試合が行われる場合、長居スタジアム・キンチョウスタジアムでの開催時は鶴ケ丘駅、長居第2競技場での開催時は長居駅を利用した方が近い。
○所在地
大阪府大阪市東住吉区長居公園
○競馬場、競輪場について
長居公園が整備される以前の戦後初期、当地には競馬場と競輪場が設置されていた。競馬場は別称を「大阪競馬場」といい、1948年に大阪府と大阪市などの市町村が中心となって設立した「大阪府都市競馬組合」が交互に主催して、戦災復興を目指して競馬(現在の地方競馬相当)の競走を開催していた。また競輪場は別称を「大阪中央競輪場」といい、1950年に大阪市営でオープンし、特別競輪などのビッグレースも開催し、売り上げ・入場者数ともに関西地区の競輪場のトップを記録するなど、大阪住之江競輪場や、岸和田競輪場と並ぶ、大阪府の競輪の主要会場として長らく使われた。しかし、競馬については競輪に客足を奪われた事による売り上げ低下によって1959年に廃止され、一方の競輪についても、盛況を保ちながらも当地を都市公園として整備していく再開発が決定したことから、1962年をもって廃止された。
○施設紹介
陸上競技場(長居スタジアム)、第2陸上競技場(共に日本陸連第1種公認)
キンチョウスタジアム(長居球技場)
長居庭球場
相撲場
障害者スポーツセンター
軟式野球場
長距離走路
自然史博物館
長居植物園
郷土の森
大阪市立長居ユースホステル(陸上競技場内)
長居プール(屋内・屋外)※屋外は夏季のみ営業
○駐車場・駐輪場
長居公園地下駐車場
長居公園中央駐車場(大型バス・身体障害者専用 12月29日~1月3日は休業)
長居公園南駐車場(土・日・祝とサッカー開催日のみ営業)
長居公園北西駐車場(Jリーグなどのイベント開催時のみ営業)
大阪市長居駅地下自転車駐車場
大阪市立駐輪場長居駅東有料自転車駐車場(大阪市長居自転車保管所)
○最寄の鉄道駅
鶴ケ丘駅(阪和線)
長居駅(阪和線・大阪市営地下鉄御堂筋線)
セレッソ大阪の試合が行われる場合、長居スタジアム・キンチョウスタジアムでの開催時は鶴ケ丘駅、長居第2競技場での開催時は長居駅を利用した方が近い。
○所在地
大阪府大阪市東住吉区長居公園
初田古墳
桑原の西南方、安威、西山の丘陵の舌状台地の中央に一基単独に存在する古墳である。地籍は西山であるが、西山は相当広い範囲であるので、古墳の見下ろす水田地帯の名を冠する事にした。墳形は正確ではないが、径一四米、高さ2.5米位の方形墳ではないかと見ている。主体部はすでに破壊されて凹所となって存する。墳形立地と共にこの遺跡一面白いのは、古墳の東方五〇米位の地点は墳多く散布する箇所が存することある。古墳との直接関係は今後の開査を待たればならないが、他にいかなる遺跡もなく、この小台地上に近接して存する両者は全く無関係の遺跡中とは考えられない。ここに見られる墳は、昭和九年に阿武山の頂上で発見された阿武山古墳に使用されていたものに近い形状を示するのを中に合んでいる。完形品がないので正確には云えないが、大きさは現代の練瓦の四倍位のものと、それを縦に半切にしたものがあるようで、多くは無紋だが、中には片面に大型須恵器の内面に見られな同心円の敲打文のあるものや、蛇目形の窯印のようなものの存するものがある。焼成は須恵質で中には黒色の自然釉の出ているものとある。またこれ等の墳は一部、或は全体に二次的に火をうけた跡が認められるが、これは当遺跡の性質を考えるのに重要な手懸りとなるもので、火葬の遺跡ではないかと考えられている。火葬にした遺骨を古墳の石室内に納めることは古墳の終末期に於ては時に見られる現象である。この遺跡の東南、字初田の畑地の中に一ケ所大石の集積された地点があるが、恐らぐ横穴式石室の破壊された跡と思われる。姓氏録にとると、桑原史の名が見えているが、この地に土着した帰化人と思われ、これらの古墳も恐らく彼等のおくつきととして営まれたものであったであろう。
所在地:茨木市山手台(もともとは茨木市安威のあたりにあったらしいがこの場所に移転したらしい)
所在地:茨木市山手台(もともとは茨木市安威のあたりにあったらしいがこの場所に移転したらしい)
一乗院
○歴史
神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により建立された若王寺の塔頭の一つで、行基菩薩の開基。 天正元年(1573)織田信長の兵火にかかり焼失。寛永15年(1638)に秀英より再興され、天保5年(1834)に快竜により復興。
○石田三成軍旗塚
昭和36年12月建立。石田三成の遺児千代丸が遺臣や乳母に軍旗に包まれてこの里に落ち延び、享和元年(1801年)に末商・大和屋彦兵衛がこの軍旗を菩提寺の一乗院に収めたという。
○文化財
木造雨宝童子立像 池田市指定文化財 彫刻第3号 (昭和53年10月31日指定) 鎌倉時代
木造聖観音立像 池田市指定文化財 彫刻第7号 (昭和53年10月31日指定) 平安時代
木造多聞天立像 池田市指定文化財 彫刻第8号 (昭和53年10月31日指定) 平安時代
木造春日竜神立像 池田市指定文化財 彫刻第10号(昭和53年10月31日指定) 室町時代
弘仁5年(814年)弘法大師が留錫し、本尊の聖観世音菩薩像、雨宝童子、春日竜神の3体を刻み、奉祀したと伝わる。
○交通アクセス
阪急宝塚本線「石橋駅」下車、阪急バスで「鉢塚」下車すぐ
○所在地
大阪府池田市鉢塚2-7-26
神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により建立された若王寺の塔頭の一つで、行基菩薩の開基。 天正元年(1573)織田信長の兵火にかかり焼失。寛永15年(1638)に秀英より再興され、天保5年(1834)に快竜により復興。
○石田三成軍旗塚
昭和36年12月建立。石田三成の遺児千代丸が遺臣や乳母に軍旗に包まれてこの里に落ち延び、享和元年(1801年)に末商・大和屋彦兵衛がこの軍旗を菩提寺の一乗院に収めたという。
○文化財
木造雨宝童子立像 池田市指定文化財 彫刻第3号 (昭和53年10月31日指定) 鎌倉時代
木造聖観音立像 池田市指定文化財 彫刻第7号 (昭和53年10月31日指定) 平安時代
木造多聞天立像 池田市指定文化財 彫刻第8号 (昭和53年10月31日指定) 平安時代
木造春日竜神立像 池田市指定文化財 彫刻第10号(昭和53年10月31日指定) 室町時代
弘仁5年(814年)弘法大師が留錫し、本尊の聖観世音菩薩像、雨宝童子、春日竜神の3体を刻み、奉祀したと伝わる。
○交通アクセス
阪急宝塚本線「石橋駅」下車、阪急バスで「鉢塚」下車すぐ
○所在地
大阪府池田市鉢塚2-7-26
大広寺
大広寺は大阪府池田市綾羽にある曹洞宗の仏教寺院。山号は塩増山。本尊は釈迦如来。代々池田城主の地方豪族池田氏の墓があるなど、古来より池田氏との関係は密接である。牡丹の名所。
○伽藍
本堂 - 元禄7年に当時の住職が再建した。
梵鐘 - 池田知正の弟・池田光重が兄の養子となった長男・三九郎を弔う為慶長14年(1609年)に寄進したと伝わる物。
池田知正と三九郎の五輪塔 - 梵鐘と同じく知正と三九郎を弔う為に作られた。
小林一三夫妻の墓 - 阪急電鉄創始者夫妻の墓
肖柏の墓碑 - 連歌師肖柏の墓碑
田中桐江の墓碑 - 呉江社創始者・儒学者の田中桐江の墓碑
○所在地・交通アクセス
大阪府池田市綾羽2-5-16
阪急宝塚本線 池田駅から阪急バス「大広寺」下車
○伽藍
本堂 - 元禄7年に当時の住職が再建した。
梵鐘 - 池田知正の弟・池田光重が兄の養子となった長男・三九郎を弔う為慶長14年(1609年)に寄進したと伝わる物。
池田知正と三九郎の五輪塔 - 梵鐘と同じく知正と三九郎を弔う為に作られた。
小林一三夫妻の墓 - 阪急電鉄創始者夫妻の墓
肖柏の墓碑 - 連歌師肖柏の墓碑
田中桐江の墓碑 - 呉江社創始者・儒学者の田中桐江の墓碑
○所在地・交通アクセス
大阪府池田市綾羽2-5-16
阪急宝塚本線 池田駅から阪急バス「大広寺」下車
久安寺
久安寺は大阪府池田市伏尾町にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は、大澤山。本尊は千手観音像(秘仏)。その他にも国重要文化財の阿弥陀如来坐像が安置されている。関西花の寺二十五霊場第十二番。
○歴史
久安寺の寺伝によれば、神亀2年(725年)に聖武天皇の勅願を受け、行基が開創し、天長年間(824年 - 833年)の頃に弘法大師が真言密教の道場として中興したと伝わる。久安元年(1145年)には近衛天皇の勅願により祈願所として中興され、賢実上人が境内の本堂などの伽藍を増築し、その頃から「久安寺」と称するようになった。また、中興された久安寺は地元・池田にあった安養院が前身となっている。安土桃山時代の頃、豊臣秀吉が参拝の際、月見茶会を開いたといわれ、江戸時代中期に歌人の平間長雅が移り住み、観音信仰の聖地として広く庶民に知れ渡った。現存する最古の建物は楼門であり、室町時代初期に再建され、その後江戸時代と明治時代に3回から4回にわたり修復された。間口が約5.4cmで奥行約3.6cm、和洋・唐用折衷様式で、前面開放された仏堂形式、入母屋造・瓦葺きの当時としては比較的高度な技術で作られている。本尊の千手観音像は秘仏とされており、そのほかにも阿弥陀如来坐像が鎮座されている。境内は紅葉の季節になると観光客が多数訪れる。
○伽藍
本堂 - 本尊の千手観音は後一条天皇の勅願で作られた。公開はされず、秘仏になっている。
御影堂 - 弘法大師を祀る。宝形作りで移築された物。
三十三所堂
阿弥陀堂 - 阿弥陀如来坐像を祀る。久安寺の前身、安養寺にあったもので、平安時代後期の作。日本国の重要文化財。
薬師堂
楼門 - 金剛力士像が祀られる。日本国の重要文化財。
○所在地・アクセス
大阪府池田市伏尾町697
阪急宝塚本線 池田駅から阪急バス乗車、「久安寺」下車
○歴史
久安寺の寺伝によれば、神亀2年(725年)に聖武天皇の勅願を受け、行基が開創し、天長年間(824年 - 833年)の頃に弘法大師が真言密教の道場として中興したと伝わる。久安元年(1145年)には近衛天皇の勅願により祈願所として中興され、賢実上人が境内の本堂などの伽藍を増築し、その頃から「久安寺」と称するようになった。また、中興された久安寺は地元・池田にあった安養院が前身となっている。安土桃山時代の頃、豊臣秀吉が参拝の際、月見茶会を開いたといわれ、江戸時代中期に歌人の平間長雅が移り住み、観音信仰の聖地として広く庶民に知れ渡った。現存する最古の建物は楼門であり、室町時代初期に再建され、その後江戸時代と明治時代に3回から4回にわたり修復された。間口が約5.4cmで奥行約3.6cm、和洋・唐用折衷様式で、前面開放された仏堂形式、入母屋造・瓦葺きの当時としては比較的高度な技術で作られている。本尊の千手観音像は秘仏とされており、そのほかにも阿弥陀如来坐像が鎮座されている。境内は紅葉の季節になると観光客が多数訪れる。
○伽藍
本堂 - 本尊の千手観音は後一条天皇の勅願で作られた。公開はされず、秘仏になっている。
御影堂 - 弘法大師を祀る。宝形作りで移築された物。
三十三所堂
阿弥陀堂 - 阿弥陀如来坐像を祀る。久安寺の前身、安養寺にあったもので、平安時代後期の作。日本国の重要文化財。
薬師堂
楼門 - 金剛力士像が祀られる。日本国の重要文化財。
○所在地・アクセス
大阪府池田市伏尾町697
阪急宝塚本線 池田駅から阪急バス乗車、「久安寺」下車
五社神社
五社神社は、大阪府池田市鉢塚に鎮座する神社。
○祭神
国常立尊
建速素盞鳴尊
五十猛尊
住吉大神
穴織大神
○歴史
聖武天皇の神亀元年(724年)、僧行基が多罹山若王寺を創建し、その鎮守社として建てられたと伝える。 鎌倉時代若王寺が真言宗に属し、社殿の背後の鉢塚古墳石室内に石造十三重塔を造立し、金剛界五仏を本地仏とし、五社大明神と号した。
天正元年(1573年)、織田信長の兵火で社寺ともに焼失した。
天正17年(1589年)、釈迦院の伝誉上人が再建。
明治初年の神仏分離で五社神社に改める。
明治5年村社に列す。
明治40年6月17日、南垣内の無格社素盞鳴神社・戀の山の無格社八幡神社を合祀。
○文化財
五社神社十三重塔(石造) 国の重要文化財(昭和34年6月27年指定) 室町時代前期
高さ5mほどで、基礎は半ば土に埋もれているが、一面を2区に分けて、格狭間を表し、塔身は薄く彫り沈めた月輪の中に金剛界四仏の種子を配している。この地に熊野信仰が行われた際の造立。昭和10年(1935年)10月14日重要美術品に認定され、昭和34年(1959年)に国の重要文化財に指定された。
鉢塚古墳上部所在経塚出土品 池田市指定文化財 考古資料第2号(昭和53年10月31日指定)鎌倉時代
○交通アクセス
阪急宝塚本線池田駅から、南東徒歩20分
○所在地
大阪府池田市鉢塚2丁目4-28
○例祭:10月13日
○祭神
国常立尊
建速素盞鳴尊
五十猛尊
住吉大神
穴織大神
○歴史
聖武天皇の神亀元年(724年)、僧行基が多罹山若王寺を創建し、その鎮守社として建てられたと伝える。 鎌倉時代若王寺が真言宗に属し、社殿の背後の鉢塚古墳石室内に石造十三重塔を造立し、金剛界五仏を本地仏とし、五社大明神と号した。
天正元年(1573年)、織田信長の兵火で社寺ともに焼失した。
天正17年(1589年)、釈迦院の伝誉上人が再建。
明治初年の神仏分離で五社神社に改める。
明治5年村社に列す。
明治40年6月17日、南垣内の無格社素盞鳴神社・戀の山の無格社八幡神社を合祀。
○文化財
五社神社十三重塔(石造) 国の重要文化財(昭和34年6月27年指定) 室町時代前期
高さ5mほどで、基礎は半ば土に埋もれているが、一面を2区に分けて、格狭間を表し、塔身は薄く彫り沈めた月輪の中に金剛界四仏の種子を配している。この地に熊野信仰が行われた際の造立。昭和10年(1935年)10月14日重要美術品に認定され、昭和34年(1959年)に国の重要文化財に指定された。
鉢塚古墳上部所在経塚出土品 池田市指定文化財 考古資料第2号(昭和53年10月31日指定)鎌倉時代
○交通アクセス
阪急宝塚本線池田駅から、南東徒歩20分
○所在地
大阪府池田市鉢塚2丁目4-28
○例祭:10月13日
釈迦院
釈迦院は大阪府池田市鉢塚にある高野山真言宗の仏教寺院。
○歴史
寺伝によれば、神功皇后が百済より釈尊の仏舎利多羅宝鉢を得て凱旋し、仏教がまだ広まっていないので、仲哀天皇の御代、散逸を恐れて鉢塚に隠した。 その後、行基が霊夢により石窟より仏舎利を掘出し、聖武天皇の勅命で精舎を建立。また、行基は自ら観音菩薩・不動明王・毘沙門天像を刻して仏舎利とともに安置。寺を鉢多羅山若王寺釈迦院と号し、村を尊鉢と名づけ、斎田300石を賜った。 天正年間(1573年~1592年)の兵火で堂宇と寺宝を焼失し、斎田も没収されたが、天正17年(1589年)に傳誉が再建し、その後天保11年(1840年)火災に遭い、慶応元年(1865年)6月宗浄・歓浄が再建。
○文化財
・宝篋印塔
鎌倉時代
花崗岩製、「正安元年(1299年)十二月廿五日 願主藤原景正」と刻銘がある。
・梵鐘
池田市指定文化財、江戸時代
寛永九壬申年(1632年)の銘があり、池田市内最古のものの一つ。
○所在地
大阪府池田市鉢塚3丁目4-6
○歴史
寺伝によれば、神功皇后が百済より釈尊の仏舎利多羅宝鉢を得て凱旋し、仏教がまだ広まっていないので、仲哀天皇の御代、散逸を恐れて鉢塚に隠した。 その後、行基が霊夢により石窟より仏舎利を掘出し、聖武天皇の勅命で精舎を建立。また、行基は自ら観音菩薩・不動明王・毘沙門天像を刻して仏舎利とともに安置。寺を鉢多羅山若王寺釈迦院と号し、村を尊鉢と名づけ、斎田300石を賜った。 天正年間(1573年~1592年)の兵火で堂宇と寺宝を焼失し、斎田も没収されたが、天正17年(1589年)に傳誉が再建し、その後天保11年(1840年)火災に遭い、慶応元年(1865年)6月宗浄・歓浄が再建。
○文化財
・宝篋印塔
鎌倉時代
花崗岩製、「正安元年(1299年)十二月廿五日 願主藤原景正」と刻銘がある。
・梵鐘
池田市指定文化財、江戸時代
寛永九壬申年(1632年)の銘があり、池田市内最古のものの一つ。
○所在地
大阪府池田市鉢塚3丁目4-6
細川神社
細川神社は、大阪府池田市吉田町に鎮座する神社。摂津国豊島郡の式内社。
○祭神
細川水大神・五十猛尊
神社明細帳に「祭神不詳」とあり、『大阪府史跡名勝天然記念物』では細川水神・素盞鳴尊・菅原道真とする。
○歴史
創建年代は明らかでないが、『大阪府全志』に天平年間(729年~748年)以前と記されている。中世以降は所在(比定地)が不明であったが、『摂津名所図会』に「細河神社 吉田村慈園寺山にあり。延喜式内、今毘沙門天と称し、久安寺奥院とす。」とあり、享保年間(1716年~1735年)に、並河誠所が式内社に比定するまでは久安寺の奥院として伝わっていた。
明治5年村社に列す。
明治40年9月19日、伏尾の天満宮・中川原の門同素盞鳴尊・古江下垣内の八幡神社・東山字久保の愛宕神社を合祀。
明治41年12月神饌幣帛料供進社に指定[1]。
○境内社
皇大神社
大国神社
○交通アクセス
阪急宝塚本線池田駅から阪急バス久安寺方面行き乗車、東山下車、徒歩約10分
○所在地
大阪府池田市吉田町1
○例祭:7月13日(例祭)・10月23日(秋祭)
○祭神
細川水大神・五十猛尊
神社明細帳に「祭神不詳」とあり、『大阪府史跡名勝天然記念物』では細川水神・素盞鳴尊・菅原道真とする。
○歴史
創建年代は明らかでないが、『大阪府全志』に天平年間(729年~748年)以前と記されている。中世以降は所在(比定地)が不明であったが、『摂津名所図会』に「細河神社 吉田村慈園寺山にあり。延喜式内、今毘沙門天と称し、久安寺奥院とす。」とあり、享保年間(1716年~1735年)に、並河誠所が式内社に比定するまでは久安寺の奥院として伝わっていた。
明治5年村社に列す。
明治40年9月19日、伏尾の天満宮・中川原の門同素盞鳴尊・古江下垣内の八幡神社・東山字久保の愛宕神社を合祀。
明治41年12月神饌幣帛料供進社に指定[1]。
○境内社
皇大神社
大国神社
○交通アクセス
阪急宝塚本線池田駅から阪急バス久安寺方面行き乗車、東山下車、徒歩約10分
○所在地
大阪府池田市吉田町1
○例祭:7月13日(例祭)・10月23日(秋祭)
2011年12月4日日曜日
安威砦
安威砦は、大阪府茨木市にあった砦。安威城が居館であったのに対して、安威砦は詰の砦ではなかったかと思われている。
○概要
通称、天神山の山頂に築かれた砦で、標高89m、比高40m、東西50m、南北100mに、3つの曲輪から成り立っている。安威砦に関する古文献は少なく、歴史については不明な点が多いが、桂川原の戦いの前に、波多野稙通が接近するに伴って、安威弥四郎が急ごしらえで築砦したのではないかとも言われている。安威城から北へ、直線距離で約1.6kmの場所に位置し、近くには安威配水地がある。廃砦に関しても不明だが、安威城と同時期に使用されなくなったと思われている。
○城郭
現在安威城の跡地には、宅地、小学校等が建っており、城をしのばせる遺構は数少ないが、安威砦には数多く良好な遺構が現存している。縄張りは、南側から北側へ3つの曲輪があり、南側より、1曲輪、2曲輪、3曲輪と呼ばれている。
所在地:茨木市安威4丁目
○概要
通称、天神山の山頂に築かれた砦で、標高89m、比高40m、東西50m、南北100mに、3つの曲輪から成り立っている。安威砦に関する古文献は少なく、歴史については不明な点が多いが、桂川原の戦いの前に、波多野稙通が接近するに伴って、安威弥四郎が急ごしらえで築砦したのではないかとも言われている。安威城から北へ、直線距離で約1.6kmの場所に位置し、近くには安威配水地がある。廃砦に関しても不明だが、安威城と同時期に使用されなくなったと思われている。
○城郭
現在安威城の跡地には、宅地、小学校等が建っており、城をしのばせる遺構は数少ないが、安威砦には数多く良好な遺構が現存している。縄張りは、南側から北側へ3つの曲輪があり、南側より、1曲輪、2曲輪、3曲輪と呼ばれている。
所在地:茨木市安威4丁目
2011年11月29日火曜日
瀧安寺
瀧安寺は、大阪府箕面市箕面公園にある本山修験宗(修験道の一派)の寺院。山号は箕面山。宝くじの発祥である富くじの発祥の地とされる。
○歴史
寺伝によれば658年(一説には650年)に役小角が箕面滝の下に堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、「箕面寺」と命名したのが始まりである。平安時代に後白河天皇が編纂したとされる「梁塵秘抄」には「聖のすみかは何処何処ぞ、箕面よ勝尾よ」と歌われている。後醍醐天皇が隠岐に島流しになった際には、護良親王が当寺に帰還祈祷を依頼したという。その後「瀧安寺」という寺号を賜ったとされる。そのほかにも、山岳霊場として栄え、空海や日蓮や蓮如が修行したほか、現在も護摩法要が行われている。山門は光格天皇が1809年(文化6年)に京都御所から移築したものである。また、弁財天本堂は後水尾天皇の勅命により1656年(明暦2年)に建てられた。この弁財天は日本四弁財天に数えられる。通路側にある鳳凰閣は昭和時代初期の建築物である。室町時代末期に織田信長によって焼失し、江戸時代になって後水尾天皇の援助によって現在地に再建された。また、天正年間に日本で初めて宝くじの発祥である富くじを始めた寺院としても伝えられる。2009年には富くじが復活した。弁財天を祀っている所から、芸能の寺としても知られ、近松門左衛門、坂田藤十郎ら上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納している。
○富くじ
富くじ発祥の年は1575年(天正3年)に始まる「富会」であり、その行事は地元民により受け継がれ、明治時代まで続いた。これが「宝くじ」の発祥だと主張する地元民もいるが、2009年時点で定かではない。宝くじの発祥とされる富くじはこの寺院から発祥した。富くじは江戸時代に流行ったものであり、番号が入った富札を発売し、それを同じ番号の木札に授け、期日に箱から札を選び、幸せを授けるというものである。藤原兼隆の歌によると、約950年前以前から富くじはあったとされ、この寺院の富くじは箕面富と呼ばれていた。富くじで当選した者は、お守り「大福御守」が授けられたという。だが江戸幕府により富くじ禁止令が発令され富くじは中止された。その後2009年に地元住民によって復活した。
○本堂・伽藍
本堂(弁天堂):後水尾天皇の寄進で、奥殿と拝殿から成る神社形式になっている。本尊に弁財天、脇尊に毘沙門天と大黒天を安置する。
行者堂(開山堂):本堂同様に、奥殿と拝殿から成る。主尊に役小角、脇尊に不動明王と蔵王権現を安置する。
観音堂:2002年再建。中央に如意輪観音(重要文化財)、左右に阿弥陀如来、弘法大師を安置する。
○祭事・年中行事
正月三賀日に富くじが行われる。
4月15の開山忌、7月7日と11月7日の行者堂法要には、採燈大護摩供と山伏大行列が行われる。
毎月7日の月次祭には護摩供と、周辺商店街では『箕面山七日市』と称する門前市が催される。
○文化財
・重要文化財(国指定)
木造如意輪観音坐像 - 平安時代。
・大阪府指定有形民俗文化財
瀧安寺の富籖箱 - 桃山時代。
・箕面市指定有形文化財
瀧安寺文書(中世24点・近世157点) - 中・近世。
紺紙金銀字交書一切経(5巻) - 平安時代末期(中尊寺経の一部とされる。)。
大般若経及び収納具(経典597巻・経櫃6櫃・経帙60帙) - 江戸時代中期、近松門左衛門、坂田藤十郎奉納。
大般若経(上林経)及び収納具(経典263巻・経帙22帙) - 江戸時代中期。
大般若経(版本)及び収納具(経典596巻・経帙55帙・経箱1点) - 江戸時代中期。
・その他
弁財天像 - 伝役小角奉納。日本四弁財天の1つ。
役小角像 - 室町時代。
不動明王像 - 鎌倉時代。
蔵王権現像 - 江戸時代。
○札所
摂津国八十八箇所第55番
西国七福神札所(みのお弁財天)
○所在地・交通
大阪府箕面市箕面公園2-23
阪急電鉄箕面駅より徒歩15分
○歴史
寺伝によれば658年(一説には650年)に役小角が箕面滝の下に堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、「箕面寺」と命名したのが始まりである。平安時代に後白河天皇が編纂したとされる「梁塵秘抄」には「聖のすみかは何処何処ぞ、箕面よ勝尾よ」と歌われている。後醍醐天皇が隠岐に島流しになった際には、護良親王が当寺に帰還祈祷を依頼したという。その後「瀧安寺」という寺号を賜ったとされる。そのほかにも、山岳霊場として栄え、空海や日蓮や蓮如が修行したほか、現在も護摩法要が行われている。山門は光格天皇が1809年(文化6年)に京都御所から移築したものである。また、弁財天本堂は後水尾天皇の勅命により1656年(明暦2年)に建てられた。この弁財天は日本四弁財天に数えられる。通路側にある鳳凰閣は昭和時代初期の建築物である。室町時代末期に織田信長によって焼失し、江戸時代になって後水尾天皇の援助によって現在地に再建された。また、天正年間に日本で初めて宝くじの発祥である富くじを始めた寺院としても伝えられる。2009年には富くじが復活した。弁財天を祀っている所から、芸能の寺としても知られ、近松門左衛門、坂田藤十郎ら上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納している。
○富くじ
富くじ発祥の年は1575年(天正3年)に始まる「富会」であり、その行事は地元民により受け継がれ、明治時代まで続いた。これが「宝くじ」の発祥だと主張する地元民もいるが、2009年時点で定かではない。宝くじの発祥とされる富くじはこの寺院から発祥した。富くじは江戸時代に流行ったものであり、番号が入った富札を発売し、それを同じ番号の木札に授け、期日に箱から札を選び、幸せを授けるというものである。藤原兼隆の歌によると、約950年前以前から富くじはあったとされ、この寺院の富くじは箕面富と呼ばれていた。富くじで当選した者は、お守り「大福御守」が授けられたという。だが江戸幕府により富くじ禁止令が発令され富くじは中止された。その後2009年に地元住民によって復活した。
○本堂・伽藍
本堂(弁天堂):後水尾天皇の寄進で、奥殿と拝殿から成る神社形式になっている。本尊に弁財天、脇尊に毘沙門天と大黒天を安置する。
行者堂(開山堂):本堂同様に、奥殿と拝殿から成る。主尊に役小角、脇尊に不動明王と蔵王権現を安置する。
観音堂:2002年再建。中央に如意輪観音(重要文化財)、左右に阿弥陀如来、弘法大師を安置する。
○祭事・年中行事
正月三賀日に富くじが行われる。
4月15の開山忌、7月7日と11月7日の行者堂法要には、採燈大護摩供と山伏大行列が行われる。
毎月7日の月次祭には護摩供と、周辺商店街では『箕面山七日市』と称する門前市が催される。
○文化財
・重要文化財(国指定)
木造如意輪観音坐像 - 平安時代。
・大阪府指定有形民俗文化財
瀧安寺の富籖箱 - 桃山時代。
・箕面市指定有形文化財
瀧安寺文書(中世24点・近世157点) - 中・近世。
紺紙金銀字交書一切経(5巻) - 平安時代末期(中尊寺経の一部とされる。)。
大般若経及び収納具(経典597巻・経櫃6櫃・経帙60帙) - 江戸時代中期、近松門左衛門、坂田藤十郎奉納。
大般若経(上林経)及び収納具(経典263巻・経帙22帙) - 江戸時代中期。
大般若経(版本)及び収納具(経典596巻・経帙55帙・経箱1点) - 江戸時代中期。
・その他
弁財天像 - 伝役小角奉納。日本四弁財天の1つ。
役小角像 - 室町時代。
不動明王像 - 鎌倉時代。
蔵王権現像 - 江戸時代。
○札所
摂津国八十八箇所第55番
西国七福神札所(みのお弁財天)
○所在地・交通
大阪府箕面市箕面公園2-23
阪急電鉄箕面駅より徒歩15分
西江寺
○歴史
寺伝によれば、658年に役小角(役行者)によって開山されたという。ある日、光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ、役小角はこの箕面山を日本最初の歓喜天霊場としたという。かつては、摂津国神宮寺と称していたが、明治時代末期に聖天宮西江寺と改称した。本堂には役行者作と伝承する大聖歓喜天像が祀られている。また、室町時代中期に作られたと伝えられる大黒天も祀られている。
○年中行事
1月1日 元旦祭修正会
1月7日 - 1月13日 日本最初大聖歓喜天大欲油供
1月15日 とんど焼き
1月1日 - 1月15日 阪急沿線西国七福神神詣り
2月3日 節分厄除星祭り
4月16日 春季大祭
10月15・16日 天狗祭り
15日夜に宵宮、16日昼に悪魔払い、16日夜に本宮が行われる。
10月第1土・日曜日 蟲供養万燈会
全ての生物が供養される。
10月15日・16日 秋季大祭
○交通アクセス・所在地
〒562-0001 大阪府箕面市箕面2-5-27
阪急箕面線箕面駅から北へ徒歩。
寺伝によれば、658年に役小角(役行者)によって開山されたという。ある日、光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ、役小角はこの箕面山を日本最初の歓喜天霊場としたという。かつては、摂津国神宮寺と称していたが、明治時代末期に聖天宮西江寺と改称した。本堂には役行者作と伝承する大聖歓喜天像が祀られている。また、室町時代中期に作られたと伝えられる大黒天も祀られている。
○年中行事
1月1日 元旦祭修正会
1月7日 - 1月13日 日本最初大聖歓喜天大欲油供
1月15日 とんど焼き
1月1日 - 1月15日 阪急沿線西国七福神神詣り
2月3日 節分厄除星祭り
4月16日 春季大祭
10月15・16日 天狗祭り
15日夜に宵宮、16日昼に悪魔払い、16日夜に本宮が行われる。
10月第1土・日曜日 蟲供養万燈会
全ての生物が供養される。
10月15日・16日 秋季大祭
○交通アクセス・所在地
〒562-0001 大阪府箕面市箕面2-5-27
阪急箕面線箕面駅から北へ徒歩。